アインシュタインの「新しい思考」

 午後から夜まで新宿で用事。その間大雪が降りつづけ、新宿駅西口ロータリーはこんな雪景色に。4年ぶりの大雪警報で、都心で20センチ超の積雪があったという。夕方、バスやタクシーの乗り場には長蛇の列ができていたので、電車は大混雑だろうと覚悟して20時すぎ新宿駅に向かう。ところが中央線下りはガラガラ。みな早めに帰宅したようだ。駅からは新雪ラッセル状態で帰宅した。家の周りは積雪40センチくらいありそうで、明日の朝が心配だ。
・・・・・・・・・・・・
 3日前、中学時代とても仲の良かった友人が亡くなった。ためらいなく「いいやつ」と言える男で、笑顔の彼しか思い浮かばない。
 死は悲嘆であり、私にとっていまだに恐怖だが、「死」にどう向き合うかは、その人の哲学(コスモロジー)への最大の挑戦だろう。老い先長くない私も考えつづけている。
 興味深いのは、現代科学(近代科学ではなく)の発見の中に、覚者と言われる人々の認識と重なるものがよく見られることで、例えば現代物理学の父と呼ばれるアルベルト・アインシュタインはこんな言葉を残している。

 人間とは、私たちが宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部である。私たちは自分自身を、思考を、そして感情を、他と切り離されたものとして体験する。意識についてのある種の錯覚である。
 この錯覚は一種の牢獄で、個人的な欲望や最も近くにいる人々の愛情に私たちを縛りつけるのだ。
 私たちの務めは、この牢獄から自らを開放することだ。それには、共感の輪を、全ての生き物と自然全体の美しさに広げなければならない。実質的に新しい思考の形を身につけなければ、人類は生き延びることが出来ないだろう。

 これは大乗仏教の「空」を別の形で表現したものと私は理解するが、アインシュタインは、なぜ、こういう考えに行きついたのだろうか。
(つづく)