北朝鮮は何人を拉致したのか?(5)

 スピードスケートの小平奈緒選手が、10月の大会を最後に引退すると発表した。

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 応援していたので残念だが、実にいい表情で、一段と人格が磨かれたように見えた。

 背景に見える「相澤病院」について、『文春』がおもしろい記事を載せた。
「〈引退表明〉所属先探しに苦労していた小平奈緒に「義に反する」と手を差し伸べた地元病院」。

 冬季の種目はお金が問題だという。スピードスケートも、「世界を目指す選手の場合、道具代に遠征費も合わせて500~600万円、さらにマッサージなどのトレーナーを頼むとなると年間合計で1000万円はかかります」(清水宏保氏)

 一流の力量があっても、お金が続かずに辞めていく選手は多いという。

 困っている小平選手を知って、「義によりて」一肌脱ぐことにしたのが相澤病院で、病院の仕事をしなくていい条件で、「職員としての給料に加え、スケートの道具代、遠征費、大会参加費、専属の栄養士の契約料と今年度は年間1500万円程度を負担。さらに、14年からの2年間のオランダでの留学中も給料を支払った」。

 こうした様々な人たちの見返りを求めない支援で、小平選手が支えられていたという。

 いい話なのだが、同時に日本のスポーツ界のお寒い経済事情がうかがえて、心配にもなる。
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 今朝の「おはよう日本」で、拉致被害者蓮池薫さんのインタビューが流れた。

 今年はあの小泉総理の訪朝、拉致被害者5人の帰国から20年になるにあたり、「いま明かす”あのとき“」という企画。

 ここで蓮池さんは、北朝鮮から「一時帰国」として来た日本にとどまる決意をした事情を語った。

 「北朝鮮という拉致を平気な顔してする指導部、またそういう組織が、我々が(日本に)残ったからって、子どもをかえしてくれと言ってかえすかなと。無理なんじゃないか、そこだと思う。そこでちゅうちょ。

 (日本に来て)残りたいと思ったんじゃない。残りたい気持ちはずっとあって、強いものはあったんだけど。子どもをかえしてもらえないんじゃないかというのが強くこびりついている、脳裏に。」

 ところが、北朝鮮が拉致を認め譲歩の姿勢を示したことを知り、日本に留まる決意を固めたという。

 

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NHKより)


 「1週間くらいたって残ると私がまず決めた。彼女(祐木子さん)は突然、私からポンと言われたものだから、「えっ」って話にはなった。だけど具体的な過程を説明した時に、日本にいて子どもと一緒に暮らせるなら、それ以上のことはないと。しばらく別れにはなるけれども、そこに負けずにやれば、かえってくるんじゃないかと。」

 金日成バッジを外したときの気持ちは?

「(バッジを外すことへの)一抹の不安とか、今後どうなるのかというのはありますけど、親子が引き離されてしまうほうが、もっとはるかに大きな心配であるので、意外にすっきりした気持ちで取れた。せいせいしたっていう感じです。」

 拉致問題が動かない20年を振り返って。

「腹くくった政治家が出てきてくれるかどうか。腹が決まれば、やる手だてっていうのは生まれてくるだろうし、交渉のパイプも出てくるだろう。」

 「一時帰国」した5人を北朝鮮に帰さなかったのは私だ、と安倍元総理は自分の手柄にしたが、それは嘘で、実は拉致被害者自身が北朝鮮に戻らずに日本で子どもを待つことを決断した。これは兄の蓮池透さんから聞いていたが、薫さんの口から語られるのを聞いたのは初めてだった。

 また、透さんは、薫さんが日本に来た直後は完全に北朝鮮のアタマになっていたのを、自分が必死に説得して日本残留を決意させたと説明しているが、これも少し違うようだ。

 インタビューで薫さんは、来日前から日本に留まりたいと思っていたが、子どもと切り離されることだけが心配だったと語る。

 「腹くくった政治家」については同意。
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 「よど号」ハイジャック犯の妻たちの多くが「拉致被害者」だと書いたが、その中でも、岡本武の妻になった福留貴美子さんのケースはもっとも典型的な拉致だといえる。

 他の妻たちのほとんどは、チュチェ思想研究会に入っていたり(八尾恵)、民青の活動家だったり(森順子)と左翼系の思想の持主だった。その点、福留貴美子さんは異色で、政治には関心がないどころか、綜合警備保障に就職し、一時は警察官になろうかと考えたほどで、むしろ保守的な人だった。

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(福留貴美子さん)

 また、他の妻たちは北朝鮮に来るつもりで来たのだが、福留さんは「モンゴルに憧れている、そこに行くはずだったのにここに来てしまった」と言っていた。(八尾恵『謝罪します』P117)

 「モンゴルに行く」と友人に告げて日本を出発した福留さんは、香港、北京に向かったことが分かっている。当時モンゴルは社会主義国で、日本から直接行くことは困難だったため、騙されてモンゴルの友好国だった北朝鮮へと誘導されたと推測されている。なお、彼女の拉致に関わったのは、高きょうだいを拉致したのと同じ組織と見られている。

 岡本武は、テルアビブ空港乱射事件の岡本公三の兄で、よど号犯メンバーたちがみな簡単に金日成思想に染まっていくのと一線を画していたようだ。貴美子さんも他の妻たちのようにはマインドコントロールされていなかったらしく、次第に岡本夫妻は孤立し、仲間から反抗的だと見られるようになっていく。

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 ある夜、八尾は、岡本の部屋の中で二人が縄で体を縛られているのを見た。

「彼女が『止めて』と叫んだのが耳の底から離れません。二人は足もぐるぐる巻きに縛られていました。縛っていたのは、若林、赤木、田中、安部で、柴田もいたと思いますがはっきり思い出せません。
 しばらくして労働党のワゴンが来て、二人は乗せられどこかに連れて行かれました。」(八尾同書P210)

 当時すっかりマインドコントロールされていた八尾は「二人が連れられていくのを見ていた私は『しかたがない、委員長同志(リーダーの田宮のこと)を守れて良かった』と思いました」と書いている。

 二人は招待所などで再教育を受け、「革命村」と招待所を何度も行き来していたが、最後に子どもたちとどこかに行ってしまった。

 その後、二人は88年頃に死亡したとされている。真相は今も謎のままだ。

 他の拉致被害者たちの中にも、「再教育」または「処罰」のためにどこか隔絶したところに行かされた人がいたかもしれない。
 例えば、日本の家族にひそかに手紙を出した石岡亨さんの行為は、大きな問題とされただろう。処罰があっても不思議ではないと思う。

takase.hatenablog.jp

  ある拉致被害者が、拉致された直後に反抗するなどして隔離された場合には、私たちはその消息を知ることができない。

 また、寺越武志さん、外雄さんの拉致を取材したとき、拉致被害者が、工作機関の中ではなく、北朝鮮の一般国民の中で暮らす場合があることを知って驚いた。
(つづく)