さっちゃんは「非正規」の記者だった?

世界は結束してテロと戦おう!
そんな雰囲気になっている。
9.11のアメリカでの同時多発テロに対して、ブッシュ大統領がこれはもはやテロリズムではなくて戦争行為(acts of war)だと言って、アフガン攻撃を始めたが、フランスの同時多発テロで、また新たな段階の戦争へと向かうのか。
有志連合の「後方支援」で自衛隊が出て行く図が頭にちらつく。
アメリカの対テロ戦争はすでに破綻しており、「イスラム国」の台頭は、その結果の一つだ。どんどん間違った道に日本が本格的に引きずりこまれていくのが怖い。
・・・・・・・・・・・・・・

(笑顔の写真のそばには、さっちゃんの好きだったワインが供えられた)
東京新聞したまち支局の丹治早智子記者の訃報が伝えられると、10月2日の投稿欄「ミラー」には読者のこんな声が載った。

ありがとう さっちゃん
          
   無職 村上清治 83 (東京都江戸川区

 さっちゃん、さっちゃんと親しまれていた東京新聞したまち支局の丹治早智子さんの急逝の報(9月18日死去)に接し、ただならぬ思いをしたのは私ひとりではなかったと思います。
 9月19日都内版に載った訃報には「浅草を中心に街の話題を追って20年」と書かれ、地域の人たちの哀悼の言葉が寄せられていました。新聞社の記者らしからぬ温かい心遣いで地域の中に溶け込み、下町の話題になると目の色変えて鋭い突っ込みをしてくる文字通りの下町の記者でした。
 ちょうど十年前のこと。長い官僚生活を終えた私が、地域の老人クラブを立ち上げ、子どもの見守り活動を始めようとしたとき、いち早くその情報をキャッチし、小学校・警察・区役所を駆け回り、したまち版に大きく紹介してくれたのも、さっちゃんこと丹治さんでした。
取材活動を終え、ほっとする間もなく、こよなく愛した浅草の小さな飲食店で、集まる各層のお客さんと楽しみながら興味深い会話を持ち、いろんな話をしてくれるお客さんを良き友としてつなぎ留め、記事の編集に生かしておられたようです。
 私自身、故人とはいろいろな席を同じくする機会に恵まれましたが、雑談の中にも相手の話を真摯に聞く丹治さんの姿勢に何回となく驚かされたものです。
 六十歳という若さで、数知れない多くの下町のファンから惜しまれながら逝ってしまった丹治早智子記者、そしている会っても新鮮で、楽しい話題を提供してくださった「さっちゃん」のご冥福を心からお祈りいたします。》

 14日のしのぶ会の参加者の一人は、「さっちゃんのいない浅草なんて、浅草じゃない」とまで言った。
 いやあ、すごいな・・
 熱烈なファンたちの追悼の言葉に感銘しながら耳を傾けるうち、いくつもの疑問が浮かんできた。
 まず、新聞記者は普通3年くらいで異動になると聞くが、一つの支局に20年も居続けることがどうして可能だったのか・・・
 また、紹介した読者投稿にも「取材活動を終え、ほっとする間もなく、こよなく愛した浅草の小さな飲食店で、集まる各層のお客さんと楽しみながら・・」とあるように、夜も地域の人々と交流していたわけだが、これも普通の記者では難しいだろう・・・
 と、ある参加者がこう話しはじめた。
 「さっちゃんは正社員じゃなかったから・・・」
 えっ、「非正規雇用」の記者!?
 実は、さっちゃんこと丹治早智子さんは、とてもユニークな立場で記事を書いていたのだ。
(つづく)