フィリピンの密造拳銃1

takase222008-03-14

3月2日のサンデープロジェクト「銃犯罪はなぜ続発するか」で、私はフィリピン取材を担当した。フィリピンからは、今も相変らず密造拳銃が日本に流れ込んでいる。その密造の現場を取材した。
「おー、相変らずやってるなあ」。
セブ島のダナオでは今でも、町のいたるところで密造拳銃作りをやっている。「今でも」、というのは、私がここを84年から87年にかけて3回取材し、今回が20年ぶりの訪問だったからだ。
ダナオはセブのマクタン空港から、車で北に1時間ほど行った田舎町だ。目抜き通りから細い横道に入ると、そこではもう上半身裸の男たちが拳銃の部品にヤスリがけをしている。民家の庭先にちょっとした雨覆いをして作業台を置き、万力とカナトコがあれば立派な「密造工場」だ。銃身となる鉄棒にライフルを切るのも、完成品にメッキを施すのもみな手作業である。(写真)
町の主要「産業」であり、うしろ暗さは全くない。この町を仕切る一家の庇護を受けているからだ。Durano(ドゥラノ)家で、市長職を独占し、代々国会議員にもなっている。精糖、セメント、製紙などの工場も所有する地域財閥でもあり、日本の戦後賠償とODAで越え太ったとの噂を聞いた。そのせいか日本人が大好きだという。私は一度表敬訪問したことがあるが、大いに歓迎されて昼食をふるまわれた。そのとき会ったのは一家のボス、「オールドマン」と呼ばれたラモン・ドゥラノ・シニアで、「わが町の優秀な拳銃製造技術を自由に取材してくれ」とお墨付きをもらった。気に入らない人物はドゥラノ家の私兵に消されるという怖い土地柄なので、身の安全を確保するためには、ドゥラノ家から「撮影許可」をもらうのが一番だ。
この一家はマスコス時代、セブ島でマルコスの代理人のように権力をふるった。86年の2月革命の火種となった、マルコスとアキノの大統領選挙では、ダナオのマルコス票が、有権者人口より多かったという、笑い話のようなエピソードを持つ。このとき、人口6万人の町で、なんと2万人分の票を水増ししたという。思うがままにこの地域を支配してきたのだ。
「オールドマン」・ドゥラノは、私が会ったあとまもなく亡くなったが、APの配信した死亡記事のリードはこうだった。
《きょう、元国会議員、実業家でもありフィリピンの最も華やかな(colorful)政治家であった、ラモン・ドゥラノ氏ががんで死亡したと家族が発表した。82歳だった。ドゥラノ氏はセブ市の北にある人口6万人の町、ダナオを実質的に所有していた。ダナオ市の住民の多くは、ドゥラノ氏の病院で生まれ、彼の工場で働き、彼の老人ホームで余生を過ごし、彼の墓地に葬られた》(AP Oct.4,1988)
ドゥラノ家の庇護の下、ダナオではおおっぴらに拳銃密造が続けられてきたのである。年配の密造職人によれば、この地の拳銃密造の歴史は50年代にまで遡るという。
(つづく)