「ぼけ」と幸せ 5

私たちは、「私」という存在を「実体」と考えている。
「実体」とは、「それだけで存在し、変わることのない本性を持ち、いつまでも存在するもの」だ。しかし実は、私という存在は「実体」ではなく、無限の関係のなかに現象しているものだ。「無常」なのである。
「私」を実体視するから「執着」が生じる。そして死を恐怖し、安らかに受け入れることができなくなる。その「執着」は理屈で、分別知で断てるものではない。意識の深層のレベルにあるからだ。
がん患者が、幸せの閾値を下げたり、価値軸を転換したりということは、意識的にできることではない。
大井さんは、これは「『私』、『自己』がもはや永らえることのない存在だと覚ったときに初めて到達しえた納得であり、心のやすらぎであるように見える。その納得は、表層意識で営むコトバを用いた思考で得られる『分別知』ではなく、『水は冷たい!』『歯が痛い!』といった体験を通じて初めて獲得する理解、『体験知』である」と書いている。
「『能力』という仮象の要素から由来する膨大した自我がなくな」るという、意識の深層レベルにかかわる変容ではないかという仮説である。
大井さんの『痴呆の哲学』は「唯識」の学びを縦横に駆使した哲学書になっている。
唯識についてちょっとだけ書く。
唯識」は、「空」とともに大乗仏教の柱の一つで、《大乗仏教深層心理学》だとされ、「覚り」は、意識より下のマナ識、アーラヤ識における転換だと説いている。
私は岡野先生のもとで「唯識」を学んで、「覚り」というものの構造と覚るための方法については、だいたいのところを理解できたと思っている。ただ、それは言葉による理解(頭では分った)であって、覚れるかどうかは修行如何にかかっている。
唯識学は宗派としては「法相宗」(ほっそうしゅう)の教えで、日本に入ってきた仏教宗派のなかでは三論宗に次いで二番目に古いものだ。三論宗は絶えてしまったので、事実上、日本最古の宗派となる。法相宗の寺としては奈良の薬師寺興福寺法隆寺があり、かつては京都の清水寺法相宗だった。
ちなみに、「観自在菩薩」ではじまる「般若心経」の漢訳者とされ、西遊記で知られる三蔵法師玄奘は、「仏教の経典を求めてはるばるインドまで行きました」とされているが、本当は、彼が命がけの大旅行を決意したのは、唯識思想を原典で学びたいという強い願いからだった。玄奘にとって唯識はそれほど魅力的だった。法相宗の開祖は玄奘の弟子で、こう見てくると、唯識大乗仏教の正統派だということが分る。
90年ごろから日本でも唯識の本がいくつも出版されて、ちょっとしたブームになっている。これほどすごい思想がはるばる日本まで伝えられ、しっかり継承されてきたことに感謝するとともに、もっとたくさんの人に学んでほしいと思う。入門書として、岡野守也唯識の心理学』(青土社)をお勧めする。
話がそれてしまった。「ボケ」と幸せというテーマに戻ろう。
そもそも、痴呆は病気なのかという根本的な問題がある。
いま、アルツハイマー病はがんに続いて人類が闘うべき主要な病気の一つとされ、巨大マーケットを目指して、治療薬の開発競争が注目されている。
しかし、ドイツの精神病理学アルツハイマーが、ある女性の痴呆患者にアルツハイマー病と名づけたのが1901年、アメリカの医師たちがこれを「病気」として意識するようになったのは、1970年代半ばになってからのことだった。
アルツハイマー病は、エイズなどと異なり、近現代に急に広まった病ではない。大昔からずっと存在していたのに、「病気」とは考えられてこなかったのである。社会がこの病気を作ったといってもよい。
そして、痴呆は、脳血管性、アルツハイマー、ピック、ルイス・ボディ痴呆などと、どんどん細分化されて、治療、予防が取り組まれる。
大井さんによれば、いま死因を「老衰」とすることが困難になり、何らかの病名を記すことが求められる雰囲気があるという。「死はすべて『病気』を経てくるのだというイデオロギー」があるというのだ。
「痴呆は『病気』というよりも、むしろ人生の最後期を特徴づける老衰の一表現である」というのが大井さんの主張だ。
さらに、ぼけて死ぬのは最高の死に方ではないかとまで言う。それには理由があった。
(つづく)
(なお、「痴呆」は差別的だとして04年厚労省が「認知症」に言い換えることを決め、翌05年の介護保険法改正で法律の条文でも「認知症」を使用するようになったのだが、ここでは「痴呆」のままで通す。大井さんもこの言い換えには反対している。)