全体主義の外交とは

takase222014-06-08

野菜が高いので、近くの農家の販売所で買うことが多い。
大根もブロッコリーも100円で助かる。いつもは無人で、それぞれ買った分だけお金を備え付けの空き缶に入れるのだが、先日農家の70過ぎのおじさんに会った。
いつも美味しくいただいていますと話しかけると、いろんな話を聞かせてくれた。

兄貴が戦争にとられて、15歳の自分が農家を継がされた。
兄貴はラバウルで戦死したが、生まれたばかりの子どもと出征したあとで生まれた子の二人が残された。
嫁さんは女手一つで二人の息子を育て上げたが並大抵の苦労じゃなかった。
戦死したものも可哀そうだが、戦争は残された遺族も苦しめるんだよ・・
初対面の私にこんな話をするとは、ひょっとして集団的自衛権などの議論に触発されたのかも。
・・・・・・・
北朝鮮では、日朝間で「拉致被害者」の調査を行い拉致問題を「解決」しようとしていると国内向けのメディア(朝鮮中央通信朝鮮中央放送、労働新聞)ではっきり報じている。

拉致問題に対しては拉致被害者および行方不明者に対する調査状況を随時日本側に通報し、調査の過程に日本人生存者が発見される場合、その状況を日本側に知らせ、帰国させる方向で去就問題に関連して協議し、措置を講じることにした」。
合意文書の表現は「日本人拉致被害者が発見される」可能性を認めており、これまでの「拉致問題は解決済み」「生存者はいない」との北朝鮮当局の説明を事実上否定するものだ。
振り返れば、過去にも「解決済み」を白紙撤回させたことがあった。
小泉首相の第二次訪朝時である。

2002年の日朝首脳会談で「生存」とされた5人が帰国した。「死亡」とされた8人についてはいずれもいい加減な説明しかなく、日本国民の憤激を呼んだ。
「死亡」の「証拠」は次々に覆され、北朝鮮は、当初提示した「死亡台帳」は、「慌てて作ったもので、正確ではなかった」と自ら捏造を認め、横田めぐみさんの「死亡時期」を当初発表の1993年から1994年へと変更するという醜態を演じた。
2年後の2004年5月、第二次日朝首脳会談が行われた。
そこでは、地村・蓮池両家の子どもの身柄を日本に移すことの他、死亡・不明とされた10人(その後、松本京子さん、田中実さんも「入境は確認できない」と北朝鮮側は回答)について再調査すると金正日が約束。日本側からは、25万tの食糧や1000万ドルの医薬品の支援を約束した。
具体的に動き出すのは4年経った2008年、日朝実務者協議で、再調査を具体的に進めること、調査委員会ができたら日本側は制裁の一部解除を実行するとの合意ができた。
今回の合意は、いろいろ相違点はあるが、大きく見てこのラインに戻ったものである。

この一連の経緯は、小泉首相がはじめて「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」の立場をはっきりさせて2002年の首脳会談へと続いていった流れの延長線上にあり、基底で事態を動かしているのは、拉致問題の真相を強く求める日本の世論である。
この世論があるからこそ、北朝鮮側も拉致問題を動かすために何らかの方策を取らざるを得ず、2008年の合意に戻っていくしかなかった。

今回の日朝合意をどっちが勝ったのか、日本は譲歩しすぎたかどうかなどの様々な論評があるなか、日本の強い世論がなければ、今回のような展開にはなっていないことを確認しておきたい。

週刊誌などでは、「8人生存、帰国」(フライデー)、「再調査で帰る4人の実名」(週刊新潮)、「安倍側近が漏らした『帰国候補者』の名前」(週刊文春)、「安倍電撃訪朝で『拉致被害者3人連れ帰る』」(週刊ポスト)と先を急ぐ報道がどんどん出ている。(東京新聞「過熱する拉致『再調査』報道」7日朝刊)
今から帰国させる被害者の名前が漏れてくるわけはない。
2002年の小泉首相訪朝のときを振り返ってみるとよく分かる。
あのときも事前に横田めぐみさんや有本恵子さんなど具体的な帰国予定者の名前が飛び交ったがほとんどはずれた。
9月17日朝、小泉首相一行が平壌に飛んだ段階では安否情報は全く入っていなかった。首脳会談の会場、「百花園」に到着すると準備会議が持たれ、そこで北朝鮮側から「5名生存、8名死亡」が初めて伝達された。そのあと、田中均アジア大洋州局長から小泉首相や安倍官房副長官が沈鬱な面持ちでその報告を聞き、首脳会談に臨んだのである。

調査自体は「茶番」だと前回書いた。どういう回答を出すかは、「調査」ではなく、北朝鮮体制の指導者の「判断」による。

では、北朝鮮はどのような外交判断をするのだろうか。
ここに『全体主義の起源』(ハナ・アーレント)という古典がある。外交に関する記述をいくつかひろってみよう。

《外部世界の目には運動の中で彼(指導者)だけが非全体主義的な概念を使って話し合うことがまだできる唯一の人間に見えてくる。(略)外部世界の人々は(略)全体主義政府と交渉せねばならなくなると、いつも「指導者」との個人的会談に期待をつなぐ》

《譲歩と大きな国際的威信とを用いて全体主義国を正常な国際関係に引きもどすことはあらゆる正当な期待にもかかわらず何としても不可能だった》

全体主義政権は相手の妥協性に対して一層の敵意をもって応ずる》

北朝鮮にそのまま当てはまりそうだが・・・
(つづく)