情熱大陸「石巻日日新聞」

takase222011-09-12

昨夜、「石巻日日新聞」を主人公にした「情熱大陸」が放送された。
この新聞社については7月に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110726
きのうの放送では、番組史上はじめての生中継を行なった。
私は、きのうの朝、納品用VTRを持って大阪に行き、放送が終わるまで毎日放送のサブにいた。サブというのは、モニターが並ぶ副調整室で、ここから日日新聞の中継者と結んでキュー出しをする。最後の中継では、秋山記者と武内報道部長の二人の生の語りもあり、予定通りいくのか、はらはらして見守った。
月齢はほぼ満月なので、中継のオープニングは、きれいなお月様かなと思っていたら、あいにく石巻では曇りで雨もぱらついたという。それ以外は、すべてうまくいった。
中継をやってよかったと思った。新聞社の社屋をたんたんと写すだけでも、「いま」という迫力は録画済のVTRとは違う。
これまでの情熱大陸とは、生中継を使ったことでも、「新聞社」という主人公の設定も違っていて、いわば挑戦だったのだが、視聴率はとてもよかった。
放送前、中継のために石巻に行っていたスタッフからこんな電話があった。
「3時前にサイレンが鳴りました。火事でもあったのかと思ったら、半年前の地震の時刻に鳴らした追悼のサイレンでした。報道部の中で、武内部長が泣いていました。窓から外を見ると、通りにいる子供たちがみな、立ち止まって黙祷を捧げていました」
11日は、追悼と鎮魂の行事が多かったようだ。12日付の日日新聞の1面記事は以下の通り。(写真も)
石巻地方で5600人以上が犠牲となった未曾有の東日本大震災から6か月にあたる11日、各地で追悼と復興に思いを込めた催しが数多く行われた。「もう半年」「まだ半年」―。流れた時間は同じでも、一人ひとりの受け止め方は異なり、心情もさまざま。地震発生時刻の午後2時46分になると、各市町の会場ではイベントを中断して震災犠牲者に黙とうを捧げた。
 石巻駅前にぎわい交流広場ではこの日、地元業者が復活した?石巻の味?などの出店を並べ、市民団体が獅子風流や歌、踊りをステージ発表する「がんばろう!石巻祭り」(電化生活館石巻・女川主催)を開催。午後3時から中村雅俊さんがスペシャルゲストで登場するとあり、大勢の市民が会場を埋めていた。
 2時46分、防災無線からサイレンが鳴り、1分間の黙とうを呼び掛けると、客席の市民らはじっと目を閉じ、犠牲者の冥福を祈った。
 幼なじみの村上知昭さん(70)=石巻市新橋=と佐藤清さん(同)=同市南中里=は震災以来、この会場で偶然、再会。互いの無事を喜ぶとともに、現状を報告しあった。100人の同級生のうち3人が犠牲となったことが分かっている。まだ状況が分からない人もおり、今後、増えるかもしれないという。
 震災からの日々を振り返ながら、「何もかも行政のせいにすることはできないが、すべてが遅い。石巻は今後どうなるのか。もっとスピーディに物事を進めてほしい」と訴えていた。

番組直後、メールやツイッターで何人かから感想が寄せられた。知り合いも、会ったことのない人もいるが、以下に紹介する。(一部文章を略し、変えてある)
「『僕らはジャーナリストではない。”ローカリスト”だ』、この記者の言葉にはハッとさせられました。そして報道部長の『この震災取材を通して、若い記者が鍛えられ、育っていった』という親御心にも近い、嬉しそうな表情も良かったです。そして何よりも心を打ったのが漁師の言葉でした。
『寒い時に暖かい毛布が嬉しかった。いつか必ずお礼をしなけりゃな』仮設暮らしで、船も失い、まだまだ自分達の生活が苦しいにもかかわらず支援をしてくれた名もなき人々に感謝し、気遣う心の優しさ・・・。
思わず目頭が熱くなりました。
事実、台風12号で大きな被害を出した和歌山の新宮市に、姉妹都市になっている宮城県から、新米などの支援物資が届いたというニュースを見ました。
記者たちが、みんな色んな社会経験を経てきた経験が、こういう困難な時に生きてましたね。エリートばかりだったら・・・・。まさに野武士たちでした。良い番組をありがとうございました。私も「元気」をいただきました」(フリーのディレクター)
「今日一日の報道の嵐の中のまとめのように静かな最後のライブ映像。
感動的な番組を見せていただきました。
自分自身も、(仕事がなくても)生涯、豆粒のような存在ではありましたが、プロであった日々を忘れない生き方をしたいと強く思った次第です。ありがとうございました」(もと民放のアナウンサー)
ツイッターでは;
「自分も記者志望で今年就活していた。結局すべて落ちたが、報道番組やドキュメンタリー番組の制作会社から内定をもらった。今日の情熱大陸は自分にとって宝物になった。見てよかったです」
「現実を見つつも何とか自ら進もうとする前向きな気持ち、動き、足掻きを感じました」
「生中継大変だったと思いますが、それがとても説得力のあるいい効果になってるように思いました。ナレーターさんも大変でしたね。今日は東北のことを思ったり、NYのことを思い出したり、色々なことを思う一日でした」
「最後のライブも、番組の内容も良かったです。やっぱり、高世さん、ジンネットが作る番組のファンです。見て良かったです」
「胸が熱くなりました。それぞれの記者さん、インタビューに答えている地域の人たち」
「被災地の方の心の痛みに寄り添う、親身な報道を心がけ、復興を待ち望む方々に希望を与えようとするひたむきな姿には敬服しました。記者の方が「私たちはジャーナリストではなく、ローカリスト」だと語った言葉は印象的でした」
「番組の最後が、生のインタビューだったので、ちゃんと尺どおりに収まるのか、ナレーションも読み切れるのか気になりました。さすが生の醍醐味です。おつかれさまでした」
「なんて素晴らしい記者さん達…と感動でした。有難うございました」
「自省を求められる、よき番組でした。政治家のあげ足取りに血道を上げる、大新聞の記者たちに見せたい番組でした。欲を言えば、大川小学校のパートをもう少し見たい気がしました。お疲れさまでした」
私も、仕事をするというのはどういうことかな、などいろいろなことを考えさせられた。
彼らの番組を制作できたのは、私にとって光栄である。
応援のお願い
石巻日日新聞は、ページ数が震災以前の半分の4ページになり、購読料を1780円から1280円に値下げ。売上は6割も減って厳しい経営を強いられている。社員の給与もカットされた。それでも2500部を避難所に無料配布してがんばっている。関心のある方はWeb版を購入して応援してください。
http://www.hibishinbun.com/