「ありがとう」が存在しない社会2

 きょうのサイクリングは多摩川近くの日野市石田へ。

 昔ここは石田村(いしだむら)といって、新選組副局長の土方歳三(ひじかたとしぞう)が生れたところとして知られる。土方姓の表札の家が何軒もあった。

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門のわきには百日紅サルスベリ)が咲く

 土方歳三の墓のある石田寺(せきでんじ)。樹齢400年の見事なカヤの大木に見とれた。こんどは生家の「土方歳三資料館」に行ってみよう。

 多摩川の河川敷はセミの声で夏真っ盛りだ。
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 きのうの西村康稔経済再生担当相の記者会見が、笑い話のネタになっている。

 どんどん旅行してくださいとGoToトラベルをやってるのに、会見では、県をまたがるお盆の帰省を「国民一人ひとりが、慎重に考えてほしい」と注意喚起したのだ
 行け、行くな、どっち?
 お盆明けに感染者が増えたら、「国民一人ひとり」のせいにするつもりだな。
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 安倍政権支持率が、ある調査で最低になった。

 コロナ感染急拡大に無為無策の体たらくでは当然の結果だ。また8割が臨時国会を開くべきと答え、国民の良識を見せつけた。

 《最新のJNNの世論調査で、安倍内閣の支持率は35.4%と最低を記録しました。(略)一方、支持できないという人は2.4ポイント増加し、62.2%でした。
 JNNでは2018年10月に調査方法を変更したため単純に比較はできませんが、先月に続いて第二次安倍政権発足後、最低の支持率を記録、不支持率が6割を超えたのも初めてです。

 新型コロナウイルスの感染防止に向けた政府のこれまでの取り組みについて、「評価する」は26%と、今年2月以降で最低の数字となりました。

 中でも、政府が先月22日から東京発着の旅行を対象外としてスタートさせた「GoToトラベル」キャンペーンの是非について聞きました。「評価する」が25%だったのに対し、「評価しない」は66%、キャンペーンを使いたいと思うかについては、「使いたい」は19%にとどまり、「使いたいと思わない」が77%に達しました。

 感染者の増加を受けて政府が緊急事態宣言を再び出すべきか聞いたところ、「出すべきだ」は61%、コロナ対応などを話し合うため早期に臨時国会を「開くべき」との声は8割に達しています。》

news.tbs.co.jp

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 東京新聞が「世田谷モデル」の記事。7月31日の本ブログに補足する情報としては以下。

 《区内では現在、世田谷保健所や区医師会運営の検査センターなどで1日当たり約300件の検査能力がある。近日中に約500件に増やし、その後、2000~3000件まで強化する。

 実現に向け、1度に100件単位の検査を自動でできる機器を導入する。これまで1人分を1検体として検査していたが、例えば5人分をまとめて試験管に入れる「プール方式」を採用。陽性反応があれば、あらためて1人ずつの検体を調べる。反応がなければ5人分が1度に陰性と判断でき、検査効率が高まる。

 新たな機器の導入で、検体を専門機関に持ち込む必要がなくなり、現在は翌日でないと判明しない検査結果も、午前中の検査なら当日に分かるようになる。》
 https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/46562 

 自動検査機器は日本製であるのだから、政府が本気でPCR検査を拡充する気なら購入して必要なところに計画的に配ればいいではないか。少なくとも政府は「世田谷モデル」の実現を邪魔しないでほしい。
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 きのうの続き。
 探検家の関野吉晴さんは、近代化されていない人々、特に狩猟採集民の「平等」に大きな関心を持っている。モノを溜め込まず、助け合い、持ちつ持たれつの関係のもと、「感謝」をあらためて言葉で表すことをしない社会があるという。

 対論集『人類滅亡を避ける道』から、関野さんが訪れた興味深い人々を紹介してみたい。

 インドネシアスラウェシ島でのこと―
 《そこで印象的だったのは、マンダール人の年寄りは、誰も老後の心配というものをしていないことでした。家族や親戚、あるいは近所の人、誰かが自分の世話をしてくれると信じきっているんです。》(P49)
 ここでは、老人に何か世話をしてあげても「ありがとう」は返ってこないだろう。

 相手に恩着せがましく見える態度を厳しく戒める人々もいる。
 アマゾン川流域で焼き畑と狩猟採集の暮らしを営むマチゲンガ族の集落に滞在したときのこと。10歳の少年が初めて狩りに出て、見事にキジの仲間の鳥を獲ってきた。

 《そのときの彼の態度が大人とそっくりだったんです。ブスッとした態度と表情で、獲物を親の前にぽいと投げて渡す。初めての獲物なので、本当は嬉しくてしょうがないはずなのに、そういう態度をとる。それは、「獲物を獲ったからといって威張るな」という決まりがあるからなんです。なぜかというと、獲物を獲ってきた者が威張ると、もらった者が負い目を感じてしまう。そうならないための態度なんです。そんなふうにマチゲンガは、精神的にも平等を保とうとする社会なんです》(P133)

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1977年 ペルー、アマゾン川流域のマチゲンガ族の人々と関野さん。

 そもそも、ある共同体のなかで、他者に何かを与える立場の「優秀な」「できる」人間をどう見るか。「才能」というものへのアマゾン先住民の考え方もおもしろい。

 《誰それは狩りがうまい、釣りがうまい、足が速い、力持ちだというのは少しはあるけど、アマゾンの先住民ではそれが競争のようなものには発展しないんですね。彼らの社会は、物を溜め込まないで平等に行き渡るようにする社会です。しかも、獲物を分配する側も、分配される側も、優越感や負い目を感じずにすむように精神的な平等を維持するシステムまでも持っている。物を溜め込み始めると、このシステムは崩れてしまうんです。
 アマゾンで一番軽蔑されるのはケチな人間やケチな行為です。だからアマゾンで僕が医者だとわかると、病人を診るのが当たり前になるんです。才能や能力は個人のものではなく、みんなのもの。出し惜しみするやつは嫌われ、アマゾンでは生きていけない。》(P262-263)

 ある個人の才能や能力は、よくよく考えてみるとご縁の中にあり、その人が自分だけで得たものではない。アマゾン先住民の方が、本来的な人のあり方をわきまえているように思えてしまう。

 最後に、彼らのおもしろい挨拶を紹介しよう。
 《狩猟採集民はわれわれと違って、昨日、明日への意識がないんです。いまが一番大切なんですよ。それを象徴するのが、たとえばマチゲンガの人たちの挨拶です。「アイニョビ(お前は存在するか)」と呼びかけて「アーィニョ」(存在するよ)」と応える。余計なものが一切ない。》(P40)
 余計なものがない社会。一度暮らしてみたいものだ。