「ぼけ」と幸せ 3

20世紀後半、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)という評価指標が登場した。
ある学者の定義によると「自分の生きざまについての満足、生きがいなどの意識をふくむ全般的・主観的幸福度」となり、ここでは「幸せの程度」と考えてよいだろう。
アメリカなどの競争社会では、若さ、健康、知力などの「能力」の喪失が、極度に恐怖され忌み嫌われる。しかし、QOL調査から見えてくる人間の幸福感は、「能力」という規準では理解できないということだった。
まず「若さ」。加齢でQOLが下がるかというと、それは全くなかった。加齢とともに健康についての自己評価は下がるが、全般的満足度がはっきり上昇した調査もあるという。
次に「健康」。日本ではヒステリックなほど健康がもてはやされるご時勢だが、アメリカの特にエリート層の健康志向は日本を凌ぐ。あのブッシュ大統領も予定した会合をすっぽかすことはあっても、毎日のジョギングだけは欠かさない。
関節炎、末期腎臓不全、がん、糖尿病などの患者群を健康者群に対比させたが、患者のQOLは(うつ病を治療中の群をのぞき)健康人に比べて差は見られなかったという。ここでも加齢については、40歳以下より40〜60歳、さらに60歳以上でQOLが高くなっている。つまり、老齢に致死性疾患が加わってもQOLは低下しないというのである。
身体に大きな傷を残す場合、例えば乳がんにおける定型手術群と乳房温存手術群、軟組織肉腫における下肢切断群と下肢温存群などの間など細かい調査も行なわれて、差が出ていない。
大井玄さん自身の調査でも、根治の望みの少ないがん患者における満足度の平均は健康人と変わらなかったという。
《QOLに反映されている主観的満足度は、若さや健康などの「能力」に素朴に対応するのではない》と大井さんは結論づける。
これはなぜか。
(つづく)