戦争はクレージーな若者を成長させた

takase222012-09-05

北朝鮮は大変なことになっているようだ。
アジアプレスの石丸次郎さんは、北朝鮮の国内にジャーナリストを育てるという壮大なプロジェクトを立ち上げている。だから石丸さんの下には非常に貴重な内部情報が集まる。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110113
きょう、石丸さんと電話で話すことがあって、北朝鮮の最新情勢を聞いたら、「90年代末以来の事態」だそうだ。90年代後半、北朝鮮で大飢餓が発生、300万人が死亡したとされる。いま、地方、とくに黄海道(ファンヘド)で、再び非常に多くの餓死者が出ているというのだ。
いま、テレビなどでは平壌の町が見違えるように明るくなっているという報道ばかりだ。いわく、若者は携帯電話を持っている、遊園地では楽しそうに家族連れが楽しんでいる、しゃれたファストフード店もできた・・・。これは、地方の地獄をカモフラージュするにすぎないのではないか。
これについては、近く、石丸さんが詳しく発表するだろうから、注目したい。
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平敷安常の本『サイゴン・ハートブレーク・ホテル』に出てくるベトナム戦争を取材したジャーナリストたちの中で、強く印象に残ったのが、イギリス人のティム・ペイジというカメラマンとその仲間だ。
ティムは旅好きで、18歳のときに国を出てバイクで東南アジアを走っていた。ラオスで旅費を稼ぐためにバイトしていたらクーデターが起きた。それを写した写真が特ダネになって、サイゴンのUPI支局カメラマンに採用される。
カメラマンの経験はそれまで皆無だったがバイク1台、カメラ1台と100ドルだけ持ってサイゴンに向かった。21歳になったばかりだった。こんな小説のような話が当時はごろごろあったようだ。
ティムは、戦場では命知らずで、23歳まで生き残れないだろうとみなに言われた。被写体に誰よりも近づいて撮影することで知られ、生死をさまよう重傷が4回、軽症は数え切れない。かつてバイク事故で死にかけて助かり、自分は不死身で、後の人生はおまけだと考えるようになったという。
映画『地獄の黙示録』のデニス・ホッパー演じる戦場カメラマンは、ティムがモデルと言われている。
のちにベトナム入りする一ノ瀬泰造は、若いころのティムに「気性も写真の撮り方もよく似た雰囲気だった」そうだ。
ティムは、文豪スタインベックの次男が率いた「ディスパッチ」という小さな独立系通信社に加わる。ユニークなフリーが集まり、誰も行かないような危険な前線で写真を撮ってきては、夜は酒とドラッグと女に溺れるという、クレージーな集団だった。
この「ディスパッチ」はしかし、優れた仕事をした。
コンソン島にあった政府の政治犯虐待施設「虎のオリ」の存在を暴露したのは「ディスパッチ」のメンバーだった。また、「隠蔽されていた『ソンミの大虐殺』も、『ディスパッチ』のネットワークで世に出た」のである。
犠牲者も出ている。メンバーの二人がカンボジア奥地へ入り行方不明になった。ポルポト派に殺されたと見られる。いま生き残っているのは、23歳まで生き残れないといわれたティム一人だけ。
平敷は彼についてこう書いている。
「戦争が終わる頃は、素晴らしいフォト・ジャーナリストに成長していた。ティムは、戦争が勝れたジャーナリストを育てた好例だといえる」。(P20)
「40年前、ノンポリで、アルコール依存症で、ジャンキーで、クレージーなカメラマンだったティムは、誰よりも戦争を憎むジャーナリストに生まれ変わった」。(P32)
(つづく)