迫られる「故郷をめぐる決断」

きょうのNスペ東日本大震災「動きだした時間〜”旧警戒区域”はいま〜」で、福島原発20キロ圏内の浪江町双葉町の住民が決断を迫られ動き出している様子を伝えていた。
東日本大震災から2年余り。復興が進む被災地の中で、唯一取り残されてきた地域が、ようやく新しい局面を迎えようとしている。福島第一原発事故により、『警戒区域』として立ち入りが禁じられてきた9つの自治体だ。去年始まった「避難区域の再編」が5月に全て完了。『帰還準備を進める区域』と、5年以上戻れない『帰還困難区域』とに分けられることになった。
それぞれの自治体と住民は、いま“故郷をめぐる決断”を迫られている。浪江町では、住民の8割が住む地区が「帰還準備を進める区域」に指定された。生活や仕事の再建のために帰る人たち。町の復旧事業課も6月から元の役場に戻る。想像以上に痛んだ家屋やインフラの復旧作業など、復興に取り組み始める。一方、双葉町では、5月末、住民の9割が住む地区が「帰還困難区域」に指定された。故郷を離れざるを得ないと決断する人たち。新しい生活の場を、どこにどう作るのか、住民の間では話し合いが始まっている。
番組では、故郷に戻る人と移住を選ぶ人、それぞれの今に寄り添い、深く傷ついた「旧警戒区域」でようやく動き始めた人々の“決断の重み”を見つめる。》(番組宣伝)
浪江町で事業を再開したある木工会社が、これまでこだわってきた福島県産の木を使う事を断念するが、きのう書いた、福島県で山形産の米を使わざるをえない話を思い出した。いくら実際の放射線量が低くても、風評被害を避けるためには他県の木を使うことやむなしと判断したのだった。
再開したのに、会社の廃棄物は野ざらしのままだ。線量は低いのに業者が産廃として引き取ってくれないから。社長が「理不尽です」と嘆いていたが、復興にむけ必死でがんばっている福島の人々を妨げているのは、「フクシマは危ない」という風評(という差別)なのだ。
双葉町から避難した人々の暮らしも見るのが辛かった。仮設や借り上げアパートにもう2年以上すむがストレスがどんどん強くなっているのがわかる。畑仕事をしなくなった高齢者はまともに歩けなくなり、かつてよく泊まりにきた孫たちは狭いアパートによりつかなくなり、みなが移住するか遠い将来の帰還を待ち続けるかの選択肢の前に思い悩む。
避難した先に新居を建てる決断をした人が、棟上式のあと、「ここは田舎(故郷)じゃない」と言って涙を流すシーンが印象的だった。
原発事故の最大の被害が、人々の生活そのものを根こそぎ奪ったことにあることを番組に突きつけられた。
原発事故の問題とは、ペットボトルでご飯を炊き、福島産のものを食べないことだと思う東京人と、暮しをマイナスの地点からたてなおさなければならない福島の人々との意識の乖離についても考えさせられた。
いま震災に関する番組は軒並み視聴率が低い。そうなると、震災番組がどんどん少なくなる。で、ますます人々の関心が低くなる。
テレビ局を視聴率主義と非難するなら、視聴者も見るべき番組を見なければ。