「慰安婦」研究者を在宅起訴

takase222015-11-20

韓国でまた、「慰安婦」をめぐる動きがあった。
《韓国の朴裕河(パクユハ)・世宗大教授が出版した旧日本軍の慰安婦問題についての著書「帝国の慰安婦」(韓国版)をめぐり、ソウル東部地方検察庁は18日、同書が元慰安婦の名誉を傷つけているとして、朴教授を名誉毀損(きそん)の罪で在宅起訴した。
 同地検は起訴内容で、慰安婦が基本的に売春の枠内で日本軍兵士を慰安し、日本軍と同志的な関係にあったという虚偽の事実を掲載して、公然と元慰安婦らの名誉を傷つけたとした。また、同書の表現は元慰安婦の人格や名誉を大きく侵害しており、学問の自由を逸脱しているとも主張した。》(朝日新聞
慰安婦の学術研究を刑事罰の対象にするのか!
朴裕河教授は、丁寧な調査を積み重ね、研究者らしい冷静で説得力ある分析をしている。今後の日韓の歴史研究における交流には、ぜひ大きな役割を果たしてほしいと期待していたのだが・・
韓国のこの雰囲気のもと、慰安婦問題でどんな「解決」がありうるのか?
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さっちゃんこと丹治早智子記者は、やり残した仕事があった。
自分の体験から、がんとどう向き合うかについて記事を書きたいと言っていたというのだ。

(丹治さんの若いころのアルバムを見るしのぶ会参加者)
高校時代の同級生の一人は、ちょうど6年前、同じ時期にがんを宣告された。宣告にショックを受け、ずっと家まで泣きながら帰ってきたという。自分のがんを記事にしようと思うとは、丹治さんはなんて強い人なんだとあらためて尊敬したと語る。
お姉さんには、「がんを病んでいる人はたくさんいるので、自分の体験を書くことで、少しでも役に立てれば」と言っていたそうだ。実際、丹治さんのノートには、自分のがんについての事細かなメモが書き綴られていたという。記事の準備だったのだろう。
精神的にタフなだけでなく、人のためという強い使命感を持っていたことがうかがえる。
がんの治療が始まってからも、仕事は続けていた。酒も煙草もやめず、周囲に接するときには笑顔を絶やさなかったという。
また、抗がん剤治療で髪の毛が抜けはじめると、きれいさっぱり、尼さんのように頭を丸めてしまったとのエピソードも。亡くなる1週間前までお店にも出ていたのが急に悪化したそうで、本人はもっと生きるつもりだったようだ。

東京新聞では、本来60歳で契約は打ち切りになる規則だが、「仕事がなくなったら、さっちゃんはがっくりくるだろう」と配慮し、例外的に65歳まで契約を継続することを決定したという。粋なはからいである。
この決定からほどなく、さっちゃんは世を去った。
地域を愛し、また地域から愛された丹治早智子記者のご冥福を心より祈ります。