飯舘村長泥の鴫原区長が語る人生論

takase222012-07-13

きのう、鴫原(しぎはら)良友さん―福島県飯舘村の「帰還困難区域」長泥(ながどろ)地区の区長―のお話会があった。
狭い店は30人近い人でぎっしり。みな熱心に、現地の生々しい話に耳を傾けた。飯舘村をながく取材してきた朝日新聞記者の依光隆明さんも解説してくれたので、とても分かりやすい。依光さんは注目される連載「プロメテウスの罠」の取材班キャップである。
大量の放射性物質が放出された3月15日朝、風が海から北西方向に吹き、しかも雪がなった。飯舘村とりわけ長泥地区の放射線量がきわめて高くなっている可能性を政府はすぐに察知した。その夜には文科省職員が浪江町山間部で330マイクロシーベルト/時を計測していた。しかし、その職員がもっと驚いたのは、17日に長泥で95マイクロシーベルトあることを確認したときだった。浪江町はすでに住民が避難して空になっていたのに、長泥には住民が普通の暮らしを続けていたからだ。
長泥にはその後、白い防護服を着た人々が測定器を持って測りにきたが、正確な情報を誰も教えてくれなかった。行政や学者がやってきては「大丈夫だ」と説明を繰り返した。
原発周辺の人はすぐに逃げたから被曝していない、一番被曝したのは我々だった」と鴫原さんはいう。鴫原さんが村を出たのは6月だった。人間扱いされなかったことに、毎日が憤りばかり。頭がおかしくなって、去年一年の記憶がとんでいるという。
情報を今ごろ出してきたが、誰も責任を取らない。自宅の除染もやってみたが半分くらいにしかならない。最低5年は帰れないというが、そのあと戻れるのか戻れないのか分からない。今は、土地も仕事も失い、高齢者は仮説住宅に引きこもっている。
おばあさんたちに、何か「仕事」を作れないかとはじめたのがタオルのゾウつくり。写真は、カンパでもらってきたゾウ。ミシンを使わずに一針一針手縫いだという。
何もすることがないほどつらいことはない、自分がいま何をしたいのかも分からなくなると鴫原さんはいう。
そして、私たちに向かってこう言った。
「忙しくてどうしようもない」「金がなくて困った」「仕事がうまくいかない」、こういうのが最高の幸せですよ。毎日、働いて生きるのがいいのです。みなさん、今の暮らしを大事にしてください。
全てを失った鴫原さんは、私たちに人の幸せを説いてくれたのだった。
横田早紀江さんが、「家族が一緒にいて、ご飯を食べたり、ときにはケンカをしたり怒鳴ったり。そういう普通の暮らしほど幸せなことはないんですよ」と言っていたのを思い出した。失って初めて分かる日常の有難さ。
お話会のあとは懇親会。
おれはこの人生を後悔したくない。だから後ろ向きにはならない。辛いこと、嫌なことがやってくると、「それきた」と喜ぶようにしている。これも試練だろうと前向きに考える・・
鴫原さんの人生論に感動し、つい飲みすぎてしまった。
また一人、被災地のすごいリーダーにめぐり会った夜だった。