移住か復興かを問うた大熊町の選挙

takase222011-11-22

「天高く・・」と表現される秋の空だが、見上げるとたしかに高いような気がする。
「馬肥ゆる」とは、美味しいものがいっぱい収穫できてよかったね、ということじゃなくて、騎馬民族匈奴が精力の満ちた馬に乗って漢民族を襲ってくるぞという戒めの言葉なんだよと、高校の先生に習ったと思う。
今週末は、高校の同窓会懇親会だ。
さて、福島第一原発が立地する大熊町で、20日、注目の町長選挙が行われた。
町に戻るか、集団移住するかという根本問題が正面から争われたのだ。
大熊町長選は、「ふるさとに戻ることが原点」と主張した現職の渡辺利綱氏(64)が3451票を獲得、「帰れないことを前提に取り組む」と訴えて2343票を得た新顔の木幡仁氏(60)を破り再選を決めた。住民は町に戻って復興を目指すことを選択した。
 町には福島第一原発の1〜4号機があり、全域が警戒区域で全町民の避難が続く。原発近くではいまも高い放射線量が計測されており、町の将来像をどう描くかなどが争われた。
 渡辺氏は「帰れないと悲観的な町民が多くなっているが、ふるさとを取り戻すのが大事」と主張。当選を決め、「除染で住める環境をつくる。町としても復興計画をつくる」と語った。
 除染で出る土壌の中間貯蔵施設については「現実的選択として想定しないといけない課題。議会の代表も決まったので、町、双葉郡も含め議論していく必要がある」と述べた》(朝日新聞
 避難している町民が多い会津若松市いわき市で投票が行われ、投票率は68.34%だったという。町民が避難してばらけていることを考えると高い投票率だと思う。
実は、この問題は、事故後25年経ったチェルノブイリ周辺で、いまなお議論され争われている。
例えば、チェルノブイリ原発から東に70kmほどのウクライナ、ナロジチ地区。
ここは1平方キロあたり15キュリー(1平方メートル当たり55万5千ベクレル)以上の「第二ゾーン」=無条件移住地区で、本来は全員が外に移住しなくてはならない地域だ。
だが、実際にはたくさんの人が住んでいる。政府の財政難で、今も移住を待たされている人がいる。それどころか、役場も議会も学校もあって、町として機能している。
以前のブログから引用すると;
《役場に行ってみた。議会の副議長のプロコペンコ氏に話を聞く。
「ここに住み続けたいと思う住民も多くいるので、生活を向上させたい。子どもの数も増えている。学校生徒(8年制)は10年前の300人から500人になり、幼稚園には150人の園児がいる」
「第2ゾーンでは、経済活動はもちろん生活することも本来禁じられている。第3ゾーンになれば経済活動は自由にできるので、投資を呼び込むためにも、区域のカテゴリーを変えるよう政府に要請している」》
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110519
つまり、一方で「政府は約束した移住を早く実現すべきだ。そのための移住補償に予算をつけるべきだ」という意見と、「『汚染地区』の指定を取り消して、投資を呼び込み、本格的な発展をめざそう」という意見とがある。これはいつも選挙の争点になるという。
大熊町に戻ると;
事故原発が立地する町であるから、放射線量は非常に高い。常識的には、「ふるさとに戻る」のはむずかしいだろうと思う。おそらくそれも分かった上で、町民のみなさんは一片の希望にすがる思いで「戻る」に賭けたのではないか。
都会では実感のない「コミュニティ」が、田舎でははるかに重い意味を持っている。「危ないところからはみんな移住したらよい」と簡単に言うことはできないのである。
これから、除染と移住の問題は、本格的に被災地で議論されていくだろう。大熊町の選挙はその最初の節目だった。