石巻市立湊小学校避難所

takase222012-09-07

とてもいいドキュメンタリー映画を観た。
石巻市立湊小学校避難所」(監督・撮影 藤川佳三)。
http://www.minatohinanjo.com/
東京では、あと1週間しかやっていないので、きょう急いで紹介したい。
映画のチラシのフレーズがとてもうまく映画を紹介している。

2011年4月21日から2011年10月11日まで。
テレビならまっさきにカットしてしまいそうな
日常の風景と本音のつぶやき。
フツーじゃないのにフツーみたいに
家族じゃないのに家族みたいに。
心で泣いて一緒に怒って一緒に笑った。
石巻市立湊小学校避難所の6ヶ月。

藤川さんが半年もの間、校庭に駐車した車の中やテントで寝ながら、一人で避難所の小学校に密着した。その映像は、「テレビならまっさきにカットしてしまいそう」というのは、そのとおりで、冒頭からどぎもを抜かれる。
校庭で、遠路はるばる被災者を励ましにやってきた女性のゴスペルグループが「ふるさと」を熱唱している。カメラのそばで誰かが罵っている。カメラがパンすると中年の女性。
「ありえない!何様だと思ってるの?
私たちには夢も何もありえない、こんな状況で。帰る故郷がある人が歌うのがふるさと。われわれはここが故郷。がれきの中」
吐き捨てるように言うのは映画の登場人物の一人、工藤弘子さん。
この工藤さん、支援で届いた大量の衣類を整理するときにも、こんな服は着れない、「いくらタダで頂けても私はいらない」と悪態をつく。届く支援物資の中には、廃品同然の要らなくなったモノもたくさん混じっていた。それでも被災者は、感謝していただかなくてはならないのか、と苛立ちの気持ちが出るのだ。
こんなシーンは、テレビ番組ではとても流せない。放送したら支援が減るかもしれない。「公共放送」としての「政治的」判断で当然カットされるだろう。
この映画にはお行儀のよい避難所「住人」は出てこない。しかし、避難所は実に明るく、辛いことも冗談にして、笑い声がいつも絶えない。たまたま一緒になった避難所仲間は強い絆で結ばれ、親戚のようになっていく様子は素晴らしい。人間くさいリアルな姿がかえって深い感動を呼ぶのだ。
もっとも印象に残る登場人物は、70歳を迎える村上愛子さん。(写真)
震災二日後に半死半生で救出された。いつも明るくふるまう、童女のような可愛い女性で、子どもたちからも「愛ちゃん」と呼ばれて慕われている。
愛ちゃんが仮設住宅に当たった。仮設住宅をはしゃぎながら見て回る愛ちゃん。
そのうち床に座り込んだ。さめざめと泣いている。
津波で凍っていた心が溶けたから、涙ばっかいっぱい出る」。
家を確保した安堵のなか、はじめて一人になったとき、出てきた涙。避難所での明るいふるまいを支えていたのは、「凍った心」だったのか。では、あの避難所の笑い声は何だったのか。
観る人に、人間とは何だろうと考えさせずにおかない、圧巻のシーンである。
ところで、予算の制限があるテレビ取材では、ここまで取材対象に入り込んだ密着はできない。さっきのシーンは「撮影してもカットされる」のだが、こういうシーンは「テレビでは撮影できない」。この映画で、テレビという媒体の限界がよく分かる。
まあ、こういう面倒な話は抜きにして、実にいい映画なので多くの人に観ていただきたい。
「人は愛すべきものだな」と思いながら自然に涙が出てくる秀作である。