人間中村哲をつくったもの2

 中村哲先生の遺体は、妻尚子さん(66)と長女秋子さん(39)に付き添われ、アフガニスタンの首都カブールからドバイ経由で、8日夕、成田空港に帰国。9日午前、羽田空港から福岡空港に到着した。

 遺体への敬意の示し方で、カブールと東京の落差に驚きの声があがっている。

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カブールでは大統領が棺を担いだ

 7日、カブールの空港では追悼式が行われ、ガニ大統領が軍兵士らと並んでアフガン国旗に覆われた中村さんの棺を担いで最高の敬意を示した。

 遺体を載せた航空機は8日午後5時すぎ、成田空港に着陸した。

  「白い布で覆われたひつぎは、地上作業員が一礼して出迎えた後、貴賓室前の車寄せに運ばれ、一緒に帰国した妻と長女、外務省関係者らが献花。黙礼してその死を悼んだ。駐日アフガニスタン大使も参列した。」(朝日新聞)

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成田空港にて

 この冷たい出迎えはいったい何だ?

 安倍首相が駆けつけて「日本の宝」として迎えるのかと思ったら、政府を代表して来たのは鈴木外務副大臣。カブールとは雲泥の差だ。日本国民として恥ずかしい。

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故郷の福岡では多くのアフガン人が出迎えた

 以前から自民党は中村さんを煙たがっていた。

 中村さんはアメリカのアフガン空爆に強く抗議し、日本がその戦争に協力することにも反対していた。9.11の一ヵ月後、01年10月13日、中村さんはテロ特措法の審議にかかわって国会の特別委員会の民主党参考人として呼ばれた。その時のことを中村さんは著書にこう書いている。

 《「不確かな情報に基づいて、軍隊が日本から送られるとなれば、住民は軍服を着た集団を見て異様に感ずるでありましょう」「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそが最大の問題であります」

 この発言で議場騒然となった。私の真向かいに座っていた鈴木宗男氏らの議員が、野次を飛ばし、嘲笑や罵声をあびせた。司会役をしていた自民党の亀井(善)代議士が、発言の取り消しを要求した。》(『医者、用水路を拓く』(石風社))

 国会に呼ばれた参考人に「発言の取り消し」を求めるとはむちゃくちゃだが、こうした発言は、9.11直後のテロリストをやっつけろという雰囲気に包まれていた日本では非常に勇気のいることだった。しかも中村さんは爆撃されるアフガンにいるだけに説得力がある。政府・自民党は中村さんを目の敵にした。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20090826

 タリバン政権崩壊の後、日本政府は、アフガンの復興、民生安定を掲げて、莫大な援助金をアフガニスタンにつぎ込んだが、草の根で大きな成功をおさめていた中村さんのプロジェクトを全面支援することはなかった

 それでも中村さんの偉大な功績は誰も否定できないのだから、国を挙げて本当にごくろうさまでしたと迎えるべきなのではないか。安倍政権になってこうした大人げない狭量さが目につく。
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 中村哲さんの出身地は福岡県の若松市。そこには川筋者(かわすじもん)という言葉がある。コトバンクによると「川筋」とは;

 「福岡県中部から北部,遠賀川流域,筑豊炭田一帯の地域の総称。遠賀川筑豊地域の多くの支流を合せて玄界灘に注いでいるが,水運が早くから開け,川筋の筑豊炭田開発につれ,石炭輸送の大動脈となった。「川筋の男」とは,炭鉱と川船による石炭輸送に働く人々をさし,金づかいと気は荒いが,男気のあることを特色とした。現在も流域および石炭積出港として栄えた北九州市若松区には「川筋かたぎ」の語が残っている。」
 中村哲さんの母、秀子の父(母方の祖父)玉井金五郎は、川筋の男たちを束ねて石炭の沖中士組合、「玉井組」を立ち上げた。玉井組は「若松港のある洞海湾で小さからぬ存在であった」(中村さん『天、共に在り』P27)
 玉井家の秀子と結婚した中村勉は戦前、治安維持法で逮捕されたほどの左翼活動家だったという。
 《中村勉氏は、給仕として働いていたところ、その英才を電力学会の鬼と呼ばれた松永安左衛門に認められて給費生として福岡工業学校に入学し、さらには早稲田大学に入学して再び若松に戻って、火野葦平と交流を深めていた。同時に左翼運動にも力を入れ、指導的立場にいた。しかし、昭和7年の2.24事件で逮捕され、懲役2年、猶予5年の判決を受けた。》https://www.fben.jp/bookcolumn/2009/07/post_2233.html
 中村勉についての記述が、『隠された光』(治安維持法犠牲者国賠同盟福岡2009)という本に出ているというが、その本をまだ読んでいないので(国会図書館にもない)これ以上は分からない。

 ただ、中村哲さんをここまで駆ってきたのは、単なる「ヒューマニズム」などではない(レベルが違う)ことは明らかであり、祖父(任侠)と父(非合法下の共産党)の組み合わせにはとても興味を引かれる。

 いずれも虐げられた人々のために権力と闘い、命をも投げ出すというところで通底するというのは私の勝手な解釈だろうか。
(つづく)