スーチーさん67歳の誕生日

takase222012-06-17

きょうは、アウンサン・スーチーさんの67歳の誕生会に参加してきた。
会場(中野サンプラザ13F)には300人ほどの人々が集まった。ざっと7割以上はミャンマー人で、色とりどりの民族衣装も目立った。ミャンマーには130もの民族が住むのだ。

スーチーさんはきのう、ノルウェーで21年前に受賞したノーベル平和賞の受賞スピーチを行ったが、その映像が会場に流れた。参加者には難民として日本に逃れている人も多かったが、みな晴れやかな笑顔を見せていた。民主化が進展していることを実感する。
一方、ミャンマー西部のラカイン州では、住民同士の衝突で非常事態宣言が出るまでになっている。
ミャンマー政府関係者はAFP通信に対し、同国西部のラカイン州で起きた仏教徒イスラム教徒の衝突で、最近5日間で25人の死者が出たと語った。同通信が12日伝えた。 ラカイン州では、イスラム教徒3人が先月末、仏教徒の少女に性的暴行を加えたことをきっかけとして、衝突が起きた。 これに先立ち、テイン・セイン大統領は今月10日、宗教紛争が拡大すれば、ミャンマー民主化に影響を与えかねないとして、ラカイン州に非常事態を宣言した。しかし、州都シトウェでは、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ族がデモを行い、一部が住宅街に放火するなど、暴徒化している。警察は警告射撃をしながら、デモ隊を解散を試みたが、事態は収拾できていないという。 ミャンマーでは、ロヒンギャ族バングラデシュからの不法入国者として扱っており、ロヒンギャ族が多いラカイン州では地元住民とのあいだに長年のあつれきが存在する》(12日)
ロヒンギャは130の「民族」には含まれず、「地元住民」のアラカン族から見ると、バングラデシュから逃げてきて住まわせてやっている「難民」。いつもロヒンギャが海外メディアや人権団体に、抑圧されたミャンマーの「少数民族」として取り上げられるのはおかしいと、アラカンはじめほとんどのミャンマー人は言う。
きょう、会場で何人かのミャンマー人から、今回の衝突でも、海外ニュースで、ロヒンギャが、一方的に仏教徒(アラカン族)にやられている被害者に描かれているのを憤慨する声をきいた。
日本に逃げてきたロヒンギャはたくさんいるが、こういう雰囲気の中、きょうのスーチーさんの誕生会には姿を見せなかった。民主化が進み、軍政のタガが緩む中で、コミュニティ間の争いが火をふいている。この問題についてはいずれ書きたい。

野田政権が、大飯原発3、4号機の再稼働を決めた。
決定の直前、飯舘村の村長、菅野典雄さんの文章を読んだ。
飯舘村は厳しい自然環境のなかで、50年、100年とかけて農業を中心に築いてきました。それが原発事故で土地が汚され、全村避難になり、完全には元に戻ることはできなくなりました。はらわたが煮えくり返る思いです。
 大量生産・大量消費・大量廃棄、原発依存によるエネルギーの大量消費、お金がすべてという風潮のあり方を見直すのが、村づくりの考え方でした。原発事故に見舞われて、このことが今、日本全体にも問われていると思います。
「国民生活を守るための原発再稼働」と首相はいいましたが、その「生活」は、従来型の効率一辺倒の社会生活のように思えます。
 本当の豊かさとは何かということを考え、新しい社会を次の世代にバトンタッチしていく時です。その見通しを示すことを、日本丸の船長の役割としていただきたい。
 原発事故の原因も、今後の方策もはっきりしないなかでの再稼働は、納得できるというものではありません》(赤旗14日)
政府からは、こういうまっとうで格調高い訴えがまったく出てこない。
15日には、飯舘村の区域再編が決まった。
《政府の原子力災害対策本部が15日に決定した飯舘村の区域再編で、長泥行政区が当面帰村できない「帰還困難区域」、残る19行政区は「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に再編される。新区域への移行は7月17日。村は帰還困難区域と一部の居住制限区域を除き、2年後の避難指示解除、一斉帰村をめざす》(朝日新聞16日)
中央の政治が迷走するなか、地元では、菅野村長はじめリーダーたちが必死に奮闘している。