桃始笑(ももはじめてさく)

二十四節気では5日から「啓蟄」。
それぞれの節気を初候、次候、末候の三つに分けて七十二候。きょう10日からは、啓蟄の次候の桃始笑(ももはじめてさく)だ。昔は「咲く」を「笑う」と表現したそうだ。花が笑う、いいですね。

いろんな花が咲き始めている。こないだ、線路のそばに桜が咲いていた。
早咲きの「かわづざくら」。原木は静岡県河津町にあるそうだ。

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もうあれから5年か。
地震津波による直接死が、行方不明含め1万8385人。震災後の避難生活による体調悪化などが原因の「震災関連死」が3県で3405人にのぼるという。自殺なども認められる場合がある。
遺族側が市町村に審査を求め、「認定」されると、生計を支えていた人は500万円、それ以外は250万円の災害弔慰金が支給される。孤独死などで審査を求めないケースもたくさんあるだろう。
福島県では今も9万9千人が県内外に避難しており、関連死(福島県で2026人)が直接死を上回ったという。
東京新聞には「原発関連死取材班」というのがあって、ここが、福島第一原発事故で避難した後、病状や体調が悪化して死亡した人を、独自に「原発関連死」として集計したところ、少なくとも1368人にのぼるという。福島県の「震災関連死」の67%が「原発関連死」ということになる。
将来の展望のないままに時間がすぎ、精神的にも「折れ」てしまう人がこれからさらにたくさん出てくるのではと心配だ。
巨大堤防や高台移転などの土木工事は人口のキャパシティを超えた規模で進んでいる。しかし、いくら土地やハコモノを用意しても、商店やクリニックや郵便局などができなければ住みたくない。集落として機能する町をどうつくるかの具体的な施策と心のケアなど、被災者の不安に応えることにお金を使うことが大事だ。
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去年、宮城県のある被災地に行ったとき、驚いたことがあった。
現地のボランティアの運転する車に乗せてもらっていた。
「あれ、この道じゃなかったっけ?」
道が分からなくなったという。道路がどんどん「交代」するというのだ。
ガレキを撤去したころまず「仮設」の道路ができた。しばらくすると、別の道路がつくられて、こないだまでの「仮設」道路はつぶされた。ところがその新たな道路も「仮設」だとされ、2年ほどしたら別の新築の道路に置き換えられた。
「いつになったら、『仮設』じゃない『ほんちゃん』の道路ができるんだよ!」と道に迷ったボランティアは言う。
さらに・・・
その町にはいくつもの「ピラミッド」がある。工事用の大量の土砂をきれいに積み上げているのだ。

ところが、そのピラミッドが何度も動くのだという。これも道路と同じように「仮設」置き場から「仮設」置き場へ移動するというのだ。
その作業をやっている業者に、住民が「あっちこっち、すごい量の土砂を移して大変ですね」と声をかけると、業者はこういったそうだ。
「いや、我々、1リューべ(立方メートル)いくらで仕事を請け負っているんで、仕事が途切れなくていいです」。
おそろしい予算の無駄遣いが現場で起こっているようなのだ。
町の人たちも知っているのだが、問題にならずに「復興」は続いている。
メディア、政治家はこれまで5年間の復興予算の使い道をきびしくチェックせよ。