くじらから世界が見える 2

takase222012-06-14

野田政権は、いよいよ末期的だ。
書きたいことはあるが、きょうは、小学5年(下)国語教科書(学校図書)に載っている白石ユリ子「くじらから世界が見える」の続き。

 仮に「くじら」を「羊」におきかえて考えてみましょう。羊をかわいらしい動物、羊毛をとる動物としてしか見たことのない人や、羊を食べる習慣のない人たちは、羊を殺すなんてかわいそうだ、と思うかもしれません。けれども、昔から羊を食べてくらしてきた人たちにとっては、羊は食べ物なのです。
 くじらをとることに反対の国の人たちは、たとえくじらが増えていても、とってはいけないと言っています。そして、地球環境や動物の保護のシンボルとして、「くじらをとらないことはいいことだ」と考えています。
 でも、海の近くで漁業によって魚を食べている人たちもいます。北ヨーロッパノルウェーアラビア海に面したオマーン、日本などの漁業国では、くじらが増えすぎて他の魚を食べてしまうので、漁師たちはこまっています。漁師が追っている魚を群れごとくじらが飲みこんでしまうからです。
 日本は海に囲まれた漁業の国です。ずっと前から、毎年少しずつくじらをとって、肉を食べるだけでなく、歯でくつべらを作ったり、油をランプに使ったりして、くじらを丸ごと利用してきました。
 日本では、くわしい生態の分からないくじらについて、その種類や数、何を食べているかなどを調べ、それに合った管理方法を作る必要があると考えました。そしてその調査の結果、くじらが食べている魚が、世界じゅうの人のとっている魚の三〜五倍になっていることと、ほとんどのくじらが増えていることが分かりました。

 二〇五〇年、世界の人口は八十九億人に達すると予測されています。世界の食料について考える国連食糧農業機関(FAO)は、今のままでは食べ物が足りなくなると、世界の国々に呼びかけています。
 わたしたちが食べている作物のさいばいや、牛やぶたなどの牧畜に使う土地は、地球全体のうちの四分の一である陸地の、そのまた何分の一かです。牧畜をする土地や、作物をさいばいできる土地が無限にあるわけではないのです。
 一方、地球の表面の四分の三をしめる海については、まだまだ分からないことが多いものの、海は未来の食料資源の宝庫として、さまざまな可能性をもっています。くじらをふくめた海洋性の食料資源を、もっと活用したいと考えるのも、もっともなことです。
 しかし、人間にとって必要だからといって、くじらも魚もとりすぎてはいけません。海の生き物たちがいなくなったら、人間も、生きてはいけなくなってしまいます。

 太陽系でただ一つ、生き物がいる星、地球。
 海があり、森林があり、たくさんの植物や動物たちの命をつないでくれる地球。わたしたち人間もその輪の中に生きています。みみずもいます。虫もいます。鳥も魚も生きています。そして、みんな、何かを食べて生きているのです。
 それぞれの生き物は、みんなすむ場所も食べる物もちがいますが、それぞれがかかわり合いながらバランスをとっています。ですから、一つの生き物だけ、例えばくじらだけが増えてしまうと、海の生き物たちそれぞれのバランスや海の環境がくずれてしまいます。
 まず、海の生態系を、わたしたちがもっと知りましょう。それに関心をもってください。それが、環境を守ることにつながるのです。
 むかし、鯨といえば、肉が小学校で給食に出てきたほか、「肝油」を飲まされたことなどを思い出す。当時、くじらは肝油の原料にもなっていたそうだ。
 日本人を農耕民族などと表現する人もいるし、日本は「ものづくり」の国だという人もいるが、白石さんは、日本を「漁業国」と規定し、これからも私たちが海としっかり結びついて生きることを提唱している。
写真は、小学校で児童といっしょに魚を料理する白石さん。
大震災で、ただでさえ落ち目の漁業が、東北で大打撃を受けた。直後からWFFは大車輪で救援、復興に尽力しているので、私はこの団体を通じていまも支援金を送っている。
関心のある方は、WFFのHPをご覧ください。