26日(日)の朝日歌壇に、常連の上田結香さん(東京)の入選した1首。
「糸口は必ずあります一つだけ」繭を手に説く製糸場のガイド
彼女の日常をズバッと詠む歌には素直に共感できるので楽しみにしている。
無心に咲く桜が一番かわいそう変なことに利用されて(1月15日)
葬儀にて「私の時にも頼むわね」母の言葉を冗談と聞いた日(1月15日)
そこに行けばなんとかなるの、実家とはそういう場所だ もうないけれど(12月1日)
今までで一番父と語り合った 意識がなかった最期のひと月(11月17日)
年とれば化粧水が浸透せず人の意見も受け入れられず(11月3日)
親だから私の短所を熟知して喜々として責める老いの恐ろしさ(10月27日)
上田さん、以前は子どもさんを詠んだりもしていたが、最近は親の看取りなどへと、人生の節目の移り変わりが歌に現れている。元テレビ朝日のアナウンサーだそうだ。
新聞の入選作から、それぞれの歌人がどんな境遇の人なのか、想像するのも楽しい。
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アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の解放75年についての記事。
《「私は歴史的な罪の重荷を背負ってここに立っている」「ドイツ人は歴史から学んだと言えたらよかったが、憎悪が広がる中、そう語ることはできない」――。ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を象徴するアウシュビッツ強制収容所の解放から75年になるのを前に、エルサレムのホロコースト記念館で23日、ドイツのシュタインマイヤー大統領が、こんな言葉で記憶と教訓の継承を誓った》
https://www.asahi.com/articles/ASN1S7TC2N1SUHBI02P.html?iref=pc_rellink_01
これだけ時間が経ってなお、ドイツの大統領が痛切な反省の弁を述べることに、「さすがだな」と思うと同時に、反ユダヤ主義の蔓延への危機感を感じる。
目を引いたのは、「オランダ首相、ナチス虐殺で初めて謝罪」というニュースだ。
オランダのマルク・ルッテ首相は26日、アムステルダムで開かれたホロコーストの追悼行事に出席し、《第2次世界大戦中にナチス・ドイツからユダヤ人を守らなかったとして、同国首相として初めて謝罪した。》
《オランダがナチスに占領されていた時期、ナチスに抵抗した政府職員もいたが、大多数は言われるがまま行動したと述べた。
そのうえで、「私たちの国に生存者が残っているうちに、オランダ政府を代表して、当時の政府の行為について謝罪する」と表明。
「どんな言葉もホロコーストほど極悪でひどいことを表現できないとわかったうえで、謝罪する」と付け加えた。
今回の表明は、オランダのユダヤ人コミュニティーが長年、求めてきたものだった。
同国にはホロコースト以前、約14万人のユダヤ人が暮らしていた。しかし、ナチスとオランダ人協力者たちによって、75%近くが殺害された。
オランダ政府はこれまで、強制収容所を生き延びたユダヤ人が帰国した際に受けた扱いについて、謝罪している。
しかし今回ルッテ氏は、オランダ政府がナチス占領下で、ユダヤ人などの迫害に役割を果たしたと初めて認めた。
ルッテ氏は追悼行事で、「私たちは、どうしてこれが起きたのかと自問する」と述べ、こう続けた。
「全体として、私たちがしたことはあまりに少なかった。十分に保護せず、助けず、認識しなかった」》https://www.bbc.com/japanese/51260022
欧州でさえ、政府を代表しての謝罪にこれほど長くかかっているのか・・・。それでも、着実に前に進んでいることにオランダの市民と政治家の誠実さを感じる。
日本では、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者らを追悼する式典に、小池百合子都知事が3年連続で追悼文の送付を見送るなど、むしろ逆行した動きが見られる。あの虐殺には一般の市民だけでなく公権力が関与していたのに。
韓国や中国を貶める雑誌や本がずらりと並ぶ最近の本屋の店頭を見ながら、うそ寒いものを感じる。