砂川判決のもう一つの汚点、「統治行為論」

takase222015-07-01

7月1日。一年の折り返し点か。

週末、ホタル狩りを楽しんだ。
もう15年以上、横沢入(よこさわいり)に通っている。
ここは「都心からわずか1時間半の丘陵に奇跡のように残された里山」と言われるだけあって、小動物や植物の観察も楽しめる。写真はネムの花。幻想的に谷間に咲いていた。
http://green.ap.teacup.com/yokosawa/
雨が降りそうで降らないという、絶好のコンディションで、いつもの年よりたくさんのホタル、とくにゲンジボタルを多くみることができた。
古来から、ホタルは亡くなった人の霊だとされる。
光の乱舞のなかで、この一年にお別れした人たちの顔を思い浮かべた。
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砂川最高裁判決について、つづき。
砂川事件とは、そもそもの逮捕容疑が、日米安保条約にもとづく米軍の地位協定の実施に伴う刑事特別法違反だった。米軍への妨害行為を処罰しようとしたのだった。
伊達判決は、駐留米軍は戦力にあたるから憲法違反で、刑事特別法は無効。したがって基地内に立ち入った行為は犯罪にならないので無罪だとした。
米国が日本の行政、司法に深く介入して伊達判決をひっくり返したのが1959年12月16日の最高裁判決だった。
マッカーサー米大使が、田中最高裁長官と密談を持っていたことはすでに書いたが、11月になって再び会っている。11月5日、東京の米国大使館から国務長官にあてた公用「極秘」書簡には、こう書いてある。

(田中最高裁)長官は、時期はまだ決まっていないが、最高裁が来年のはじめまでには判決を出せるようにしたいと言った。
(略)
田中最高裁長官は、下級審の判決は(略)くつがえされるだろうが、重要なのは15人のうちのできるだけ多くの裁判官が憲法問題に関わって裁定することだと考えているという印象だった。こうした憲法問題に(下級審の)伊達判事が判決を下すのはまったく誤っていたのだ、と彼は言った

「ご注進」という言葉がぴったりだ。
最高裁長官が、裁判の一方の当事者というべき米国大使に、判決のタイムリミットから伊達判決がくつがえされるだろうこと、さらに15人の判事の一致をめざすことなど、あらいざらい内情をばらしていたのだ。秘密の保持を定める裁判所法に違反した行為である。
こうして米国の圧力に日本の政権が迎合し不正常な形で出された最高裁判決だが、そこでは、安保条約にもとづく米軍駐留が憲法に違反してはいないと言っている。日本の自衛権について判断したものではない。

日本の自衛権についてはこう触れている。
同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。
安倍内閣(高村自民党副総裁)は、これを日本の集団的自衛権を認めたと解釈するが、《わが国が主権国として持つ固有の自衛権》とは、個別的自衛権のことであるとしか読めない。歴代の内閣もその解釈を踏襲してきた。

ただ、判決はこうも言う。
わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。

問題は、《存立を全うするために必要な自衛のための措置》とはどのようなものか、だが、
最高裁判決は、政府にゆだねるともとれる論理になっている。
いわゆる「統治行為論」である。
安保条約のような、「我が国の存立の基礎にきわめて重大な関係をもつ高度な政治性を有する問題」については、憲法判断をしないというのだ。
《その結果、政治家や官僚たちが「わが国の存立の基礎にきわめて重大な関係をもつ」と考える問題について、いくら市民の側が訴えても、最高裁憲法判断をしなくてもよくなった。政府の違法な権力行使に対し、人びとの人権をまもるべき日本の憲法が、十分に機能できなくなってしまったのです》と『法治国家崩壊』は書く。
解釈改憲」の範囲をどんどん広げかねない。
この意味でも、この判決は非常に大きな影響をその後の日本におよぼしたのだった。

まとめると、きわめて問題があり、後世に汚点を残している砂川判決だが、その判決でさえ、日本国憲法集団的自衛権を認めるとは言っていない。
同時に、判決が持ち出した「統治行為論」により、「必要な自衛のための措置」が憲法に適合しているかどうかの吟味がされにくくなった。

今の安保法制をめぐる議論で、日本が集団的自衛権をもつべきかどうかということと、集団的自衛権を今の憲法が認めているかどうかは全く別の話だ。
いま問題になっているのは後者であり、集団的自衛権を持つべきだと思う人も、安保法制は「違憲だ」と声を挙げるべき事態なのである。