1989年、北海道新聞が西側報道機関としてはじめて北方領土、国後島を取材し話題を呼んだが、私はそれに続いて、テレビで初めて本格的な取材を行った。
外務省は私たちの動きを察知し、「我が国の領土にソ連のビザで行くとは何事だ!」と激怒。後で知ったのだが、私が帰国便の機上にいた時間帯に、在京テレビ全局の幹部を集めて、私たちの映像を放送しないよう圧力をかけていた。
そんなことになっているとは知らない私たちは、帰国してすぐに意気洋々とテレビ局に売り込みをかけた。番組のプロデューサーはみな驚いて「すごいスクープですね、ぜひやりましょう」とのってくるのだが、しばらくすると「すみません、上が政治的にまずいと言うんです」と断ってきた。次から次に断られ、「もうお蔵入りか」と諦めかけたとき、日テレがトップ判断で放送を決めた。
急いで編集して、夜のニュース番組「きょうの出来事」で3夜連続の放送となった。そのときのキャスターが櫻井よしこさんだった。政治的配慮だろうか、櫻井さんが毎回、「ソ連が不当に占拠を続ける、我が国固有の領土」というフレーズをくどいほど入れながら特集を紹介したことを記憶している。
外務省からは、私が当時所属した会社(日本電波ニュース社)の社長以下、幹部に呼び出しがかかった。外務省に出向く前、社長には「我々は必要ならどこにも行きますし、その手続きについては関知しません。かつて沖縄がアメリカ統治下だったとき、日本の大マスコミはアメリカの許可を得て取材に入ったじゃないですか」と主張してくださいと頼んだ。あれから早いもので、もう20年である。
北方領土と鈴木宗男氏といえば、以前、私たちはムネオハウス事件を追いかけたことがある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8F%8B%E5%A5%BD%E3%81%AE%E5%AE%B6
また、鈴木議員が権力を振り回した例としては、「アフガン支援国際会議へのNGO参加拒否事件」(田中外相の更迭に発展した)がある。会議から排除されたNGOの一つ「ピースウィンズ」の大西健丞さんがサンプロに出演し、スタジオで鈴木議員の暗躍を暴露していた。
鈴木議員が高圧的な人らしいことは、アフガン問題で国会に呼ばれた中村哲医師は、鈴木議員に目の前でやじられ罵声を浴びせられたと書いていることでも分る。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090826
櫻井さんとの論争とは関係なく、政治家としての適格性に問題のある人だと思う。
民主党政権下で、鈴木氏を外交委員長にしたことに仰天した。新政権が行ったなかで最も納得がいかない決定がこれである。ウラになにか事情があるのか?
授賞式のあと、審査委員の藤原新也さんに挨拶しようと思った。私はかつて彼の愛読者だったのだ。近づいて「『インド放浪』以来のファンです」と自己紹介した。ツーショットで写真を撮りたかったが、あまりにミーハーな感じがして遠慮した。
もらった名刺を見ると、手書きのようだった。家に帰って名刺に水をたらしたら字が滲む。ほんとにペンで手書きした名刺だった。いかにも藤原新也さんらしいな。
写真も撮っとけば記念になったのに、とちょっと後悔した。