チェルノブイリ報道のエピソードから2

takase222012-02-04

遅い朝食を食べながらテレビをみていたら、一つ向こうの駅、国分寺の里芋コロッケというのが紹介されていた。
かみさんが、横目でみてて「あれ食べたい」と言い残して、仕事に出て行った。散歩がてら南口の小さな肉屋「丸愛」を探した。テレビをみてたくさんお客が来たそうだ。ちょうど揚がった「里芋コロッケ」と「インカのめざめコロッケ」を買う、一個100円。
帰りは、「お鷹の道」という遊歩道を通る。(写真)この辺、尾張徳川家の御鷹場だったそうだ。
しかし、こんなことをしている場合じゃない。テレビ用企画3本書くのと、出版予定の本の原稿を2月中に書くのと、きょう締め切りの原稿と、来週の講演の準備と・・・。思い直して、昼からはひたすらパソコンに向かう。
そういうわけで、ブログがちょっと途絶えるかも知れませんが、ご容赦を。
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パナソニックが7800億円という巨額の准損失の見通しと発表した。
他の電器メーカーや自動車メーカー、つまり日本の黒字を支えてきた花形産業の企業が軒並み危ないことになっている。
一方、サムスン電子は過去最高の売り上げ(約11兆3000億円)で営業利益は1兆1100億円。これまで、営業利益1兆円を超すことができたのは、アジアの製造業ではトヨタサムスンだけ。今年、トヨタはぼろぼろだから、サムスンはまさにアジアを代表する企業になっている。
日本は韓国ブランドが浸透していない例外国なのでピンとこないかもしれないが、外国の空港に降り立つとすぐにサムスン、LG、現代などの存在感に圧倒されるはずだ。スマホに詳しい友人たちは、サムスンのギャラクシーはデザイン、性能、操作性すべて日本メーカーをしのぐと言っていた。
パナソニックの大坪社長が、会見で「競合する韓国メーカーの技術力、デザイン性など学ばなければならない」と語っていたのが印象的だった。
キャッチアップできるとも言ったが、これだけの赤字だと、設備投資は控えざるをえないし、研究開発や営業強化などに回すお金もなくなるから、差はますます開くのではないか。
何とかしようと、研究開発部門ばかりか本社機能まで海外に移す動きもあるようだ。「昔はソニーって日本からはじまった会社だったらしいよ」などと言われる時代がくるかもしれない。
政府には、企業を助ける施策ではなく、国内に職場を作るための戦略を早く立てて実行してもらいたい。
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こないだの長岡校長のメルマガ。
いなかの餅の食べ方の多様さに驚いた人もいただろう。私は、お正月の餅の食べ方で好きなのは、まず、雑煮、あんこ、納豆の順か。砂糖と醤油をまぜた「砂糖醤油」につけて食べるのもうまい。
サトウの切り餅が出てきたときは、餅はハレの食べ物なのに、とちょっと抵抗感があった。こういう切り餅の普及が、いなかへの磯辺巻きの浸透のベースになったのだろうか。
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さて、前回の後半部分を紹介しよう。
《その次の強烈な記憶は、事故から4カ月後でした。ソ連指導部は1986年の8月、ウィーンにある国際原子力機関IAEA)に詳細な事故報告書を提出しましたが、これを当時の朝日新聞ウィーン支局長が入手し、世界的な特ダネとして報じたのです(8月16日付の朝刊)。日本のメディアが世界を揺さぶるようなスクープを放つこと
はめったになく、堂々の特ダネでした。
 後に外報部に配属になった時、この報告書を入手した元ウィーン支局長から取材の裏話や、ファクスで報告書を受け取った東京サイドの苦労(ロシア語の長文の報告書を読みこなし、記事にまとめるのは容易ではなかった)を聞きました。世界的なスクープを手にした時の高揚感と緊張感に触れ、「いつか自分も」と力んだことを思い出します(もちろん、そんな機会はなかったのですが)。
 ソ連当局のその報告書は、チェルノブイリ原発の運転員たちが信じられないような規則違反を何重にも犯し、それが破局につながったと結論づけていました。事故による放射能汚染はそれまで公表されていたよりも、はるかに広範囲に及ぶことも明らかにしていました。
 この時の紙面の印象が強烈だったからでしょう。私は当時からずっと、チェルノブイリ原発事故の主たる原因は「規則をきちんと守らなかった原発運転員たちの職務怠慢である」と思っていました。チェルノブイリ原発の原子炉が減速材として黒鉛を使う独特の原子炉であり、日米で使われている水を減速材とする軽水炉とは違って制御が難しいことは知っていましたが、「事故の主因は人的なもの」と思い込んでいました。
 ところが、七沢氏はこの本の中で、事故から5年後にソ連当局が「事故の主因は人的なものではなく、黒鉛減速チャンネル型炉の構造的な欠陥である」との報告書をまとめていたことを紹介しています。ソ連国家原子力安全監視委員会の副委員長だったニコライ・シュテインベルクがまとめた、いわゆるシュテインベルク報告書(1991年)です。
 黒鉛炉で核分裂を抑制するために挿入される制御棒には、挿入時に気泡を発生させる弱点があり、ある条件が重なると、制御棒を一斉に入れた際に核分裂反応が逆に急速に進む危険性があること。従って、制御棒の扱いや原子炉の運転には特段の配慮が必要であり、規則を厳格に守らなければならない、というのです。

 ソ連原発運転員たちはそうした「黒鉛炉にひそむ弱点や欠陥」について全く知らされておらず、「電源喪失時にタービンの慣性回転によって少しでも発電し、非常電源として使えないか」という難しい実験を迫られ、規則から外れて実験を続けざるを得ない立場に追い込まれていった。それが事故を引き起こしたのであり、人的なミスを事故の主たる原因とするのは間違いである、とこの報告書は指摘しているというのです。
 事故原因の究明がなぜ捻じ曲げられてしまったのか。七沢氏は、その背景にも踏み込んでいます。事故直後から黒鉛炉の欠陥を指摘する意見はあったが、黒鉛炉の設計者はソ連の原爆および原発開発の功労者であり、科学界の重鎮であった。当時のゴルバチョフ書記長ですら、責任を追及できる状況にはなかった――激しい権力闘争の末に、運転員に責任をかぶせることで妥協が図られた、というのです。
 事故後のこうした経緯は、チェルノブイリの事故を息長くフォーローしてきた人々にとってはよく知られていることなのかもしれません。しかし、わき目でチラチラと見てきただけの私には、ひどく衝撃的な内容でした。
 ソ連の事故報告書に関する朝日新聞のスクープはもちろん立派なスクープですが、報告書そのものがソ連指導部の妥協の産物であり、真の原因が黒鉛炉の構造的な欠陥にあることを覆い隠すことを目的として作成されたのであれば、その報告書を大々的に報じることは、結果として「真実を隠すお手伝い」をしてしまったことになります。
 事実を正確に押さえ、的確に報道したとしても、時としてそれが真実に迫るどころか、真実から人々の目を遠ざける結果をもたらすこともある。メディアで働くことの難しさと、真実に迫ることの困難さを今さらながら突き付けられた思いです》http://www.bunanomori.org/NucleusCMS_3.41Release/index.php?catid=3&blogid=1
長岡君の小学校は山形県朝日町で、豪雪地帯。きょうも雪降りだろうか。