9条の力についての疑問

 

近所の梅の老木がようやく花ひらいた。
 立春がすぎて節気は「雨水」(うすい)。この意味は、雪が雨に変わり、雪や氷は溶けて水となるということらしい。18日からが初候の「土脉潤起」(つちのしょう、うるおいおこる)、23日から次候、「霞始靆」(かすみ、はじめてたなびく)、28日から末候、「草木萠動」(そうもく、めばえいずる)。眠っていた生き物たちが目覚め、風景に霞やもやがかかり、新たな芽生えが見られる季節である。
 霞とは、春の霧のことで、それが夜に出ると朧(おぼろ)というそうだ。知らなかった。こういう季節ごとの現象の呼び名が日本語を豊かにしてきたのだろうが、自分はその教養を見につけていないな。
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 かつて紛争地での紛争処理にあたった伊勢崎賢治さん(東京外語大教授)がメルマガでこんな発言をしている。
 《侵略とかいわゆる「権利としての戦争」は9条ができるずっと前から国際法で違法化されています。侵略者を倒した五つの王様達が君臨する国連ができてそれは更に厳しくなり、敵国条項さえ未だ残されていますので、日本はフツーの国以上に「そういう戦争」をやりにくい国です。日本が「そういう戦争」をしていないのは、9条のお陰ではありません。日本人は、まず、この大いなる勘違いから解き放たれるべきです。
 戦後今まで起きた戦争は自衛権の行使です。自衛権は悪用されます。しかし、9条は条文として、その悪用を抑止するには穴だらけでした。だって小泉政権以来、集団的自衛権もしっかりやってます。平和な国ジブチに半永久的な軍事基地を日米地位協定より派兵国に有利な地位協定を結んで造ってます。これ民主党政権の時です。そして、血税を、国土を、アメリカの自衛権の行使に提供しています。世界で最も従属的な地位協定の下。
 自衛の悪用を抑止するどころか、国連憲章がやっと戦争を個別的/集団的自衛権に封じ込めたのに、必要最小限であれば交戦権の行使ではない、つまり国際人道法上の交戦じゃない(同法で規制されない?!)という「9条の自衛権」を誰の断りもなく作った…日本は既に通常戦力世界第四位の軍事大国なのにです。
 9条ができた頃とは戦争自体が変容し、自衛権の悪用の阻止と、日本の軍事大国化への抑止に、9条の条文は無力だったと認める時が来たと思います。
 自衛隊が国際人道法違反の加害者になる事故がおこらないうちに。
 それを裁く国内法廷もないのに軍事組織を送った無法国家というレッテルが貼られる前に。》
 稲田防衛相の「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではない」から「戦闘」と呼ばないなどの言葉遊び発言を聞くと、伊勢崎氏の指摘に耳を傾けざるをえない。
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 テレビでは、連日、金正男暗殺についてスタジオに識者を招いて評論している。
 きょうは、某局で、正男氏を暗殺することに北朝鮮にとってのどんな利害損得があるのかを論じていた。
 ある著名な北朝鮮通が、「我々から見ると、いっそう孤立を招き、北朝鮮にとって不利なことばかりに思えるのですが、北朝鮮当局には、我々の分からない深い利害の計算があるのでしょう」と論じていた。的外れだと思う。
 普通の独裁でない全体主義においては、指導者は「合目的的な考慮や単純な権力慾にわずらわされ」ず、「一切の政治的行動」が「まったく予測不可能なもの」とうつる。これはアーレントの言葉だが、北朝鮮にぴったりである。
 金正恩は権力にしがみつきたくて、自分の支配を米国に認めてもらいたいから核兵器を開発するのだ、とか、周到な計算づくでテロを行っているという見方は最初から見当外れなのだ。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100522