被曝による死と「間接的な死」

takase222013-08-24

先日、福島県会津に行った話を書いたが、あれは『ガイアの夜明け』(13日OA)で紹介した中高年の素人モデルによるファッションショー「ガモコレ」(巣鴨コレクション)が会津若松で開かれたのを取材に行ったのだった。
実はこれ、「ガモコレ・イン会津若松+大熊2013」といい、モデル20人の半数は原発事故で被災した大熊町の人だった。会津若松市には今も大熊町2500人が避難生活を送っており、町役場もここに置かれている。
写真は会津若松市に13ある仮設住宅の一つ「城北小学校北応急仮設住宅」。
避難者は、仮設住宅か借り上げ住宅に暮らすが、避難生活というのは、長引けばそれだけストレスが強くなるという。みな「もう2年半だよ」と疲れきった顔である。この仮設でも、ゴーヤで緑のカーテンをはったり、植木鉢やプランターに色とりどりの花を植えたりしてあって、避難生活の長さがうかがえた。一方で、全く手を入れていないお宅もあり、高齢者で家事もままならないのか、あるいはどうせ仮住まいと放ってあるのかと気になったりする。
「ガモコレ」でモデルになる還暦過ぎの一人の女性に、自宅(借り上げアパート)で話をうかがった。
アルバムで、数年前、夫の退職金で建てた自宅の写真を見せてくれた。庭にはバラをはじめたくさんの花が咲きほこり、「近所の人がお花を見にくるほどだった」という。近所に娘一家がおり孫がよく遊びに来て、これ以上の幸せはないという暮らしだった。
「それが、原発事故で、天国から地獄に落ちたのよ」。
事故が起き、はじめは2〜3日で戻れると思って、身の回りのものと貯金通帳だけを持って家を出たと言う。そのまま体育館での避難生活が続き、ここは3ヶ所目の避難場所だ。
必要なものを取ってくるため何度か自宅に行ったが、放射能をかぶっているからと、衣類や家具はみなそのまま置いてきた。私に見せているアルバムは、持ち帰った数少ないものの一つだという。
この女性は、避難してしばらくすると、味覚がおかしいことに気づいた。味がわからなくなったのだ。ついで、耳が聞えなくなった。視覚異常も出てきたある日、急に立てなくなった。車椅子で病院に運ばれ、脳のスキャンを受けたが異常なし。
結局、「うつ病」の一種という診断で、今も治療中だ。とても元気に受け答えをする人で、一見「うつ病」とは無縁に思うが、それは「薬を飲んでるから」だという。
仲間にもたくさん「うつ病」の人がいるそうだ。
避難が心身に与えるダメージの大きさをあらためて考えさせられる。
前回紹介した今中哲二氏は、チェルノブイリ事故による死者数について、以前からこう主張していた。
「間接的な死者数は、被曝による死者数と同じ程度」。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/imanaka-2.pdf
「被曝では説明できないほどの健康悪化」が報告され、社会インフラの崩壊、失業、避難・移住のストレスによって引き起こされたとみられる。これによる死が「間接的な死」ということだ。
ほとんどの研究者が、被曝による健康被害だけを問題にするなか、今中氏の見解は新鮮だった。そして私自身も、チェルノブイリ取材でこの見方に傾いたのだった。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110817
(つづく)