「新人類」の若者たち2

 2018年5月に結婚したイギリス王室のヘンリー王子とメーガン妃が、公式インスタグラムアカウント「@SussexRoyal」を通じて、ロイヤルファミリーのシニアメンバーとしての座を退く意向を表明した。王室から「抜ける」というのだ。

 彼らもある意味、「新人類」といえるかも。

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1936年、英国王エドワード8世は離婚歴のある米国人女性と結婚するために王位を捨てた。英王室を揺るがせた「王冠をかけた恋」である。 それから約80年。離婚歴があり、黒人の血を引く米国人女性がロイヤルファミリーに迎えられた。

 ヘンリー王子夫妻は声明の中で「私たちは王室の中に新しい進歩的な役割を作り出すことを決めました」「王室の上級王族の地位を退き、経済的に独立することを目指します」などと表明した。
 重大発表を突然インスタグラムでやるとはいかにも「イマ」風だが、これを受けてバッキンガム宮殿も声明を出した。うろたえている様子である。
 「サセックス公爵サセックス公爵夫人の件についての話し合いはまだ初期段階にあります。従来とは違う方法で王室と関わっていきたいという2人の考えを理解していますが、この件に関しては複雑な事情が絡んでいるため、解決するのにそれなりの時間を要することになるでしょう」

 スウェーデンデンマークノルウェーはじめ人権先進国はのきなみ「王国」であり、近代民主主義国家の王制を私は肯定的に見てきた。https://takase.hatenablog.jp/archive/2016/10/15
 一方で、王制は遠くない将来、消滅する運命だろうとも思っている。
 今回の騒動を見て、「消滅」はこんな「事件」が繰り返されるうちに、国王自身が「もう王制はやめようよ」と言ってソフトランディングする形になるのかな、などと想像した。北欧はじめ主要な王国が続くのは今後2世代までだと私は見ている。わが皇室はそれより長く、3代目まではいくかもしれない。こんなことを書くとクレームが来そうだが。
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 先日の若者論のつづき。
 写真家の藤原新也さんは、グレートジャーニーで知られた探検家の関野吉晴さんとの対論で、いまのエスタブリッシュメントではもうだめだと語る。

藤原《日本は戦後、何も持たない乞食のような状況から出発した。そしてアメリカの豊かさを目指して、1960年代、70年代に経済的な成長を遂げた。そんな時代を生きた世代が、いまも日本を動かしているわけです。経団連の会長の米倉弘昌氏(当時:注)などはその象徴です。このエコノミックアニマルと外国から名指しされた世代が社会を動かしているうちは何も変わらない。変わるとしたらその後でしょうね》(注:元住友化学会長、2018年11月死去)

 そして、ある「一流大学を卒業して大手のビール会社に就職した青年」のエピソードを紹介する。
 《彼の担当は品質管理で、ベルトコンベアーに載って流れてくるビール瓶が百本に一本くらいの割合で倒れるらしい。これがおかしなことに倒れた瓶は全部廃棄処分にする。かなり膨大な数になるというんです。
 廃棄するたびに瓶の割れる音を聞いていた彼は、自分の仕事が無意味に思えて、結局、給料も待遇もいい会社をやめてしまった。
 そして、いま整体師の仕事をしているんですよ。もともと彼はアトピーで苦しんだ経験があるから、整体を通して身体の不調に悩む人の力になりたいと話していました。収入は十分の一に減ったけど、躊躇なく新たな道を選んだ。金より生きる意味を選んだ。こういうのは昔の世代にはありません。
 僕は真っ当な選択だなと感じました。彼らの世代が社会を動かすようになったら、低成長社会にはなるだろうけど、いままでとは違う尺度で幸福や生き方を考える時代になるかもしれないという淡い期待が僕にはある。低成長の美学や価値観が提示されていく社会に―》

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 これに対して関野さんが応じる。
関野《じつは私も、同じことを考えていたんです。最近よく話題になる“草食男子”が、希望なんじゃないか、と(笑)。
 車も家もいらない。結婚もしたくないし、子供もいらない・・・。僕らの世代はその逆でしたよね。何でもかんでも欲しがった。
 “草食男子”は覇気がない。いまどきの若者は・・・と説教する人たちは多いけど、別に物欲に対して覇気がなくてもいいじゃないかと思うんですよ。私たちの世代は、大量にモノをつくり、消費してきたから、若者たちに我慢を強いるのはずるい気もするけど、自然にそうなったんだからいいんじゃないかと思います。そんな“草食男子”が世の中の主流になったら、日本は間違いなく変わるでしょうね。でも自立心とか責任感は必要ですけどね。》(P114~115)

 対論はさらに続く。
(つづく)