北朝鮮は何人を拉致したのか?(4)

 

うちの近くの武蔵国分寺跡で桜のライトアップをやっていると聞き、一昨日行ってみた。

 だいぶ散ってしまった桜もあるが、十分見ごたえがあった。

 8世紀の天平時代、聖武天皇が国の平和と民の安寧を願って、東大寺を中心に各地に国分寺国分尼寺を置いた。この辺りは東国の中心地で、隣の府中市は、武蔵国国府が置かれたことからついた地名だし、近くに東山道も通っている。

 古代をイメージしながらの桜狩りもいいものだ。
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 ウクライナ北部からロシア軍が撤退したのを受けて、日本のマスコミがようやく戻ってきた。

 その下にわざわざ「本紙記者キーウへ」とある。

 朝日新聞は、侵攻3日目の26日に「東京本社の指示を受け」キーウからの退避を決めたという。6週間ぶりのキーウでの取材ということになる。

 テレビも社員記者がキーウ周辺でリポートしはじめた。遅きに失したが、その分しっかり取材してくれることを期待する。

 一方、知人のフリージャーナリストがどんどんウクライナに入って取材している。先日は、八尋伸さんと伊藤めぐみさんが、虐殺の町、ブチャに入った。

 伊藤めぐみさんがとてもリアルなリポートをFBに投稿しているので紹介関心ある方はどうぞ。(20+) ito megumi | Facebook
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 日本人の拉致に関わった機関はいわゆる諜報機関なのだが、一つではない。

 朝鮮労働党には「3号庁舎」という対南工作、つまり韓国を赤化統一するための謀略機関があり、80年代、4つの部署に分かれていた。

 連絡部(社会文化部)、対外情報調査部(調査部)、作戦部、統一戦線部である。これらの部署は名称が変わったり、統廃合されたりしたが、とりあえず、この名称を使うことにする。

 連絡部はおもに対韓国浸透工作、対外情報調査部は海外工作、作戦部は「戦闘員」を擁して工作船の運用、拉致、暗殺、テロなどの任務、統一戦線部は南北統一のための合法・非合法の多方面の活動を任務とする。

 これに対し、人民軍の中に置かれた諜報機関が偵察局だ。

 それぞれ縦割りの組織になっているが、協力して活動することもある。例えば、ミャンマーで韓国大統領一行の暗殺を狙った「アウンサン廟爆破事件」は、作戦部と偵察局の合同作戦だったとされている。

 帰国した拉致被害者の証言で、私が意外だったのが、知り合いの範囲が狭い、つまり未知の登場人物が少ないことだった。

 例えば、労働党対外情報調査部(調査部)の管轄下にあった地村さんや蓮池さんが80年ごろから86年ごろまで住んだ忠龍里(チュンリョンリ)には、横田めぐみさん、田口八重子さんの他、私たちにとって未知の日本人としては、二人の中年の男性がいただけだった。

 曽我ひとみさんは、はじめはめぐみさんと共同生活を送ったが、その後、ジェンキンズさんと結婚して人民軍の管轄になったとされる。

 ひとみさんは、同じく米兵の妻だったレバノン女性が産院で一緒だった日本人女性(有本恵子さんの可能性がある)をデパートで一度見かけた。ひとみさんは、この女性以外に拉致被害者と思われる日本人を見ていない。

 田中実さん、金田龍光さんは、日本にある工作組織「洛東江」が関与して拉致された。「洛東江」は労働党連絡部所属なので、二人はそのまま連絡部の管轄に置かれたものと思われる。他の拉致被害者接触がないのは、部署の違いによるものだろう。

 なお、北朝鮮はこの二人の生存を2014年に日本政府に通知している。

 私が拉致被害者とみなす「よど号」犯の妻たちは、「よど号」グループを指導する連絡部によって拉致されたとみられる。

 八尾恵の証言では、いま認定されている3人(石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん)以外の拉致被害者の存在は出ていない。

認定拉致被害者

 ここまで見てきた範囲では、私が先に挙げた31人の確実に拉致された被害者に加わるのは数名にすぎない。

 他にもっといないのか。

 さらに推測を重ねると、とても辛い話になるが、すでに亡くなった、あるいは殺害された人、そして目撃が不可能な場所に置かれている人がいる可能性も考えなければならない。

 例えば、2002年の小泉訪朝の際に北朝鮮拉致被害者の消息を通知してきたが、「生存」「死亡」以外に北朝鮮に入っていないとされる人たちがいる。
 日本政府が認定している日本人拉致被害者17人のうち、「生存」とされた5人は帰国し、未帰還の12人については、うち8人が「死亡」、そして4人は「入境を確認できない」としている。

 その4人は、松本京子さん、久米裕さん、曽我ミヨシさん、田中実さんで、北朝鮮に入っていないという。これはどういう意味なのか。

 この中には、拉致する過程で亡くなった人がいるのかもしれない。

 蓮池薫さんによると、二人で海岸でデートしているときにいきなり襲われ、顔面を強打されて袋詰めにされた。船の中では注射を打たれて意識が朦朧となったという。こうしたきわめて暴力的な扱いを受けた場合、心身ともに大きなストレスがかかり、心臓の弱い人などショック死することもあるのではないか。

 また、抵抗して殺された例もあると安明進は先輩に聞いたという。
 その一つが、寺越武志さんの拉致と思われるケースで、工作員が日本の領海で遭遇した漁船の乗組員を拉致しようとしたさい、一番年かさの男性が激しく抵抗したのでその場で殺され、おもりをつけて海に投じられたという。
 実際、1987年に親族が寺越武志さんに会いに北朝鮮に行ったとき、最年長の昭二さんはすでに亡くなっていると知らされたという。

 拉致され北朝鮮まで連れてくるまでに命を落とした人で、私たちがまだ知らない人がいるかもしれない。

 そして、これもつらい推測だが、誰の目にも触れない場所、例えば政治犯収容所など社会から隔絶されたところに置かれた拉致被害者たちがいる可能性も排除できない。
(つづく)