拉致報道15年―拉致と人権

takase222012-02-08

きょう、2月8日は私にとって特別な日である。
ちょうど15年前のきょう、テレビ朝日の「ザ・スクープ」という番組で、横田めぐみさんらしい日本女性を北朝鮮で目撃したという証言を放送したのだ。
これは、最初のめぐみさん目撃情報だった。
その前に、朝日放送の石高健次さんが「76年か77年、どこの海岸からかは分からないが、バドミントンのクラブ活動を終えて、帰宅の途中、北朝鮮工作員に拉致された」との話を韓国情報機関から聞いたという間接的な情報があり、2月3日の「産経新聞」と朝日新聞の「アエラ」がめぐみさんの写真をのせるなど、問題が「破裂」しかかっていた。
ある運命的な巡り会わせで、私が直接の目撃証言をとることになったのだった。
私が取材した目撃者は、拉致された場所を「ニイガタ」と特定したが、石高情報にある「バドミントン」や拉致の時期については知らなかった。石高情報の情報源とは別人に違いなく、これで複数のルートの情報が確保されたと判断。放送に踏み切ったのだった。
この顛末は、私の『拉致』(講談社文庫)や『スーパーKを追え』(旬報社)、『金正日「闇ドル帝国」の壊死』などに書いたが、東南アジアで広まり始めた精巧な偽ドルを追跡していった結果、まさに巡り合わせとしかいえないような形で拉致問題にかかわることになった。
これは私の人生をも変えた。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20091009
もう15年も経つのか、と感慨深い。
きのう7日、私は鹿児島市に講演に行った。
鹿児島もけっこう寒かった。数日前、2回ほど雪がぱらぱら降ったとタクシーの運転手さんに聞いた。
平成23年度『人権同和問題県民のつどい』」という催しで、拉致問題を「人権」をキーワードに語ってほしいと要請された。
会場は鹿児島市民文化ホールで、主催者は、きょうは週日で寒いのであまり多くありませんと言うが、850人もの聴衆がいた。
講演が終わると、ある人から「拉致問題なので暗い話になるかと思ったら、前向きなメッセージだったので意外でした。とても興味深く聞きました」と言われた。お世辞だと思うが、会場のみなさん、一人も退席せずに非常に熱心に聞いてくださった。
15年を振り返りながら、講演の内容のさわりだけ少し紹介したい。
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一昨年来日した金賢姫(キムヒョンヒ)という元死刑囚がいる。
彼女は北朝鮮のエリート工作員で、1987年、日本人になりすまし、中東で偽旅券を使って大韓航空機に乗り、時限爆弾で100人以上の乗客を殺したテロ事件の犯人だ。彼女が日本人に化けるために日本の言葉や習慣を教える「教官」だったのが、拉致された田口八重子さんだった。
そして、金賢姫のライバルだった別の女性工作員の日本人化「教官」が横田めぐみさんだった。さらに、鹿児島から拉致された市川修一さんも工作員学校の日本人教官だったとされている。
まったく北朝鮮と縁もゆかりもない普通の人が、いきなり力づくで家族や友達、故郷と切り離され、知らない異国に連れて行かれ、籠の鳥のように監視されて生きざるをえないということ自体、もっとも深刻な人権侵害だ。しかも、その上に、自分が望まないのに、テロ工作に加担させられるのだ。これほど残酷なことはない。
ところが、一時期、日本の政府やNGOが、拉致問題を国際会議や海外の要人との会談の場で出しても、あまり反応がよくない場合があった。
日本が朝鮮半島を植民地化した際の「強制連行」や「従軍慰安婦」などの問題をちゃんと「解決」していないからではないか、それらに比べれば拉致は人数も少ないし、大したことないではないか、日本と北朝鮮の特殊な関係で起きたのだから、2国間で勝手にやったら・・・といわんばかりの雰囲気だったこともあった。
たとえば、三大人権団体の一つ、アムネスティは「北朝鮮の人権問題に関しては慎重にアプローチすべきである」として拉致問題を扱わない方向になっていた時期もあった。
http://piron326.seesaa.net/article/112008606.html
「強制連行」VS「拉致」、どっちもどっちという構図を打ち破ったのは、日本の拉致被害者救出運動だった。
(つづく)