人類は「文化」で環境に適応していった

 早稲田大学に行ったついでに周辺の商店街を歩く。

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 「メルシー」は古い店で、昔、私が勝手に出していたミニコミ誌にここのラーメンを紹介したおぼえがある。たしか、チャーシューに醤油の味がよく染みていてうまい、などと書いた。

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 素直な濃い味でうまい。値段は税込みで450円!。5時ごろ入ったのだが、客は途切れなかった。

 大隈通りに「ニューエコー」という看板を見つけた。かつて民青系活動家のたまり場の喫茶店だった。いまは韓国焼肉レストランになって店構えも一変している。そのほかは全く知らないお店ばかりで、過ぎた時間の長さを思い知らされた。

 自分だけは半世紀前と変わっていないように感じるから不思議である。
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 火曜の夜、「アマゾン源流 未知の山に挑む―ギアナ高地 最後の秘境」という2013年の番組を再放送していた。

 「グレートジャーニー」の関野吉晴さんが、かつて登頂に失敗したギアナ高地最高峰、ネブリーナに再度挑戦したときの映像だ。

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左に聳えるのが最高峰ネブリーナ

 結局、さまざまな困難にあって、頂上に立つことはできなかったのだが、途中、ヤノマミの集落に立ち寄ったりした関野さんの体験をおもしろく観た。

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ヤノマミ

 このヤノマミもまた、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に移住した末裔である。

 人類のグレートジャーニーで一番感心するのは、このベーリング海峡越えだ。
 ただでさえ寒い北極近くを、氷河期に、シベリアからアラスカへと渡っていったのだ。信じられない。
 その謎を明かしたのが、シベリアの遺跡で見つかった「針」だった。ここはもう北極海のすぐそばという高緯度で、寒さは尋常ではない。この針は穴(めど)が開いていて明らかに縫い針だ。マンモスやトナカイの骨で作られている。

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3万2千年前の「ヤナRHS遺跡」は北極海のすぐそば

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マンモスやトナカイの骨で作った縫い針

 針があれば、毛皮を縫い合わせて体をすっぽりくるむことによって体から熱を逃がさず、エネルギー効率を高めることができる。靴も作っただろう。糸はおそらく腱(けん)だったと推測されている。針と糸、これは大発明だ。これが最高の寒さ対策となって寒冷地への進出を果たした。

 小さな穴=めどをあけるには、それに特化した道具が要る。針という道具を作る道具だ。強度を保ったまま細く鋭くして、小さな穴を開ける、高い技術もあったのだ。そもそも針を思いつくのがすごい。縫い針を使い始めたことは、火の使用に勝るとも劣らない革命だったと評価するむきもある。

 ネアンデルダール人は毛皮を衣服にしていただろうが、針と糸がなければ体から熱が逃げるので、ホモ・サピエンスの2倍くらい食べないと生きていけなかっただろうとの推測がある。

 寒さ対策と並んで、驚くのが海を超えて移動したことだ。ベーリング海峡は氷河期だったため、海面は100m前後低くなって陸続きだったとされる。しかし、オーストラリアに到達するには、複数回、長距離の海越えがある。

 新たな土地への移住には、一定数の男女がいないといけないから、それなりの船を用意しなければならない。となると、木を切り倒して船に加工する優れた道具(石器)が要るし、何より熟練した航海術が不可欠だ。そして、船づくりや航海術などの「文化」は、漕ぎだす前に蓄積されていたはずだ。

 実は、3万年以上前のグレートジャーニーで、はっきりと船が必要なルートは、ここと日本列島への3ルートのうちの南方ルート(台湾あたりから沖縄諸島へ)がある。朝鮮半島からのルートとサハリンから北海道への北方ルートは海面低下で陸続きになっていた。日本へも南方からは航海術に長けたグループが来ていたことになる。

 こうして、ホモ・サピエンスは、あらゆる環境に「文化」で適応していった。

(つづく)