グレートジャーニーをやり遂げた私たちの課題

 26日の夜、スーパームーン皆既月食は雲がかかって見えなかった。残念。
 私たちが「宇宙人」であることを自覚できるいい機会だったのに。

 久しぶりに晴れたので自転車で街歩き。
 空き地が野草の花盛りだ。

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アザミ

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オオキンケイギク

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ホタルブクロ

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 きのうの「風人塾」トークイベント《気づきの宇宙史138億年》で第5回「人類のはるかな旅、グレートジャーニー」を話した。

 ヒトが生まれてから現在までを俯瞰してみると、我々とは何なのかを考えさせられる。話の一部を紹介してみたい。

 

 人類がチンパンジーとの共通祖先から分かれたのがおおよそ700万年前とされる。

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類人猿の系統樹(山極寿一氏)


 その後、猿人、原人、旧人などと呼ばれる、さまざまなヒトの種が登場しては消えていった。いま確認されているだけで20数種、まだ見つかっていないのを入れると、アフリカ大陸に100種くらいのヒトが生まれたのではないかと言われている。

 1978年、タンザニアの火山灰の中から350万年前のヒトの足跡が発見された。はっきり直立二足歩行していることがわかる。

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 探検家の関野吉晴さんは、チリの最南端から逆にグレートジャーニーをたどってフジテレビで『グレートジャーニー』のシリーズとして放送された。人類発祥の地がゴールとなるが、関野さんがゴールしたのが、ヒトの二足歩行が確認されたこのタンザニア・ラエトリの遺跡だった。

 この足跡は、アファール猿人のものだとされる。脳の容積は400~500立法センチと小さく、ホモ・サピエンス(1350立法センチ)の3分の1ほどで、チンパンジー(400立法センチ)に近い。まず二足歩行が先で、脳の容量はその後長い時間をかけて大きくなっていったことがわかった。

 直立二足歩行で何が違ってくるのか。
 手で棒などを握ってものを破壊したり敵と戦ったりするためだとの説もかつてあり、それは映画『2001年宇宙の旅』に反映されている。他のサル集団に水場を奪われたサルたちが、突然現れた黒い石板に触れたところ、表情にある変化がおきる。そのサルたちは、動物の太い骨を手にして水場を奪われた集団に闘いを挑み勝利する。雄たけびとともにサルが骨を空高く放り投げると、それは宇宙船へと変わってヨハンシュトラウスのワルツが流れる。終盤の印象的なシーンだ。

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2001年宇宙の旅」の1シーン

 しかし今は、二足歩行で空いた手は、仲間や家族に食物を運ぶのに使われたという説が有力になっている。

 これと関連するのだが、二足歩行以外のチンパンジーとヒトの違いに犬歯の大きさがある。

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 チンパンジーのオスは犬歯=牙がとても大きい。オスだけである。これはメスをめぐるオス同士の戦いが熾烈なためで、その結果、相手を殺すこともあるという。

 ヒトは、群れのなかがさほど敵対的にならずにすみ、大きなキバはいらなくなったと解釈できる。家族へと食べ物を手にかかえていそいそと帰っていくヒトのオスの姿を想像すると、ちょっと微笑ましい。

 サルはメスの授乳期間が長く、その間は発情しないので、数少ない発情中のメスをめぐるオスの競争が激しくなる。それに対してヒトのメスは授乳中でも性交可能で、いわば常時発情中なのである。これがオス同士の軋轢の程度が大きく異なるベースになっている。

 ホモ・サピエンス(正確にはホモ・サピエンス・サピエンス)=現生人類の化石は、エチオピアの約19万5000年前の遺跡から出土したのが最古とされてきたが、2017年にロッコで30万年前のホモ・サピエンスの人骨が見つかったという発表があった。

 それまではホモ・サピエンスの骨は、アフリカの東部と南部でしか出ていなかったが、モロッコといえばアフリカ大陸の北西のはずれ。ホモ・サピエンスはアフリカ全土に広まっていたようだ。

 ホモ・サピエンスの一部が、アフリカからアラビア半島に最初に出たのは10万年前ごろと言われている。そこから地球の隅々にまで広がっていった子孫が私たちだ。

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ホモ・サピエンス=新人がアフリカから出る直前、ユーラシアには少なくとも3種のヒトがいた

 この遥かな旅、グレートジャーニーを世界地図でみると、感慨深い。

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 かなりの速さで東南アジアへ。オーストラリアには早くも6万5千年前に到達したとされる。アフリカからアラビア半島に出てからわずか3万5千年だ。

 ヨーロッパに向かったグループはクロマニヨン人と呼ばれるようになる。別の移動の波はシベリアからベーリング海峡をわたってアメリカ大陸を縦断、チリの南端まで到達する。 

 苦しいこともたくさんあったろうし、怪我や病気、飢餓で移動中に命を落したものも多かったろう。よくもまあ、これほど移動をつづけたものだ。
 どうしてこんなに移動を続けたのか。これについては大きく二つの考え方があるようだ。

 一つは「あの山の向こうに何が待っているだろう」と進取の精神、あくなき開拓心で旅に出たというもの。もう一つは、コミュニティからはじき出されたり、食いっぱぐれたりして、もとの場所にいられなくなったという説。関野さんは後者で、むかし農家の次男、三男が家を出ていかざるをえなかったこととダブらせている。強いられた移住説た。

 先ほどの地図にあるように、アフリカを出たヒトはホモ・サピエンスが最初ではない。ずっと前に、人類のいくつかの種はユーラシア大陸に広がった。北京原人ジャワ原人、ネアンデルダール人などがそうだ。
 ただ、オセアニアアメリカ大陸にまで渡ったのは、ヒトの仲間のなかでホモ・サピエンスだけ。我々の祖先は、南極以外の全大陸に住みついた。そして、最終的にいま地球で生き残ったている人類は我々だけだ。

 ホモ・サピエンスだけが生きのこることができたのはなぜか。

 そこに私たちの生物としての特質がかかわっているのではないか。
(つづく)