70年代、拉致をするのは韓国だった

takase222014-06-04

もうすぐ夏至だ。陽射しが強い。
ついこないだ取り壊された家の跡地に雑草が勢いよく繁茂している。この空き地だけで何種類の植物が生えているのか。
みな一緒くたに雑草というけれど、雑草とは何だろう。人間にとって役に立たないということだろうが、けっこうきれいな花を咲かせるのもあれば、おいしく食べられるものもある。人間にどう見られようが、一本一本の草はみな宇宙の一部なのだ。
雑草の生命力に感嘆しながら、立ち止まって見入っていた。
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先般のストックホルムの日朝合意では、北朝鮮側が
「1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨および墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者および行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施することとした」という文言になっている。

2008年には拉致被害者だけの調査の約束だったが、今回は、いま進行中の日本人遺骨調査につなげる形で、特定失踪者なども含む日本人全体へと調査対象は大きく広がった。
一方で、日本側は「平壌宣言にのっとって」「国交正常化を実現する意思を改めて明らかにし」、調査の進展に応じて独自の制裁を解除し、さらには人道支援の実施を検討するとした。
北朝鮮側にとっては、「いろいろ調べていたらこんな人がいました」と拉致被害者を出しやすい形になっている。
もちろん、いまさら「特別調査委員会」を作ると言うこと自体が茶番である。拉致は北朝鮮の指導者直属の工作機関による「国家事業」であるから、当局は拉致した人の身柄・消息はしっかり把握している。というより、監視されていて行動の自由がないことは、帰国した拉致被害者蓮池薫さんが『拉致と決断』などで明らかにしている。あらためて調査する必要もないのだが、こういうのが北朝鮮との交渉のお約束ごとだ。
今回の合意に期待する人は多い。とりわけ、拉致被害者や特定失踪者の家族たちはみなさん年配になり体も弱くなっている。これが最後のチャンスかもしれない。
「期待せざるをえない」という。拉致被害者家族連絡会事務局長の増元照明さんがTBS[報道特集]で語った言葉)
では、今回の「調査」は期待できるのか。
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2002年の小泉訪朝のさい、北朝鮮側が知らせてきた消息は、生存5人、死亡8人。残りの4人については、2004年までに「入境せず」「入境確認できず」と北朝鮮側は伝えてきた。
つまり4人については「北朝鮮に来ておらず知らない」ということだ。
1977年、鳥取県から失踪した松本京子さん、1978年、曽我ひとみさんと一緒に佐渡から拉致された母親の曽我ミヨシさん、同年、海外に出国して失踪した田中実さん、そして宇出津事件の久米裕さんだ。

12件17人の政府認定拉致被害者のうち、最も早いのが宇出津事件で、この事件への日本社会の対応がその後の展開に重要だとの問題意識で、この事件を書いてきた。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140501

朝日新聞で大きな記事を書いた松村崇夫さんは「説得されたか、だまされて出国したと考えて」拉致とは思いもしなかったという。
今では、「よど号」犯グループが欧州滞在中の日本人を騙して北朝鮮へと送りこむような形も「拉致」と分かっているが、当時は暴力的にさらっていくものだけを拉致とイメージしていたのだろう。
もう十五年前くらいになるが、私は朝日新聞に松村さんを訪ねてそのころのことを聞いたことがある。
なぜ、これを拉致だと思わなかったのですか?
「私たちにとって、拉致事件といったら『金大中事件』しかない。拉致は韓国がやるもので、北朝鮮が拉致をするとは思っていなかったのです」
金大中事件とは、1973年8月に、のちに大統領になった金大中氏が、韓国中央情報部(KCIA)により千代田区ホテルグランドパレスから身柄拘束して船で韓国に送られた事件だ。
宇出津事件へのすばやい対応がなされなかった背景には、警察や政治家をふくめた当時の日本社会の、今とは異なる、朝鮮半島に対する認識があった。