チェルノブイリ報道のエピソードから1

うわ、もう2月か。はやいな。
それにしても、東京でこんなに寒いなんて。
最近の天気予報は、実によく当たる。きょうも昼は10度を超えて暖かく夜は一気に冷え込むとの予報どおりで、震えながら帰宅した。
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高校時代の友人で、朝日新聞の記者になり、いま郷里山形に帰って小学校の校長をしている長岡昇君が、メルマガでいつも面白い話を書いている。
こないだは、自分の小学校の生徒に「この正月にどんな餅を食べたのか。どの餅が一番好きか」のアンケート調査をしたという。
この調査は毎年やっていて、断トツの1位は今年も納豆餅だったという。
これは山形県出身者なら順当なところだと思うだろう。
きなこ、あんこ、ずんだ、ゴマ、クルミなどが続くが、長岡君が驚いたことがあった。
磯辺巻きが全体で2位に入ったのだった。なぜ驚くのか。
「実は、2年前の調査では「調査項目」に入れていませんでした。私が子どもの頃(50年前)には、見たこともない食べ方だったからです。初めて見たのは、東京で暮らし始めてからでした。なぜ見たこともなかったのか。年配の人の話を聞いたら、疑問はすぐに解けました。
 昔の農村では、それぞれの家で臼と杵を使って自分たちで餅をつきました。一升ほどついて、それを手で小さくちぎって、納豆やきなこ、あんこを入れた器に落としてまぶし、それから食べていました。ですから、少なくとも正月に食べる餅には磯辺巻きのようなものが登場するはずがなかったのです」

なるほどなあ。そういわれれば、私も子どものころには、磯辺巻きを食べた覚えがない
私の家では、すぐ近くに「搗き屋」があって、年末になると、そこにもち米を持って行ってついてもらったものだ。
子どもの味覚の変遷をよく示している。
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長岡君の最新のメルマガ記事は「真実に迫る難しさ―チェルノブイリ原発事故の真の原因は何だったのか」で、彼が朝日新聞にいたときの興味深い逸話を知ることができた。
《事実を正確に伝える。それがメディアに求められる何よりも大切なことです。誰もが自分の職務と良心に忠実であろうとしています。けれども、そうしてもなお、真実に迫るのは難しく、「事実とは何か」と思い悩むことから逃れることはできません。
 そんな事をあらためて思ったのは最近、NHKディレクターの七沢潔氏が著した『原発事故を問う』(岩波新書)を読んだからです。この本は、1986年4月26日に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故の原因とその後の影響について、長期間の取材を踏まえて書かれ、事故から10年後の1996年に出版されました。
 チェルノブイリ事故については、私にも強烈な記憶があります。事故発生のニュースが世界を駆け回った日の夜、私は朝日新聞東京本社の整理部に在籍していて、整理部員として紙面編集のサブをしていました。事故の第一報は「スウェーデンで異常に高い放射線値が測定された。風向きを考慮すると、ソ連原発で事故があった可能性がある」と、ごく短い文章で伝わりました。ソ連当局はずっと沈黙したままでした。一報を補う情報は、わずかしか流れてきませんでした。
 これをどのくらいの大きさのニュースとして扱うのか。胃がキリキリと痛むような時間が過ぎていきました。そして、扱いを最終的に決めたのは編集局長でも編集局次長でもなく、整理部の部長代理でした。決断することを誰もがためらう中で、彼は「これは世界を揺るがす大ニュースになる」と判断し、1面のトップニュースにしたのです。翌朝、日本の全国紙の中で「1面トップ」の扱いをしたのは朝日新聞だけでした。時として、物事を決めるのは肩書でも権限でもなく、志の高い人間であることを知りました》
去年4月、チェルノブイリ取材から帰国して、86年の事故当時の新聞記事を調べたら、朝日新聞だけが一面で書いていた。
DVD「チェルノブイリの今」で、私が、4月26日に起きた事故が日本で初めて報道されたのが29日の朝日新聞朝刊ですと紹介している。たしかに一面で報じていたのは朝日だけだった。
どうして他紙は大きく報じないのかと疑問に思っていた。
(つづく)