街頭録音は戦後民主化の成果だった

takase222015-03-23

日曜日の浜離宮恩師庭園は春爛漫。
ここには初めてきた。入り口を入ると、ぱあっと明るい黄色が目に飛び込んできた。菜の花畑だ。
近づくと甘い香りが漂ってくる。こんなに菜の花が匂うとは知らなかった。花を眺める人々はみな笑顔だ。

庭園の中に芳梅亭(ほうばいてい)という集会所があり、日曜日、そこで「サングラハ教育・心理研究所」の「コスモスセラピー・グレードアップコース」が開かれた。私は研究所の長い会員で、いつもは仏教講座に出ているのだが、きょうは時間が空けられたので参加した。http://www.smgrh.gr.jp/
このセラピーの目的は、《二十世紀初頭前後から一世紀余りをかけて形成された現代科学の宇宙論―ビッグバン・宇宙の誕生から私の誕生までの百三十七億年にわたる歴史の流れ―を学ぶと、近代の根本的な心の病いである、ニヒリズム―エゴイズム―快楽主義は徹底的に、克服されてしまうという学びを理論的にも実践的にも共有して》いくことにある。
(これは数年前の文章で、いまでは宇宙の誕生は「138億年前」とされている)
これについては、またじっくり紹介したいが、とりあえず自分にとても大きな自信を持てるようになる。私にとっては、最強のストレス対処法になっている。
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街頭インタビューについて書いてきたが、そもそもこれはいつごろから普及したものか、調べてみた。
すると、意外なことに、戦後の民主改革の成果の一つだった。

以前、この日記で、NHKは戦後まで「取材」というものをしなかったし、従って「記者」というのもいなかったという話を書いた。
《同盟通信(共同通信の前身)からの配信原稿を書き言葉から読む表現に変え、逓信省の検閲を受けてからアナウンサーが読み上げるというのが、NHKのニュースだった。つまり、配信ニュースをただ読むだけ。例外的にNHKが「独自取材」できたのは、気象台での天気予報と株式市況の二つだけだった。》
d.hatena.ne.jp

民放はなく、「放送」といえばイコールNHKのラジオ放送だった時代。独自取材がないのだから、必然的に「大本営発表」にしかならないわけである。これではいけないと、戦後すぐに、報道部次長の柳澤恭雄(やすお)氏が「報道記者」の採用へと動くことについても何度か書いてきた。

松田浩氏(メディア論)によると、戦後のNHKの番組改革の特徴は大きく三つあったという。
第一は、「自由な放送ジャーナリズム」で、マイクの民衆への開放を意味する「街頭録音」や「放送討論会」、選挙の候補者放送などだ。
第二は放送記者の採用。取材しない体制から独自取材への脱皮である。
第三は、視聴者本位の「聴かれる楽しい放送」への転換。話の泉」や「二十の扉」など米国の人気番組の翻案ものだけでなく「日曜娯楽版」のような視聴者大衆に根ざした政治・社会風刺番組の文化創造が行われた。
ちなみに、これらの改革はGHQ民間情報教育局(CIE)が指導したのだが、NHK内部から、柳澤報道部次長や丸山眞男の長兄、丸山鉄雄プロデューサーなどの改革勢力が呼応してはじめて実現したものだという。
こうして、いわゆる「ガイロク」、街頭録音は開かれた放送ジャーナリズムを代表する改革の一つだったのだ。
いま、失われようとしているのは、単に「ガイロク」という形式だけなのか、メディア企業の中にいる人々には考えてもらいたいものだ。