三浦小太郎が斬るNY平壌公演2

 第2次世界大戦中、フルトヴェングラーナチス崩壊の直前までベルリン・フィルバイロイト音楽祭で指揮を続けた。バイロイトヒトラーの崇拝するワーグナーの楽劇のみを上演する音楽祭であり、戦争中は会場には「総統の招待客」としてドイツ軍兵士の姿が多く見られた。そして、ただ一度だけだったが、1942年のヒトラー誕生記念祝典でも指揮棒を取らざるを得なかった。そして、彼自身は拒否したかったが、ドイツ軍占領地域であるスエーデンでの指揮をも引き受けざるを得なかった(ゲッペルスは彼に様々な便宜を与え「借り」を作っていたのだ)。
 敗戦後、フルトヴェングラーナチスへの協力を追及され約2年間は演奏会で指揮を取ることはできなかった。ナチスの犠牲者達からすれば、やはり彼もナチスの宣伝
に力を貸した一人と見なされたのだ。そして復帰後、シカゴ交響楽団への客演指揮に招かれたが、正式発表が行われるや多くの音楽家の講義運動が起きた。ルービンシュタインホロヴィッツハイフェッツアメリカの著名な音楽家達が、フルトヴェングラーがシカゴに招かれるのなら自分たちは今後一切シカゴには客演しないと声明したのだ。しかし、そこにはユダヤ人であり、ナチスの迫害によりアメリカに亡命した、指揮者ブルーノ・ワルターの名前はなかった。彼はかってフルトヴェングラーのかなり強引な工作によってベルリン・フィル音楽監督から追い落とされたことがあり、またユダヤ人としてこの署名に名前を連ねてもおかしくなかった。フルトヴェングラーは僅かな救いを求めてワルターに連絡を取り、自分はドイツ国内で必死で抵抗し、ユダヤ人音楽家を助けてきたのに、このような反対運動がおきるとは理解できないと手紙で弁明した。
 ワルターは返信した。自分はこの反対声明には一切関わっていない。しかし、貴方が偉大な芸術家であったからこそ、ナチスドイツで貴方が活躍する事が、ナチス政権の対外宣伝に利用され、多くの免罪符や道徳的権威を悪魔の体制に結果として与えてしまったことをよく自覚すれば、この様な反対運動が起きる事が「理解できない」はずはない。しかし、自分は貴方がナチではなかったことは確信しており、怒りや恨みよりも、和解しようという意志を優先したい、という条理を尽くした手紙を送った。
 今私がトスカニーニワルターフルトヴェングラーのそれぞれ素晴らしい録音に耳を傾ける時、私は音の背後にそれぞれの指揮者の心情や、彼らが辿った歴史のドラマが浮かび上がるような気がしてならない。そして、かってこれほどナチス協力者に厳格だったアメリカ音楽界が、強制動員されるだろう平壌市民と、収容所体制と拉致犯罪に直接の責任がある金正日テロ・独裁政権の幹部達の前でニューヨーク・フィルの演奏会を行うことに、私はさらに悲喜劇という言葉以外の何も見出すことはできない。