朝日歌壇。わこさん入選。
青じそのおいしさに気づいた私こうして人は大人になるんだ 松田わこ(馬場選)
青じそとかミョウガとか、何であんなものが美味しいと大人は言うのだろうと不思議に思っていたら、自分も美味しいとおもうようになった。それが大人になっていくことなのか。気づきをわこさんらしく、ストレートに歌にしている。
一方で、シリアに関する歌も。
観光地ならざる地名知ることの多くは戦地アレッポもまた 伊東紀美子
さらには、北朝鮮での遺骨収集までも。
こも被せ大八車で墓地に行く咸興日本人収容所の冬 (日向市)小谷敦司
咸興(かんこう)は、「ハムン」と発音し日本海に面した町だ。ニュースで、不安と絶望のなかにあった当時が思い起こされたのだろう。もしかして、次の歌もそうなのか。
荒筵(むしろ)かぶされて友ら山道を担がれゆけり六十七年前 (熊本市)高添美津雄
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きょうは、テレ朝でジャーナリスト安田純平さんのスタジオ収録に付き合った。14日の朝日ニュースター「ニュースの深層」で放送される。20分以上のVTRとトーク30分でたっぷりとシリアを論じる。題して「ジャーナリスト安田純平が見たシリア緊急取材報告」。http://www.tv-asahi.co.jp/newstar/detail/d_newsnoshinso/
CSをみられる方はぜひごらん下さい。
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さて、ジャーナリストがなぜ戦場をめざすのか、のテーマに戻ると・・
ベトナム戦争のようにメディアに大きく取り上げられる場合には、さほど実績のない者でも「仕事」になる。戦争は比較的容易にカネになり、短時間でスターになることさえできた。
ベトナム戦争を取材した石川文洋さんは、「お金より、記録として残ることが、張り合いになった」という(9月4日朝日新聞)。当時は、戦地の写真が雑誌の表紙や巻頭カラーを飾った時代だった。自分の写真が巻頭に載ることは、名誉であり誇りであった。
ジャーナリストが戦場や危険地へ行くことは、奉仕活動ではなく「仕事」である。先に紹介した橋田信介さんの、「ヒマだから早く戦争はじまらないかな」という不謹慎とも思える発言も、「はやく仕事をしたい」ということなのだ。
しかし、人はただスクープを撮ってカネにするというだけにとどまらない。クレージーな一発屋たちも次第に成長するのだ。
スクープだ、やったー!と単純に喜んでいた青年も、経験を積みながら、戦争とは何かを考え、それぞれの世界観を形成し、独自の表現方法を編み出してゆく。これは、大工、俳優、銀行家、どんな職業でも同じだと思う。自分のいる「点」を全体の構図の中に位置づけようとしていくのである。
ロバート・キャパが、地雷で死亡するインドシナ戦争の取材に行く前に、「この取材に行くのは実に嫌なんだ。金がいま必要でなかったら行かないのだが。それにもう戦争はたくさんだ」と言ったという。
戦争取材が好きなわけではなく、とりあえず金を得る手段だった。しかし、写したいテーマはあらかじめ構想していた。「苦い河」または「苦い米」という仮題で、戦争で難を受ける農民たちに焦点をあてたものだった。
最前線の兵士の前に出るほど危険きわまりない取材をしたキャパが、戦場に生きる民衆へと視点を変えていったのだった。
(つづく)