「ぼけ」と幸せ 4

takase222008-11-15

健康や若さは、競争社会では幸せを保証する「能力」とみなされる。
それらが失われ、遠からず死亡する可能性の高いがん患者などが、幸せ度で健康人と変わらないという結果が出るのはなぜか。
研究の結果考え出された二つの心理的しくみを大井さんは紹介している。
第一は、「幸せを感ずる閾(しきい)値」低下説。
同じ1000円をもらっても、資産家は喜ばないが、ホームレスなら「幸せ」を感じるだろう。この場合、金銭感覚において閾値の低い人ほど幸せを感じるというのである。
大井さんは、四肢麻痺で、絵筆を口にくわえて草花を描く星野富弘氏(http://www.tomihiro.jp/profile/index.htm)の例を挙げている。
行動の自由のある健康人は「周囲の事物を知覚し、愛(め)で、幸せを感ずる閾値が高く」なって容易に幸せを感じられないが、身動きできぬ身には、小さな虫や道端の草花が愛おしく、生の営みの素晴らしさが見えてくる。
写真は富野氏の葡萄の水彩画。とてもいい詩が添えられている。
喰われてもよし
つぶされてもよし
干されてもよし
一番甘くなって枯れよう
さて、末期がん患者でも幸せを感じる第二のメカニズムは、「価値軸」の変化だという。
人間は、健康、人間関係、仕事などさまざまな価値軸を持っているが、ある価値がダメになる非常事態になると、その価値軸自体を取り外し、それをすっぱりあきらめてしまう。
多くの健常人にとって「健康」は主要な価値の一つだが、治療不能のがん患者では「健康」という価値軸は消滅し、その代わり、「人間関係」に価値が置かれていたという調査がある。家族や友人などとの「つながり」を大切にするということだ。
大井さんはこの二つを紹介したうえで、「閾値変化と価値軸消滅という適応についての心理学説は、説明概念として素朴であり、いかにも群盲象をなでる趣がある」と言う。この説明では、きわめて不十分だというのだ。
たしかに、〔幸せ〕イコール〔与えられるもの〕/〔欲求〕、すなわち欲望がどのくらい実現するかで幸せが決まるという公式は知られている。だから、昔から「小欲知足」と言って、欲つまり分母をはじめから小さくしておいて、実現量(分子)が小さくとも相対的に幸せ感を増す方法が推奨されてきたわけだ。
しかし、以上の二つの説明は表面的だ。
(つづく)