02年7月、北海道警察は現職警官の逮捕を発表した。容疑は、拳銃と覚醒剤の不法所持・密売だった。逮捕されたのは銃器対策課の稲葉圭昭(いなば・よしあき)警部。彼は90丁以上の拳銃を摘発した「エース」だった。日本警察史上最大の不祥事の一つとなった「稲葉事件」である。
この事件については、ジャーナリストの織川隆さんの『北海道警察 日本で一番悪い奴ら』(03年6月講談社)という先駆的な仕事がある。テレビでは03年の11月23日の「ザ・スクープ」が報じて大きな反響を巻き起こした。
事件が発覚したのは、03年7月5日、Wという男が、覚せい剤を持って、札幌北警察署に自首したことからだった。彼は警察の協力者「エス」で、小樽でロシアへの中古車輸出をしていた。盗難車の輸出に目をつぶってもらうことと引き換えに、ロシアから拳銃を密輸しては「首なし拳銃」を警察に提供していた。大規模なやらせ摘発の手伝いをしていた人物である。
自首したWは、稲葉圭昭という北海道警察現職警部の悪事を暴露する。Wは、稲葉警部に多額の借金があって頭が上がらず、覚醒剤の密売までやらされたという。足を洗おうと決意し、稲葉警部と差し違えようとして自首したと見られた。稲葉警部は血液検査で覚醒剤が検出され緊急逮捕された。調べで、覚醒剤を常用していたばかりか暴力団に覚醒剤を売り5000万円近くの利益を上げていたことも判明。複数の愛人の存在やポルシェ、ハーレーダビッドソンを乗り回すなどの派手な生活ぶりがスキャンダルとして暴かれていく。
稲葉警部は公判で、やらせ摘発のいついてこんな証言をしている。
《銃器対策室長から「あと1丁で押収の新記録だな」と言われた。それで、エスに連絡して密造拳銃を取りに行き、自分でコインロッカーに銃を置き警察に電話を入れた》。
彼は拳銃の摘発成績を上げるため、暴力団とつるんで覚醒剤取り引きを見逃し、さらには覚醒剤を自ら使うだけでなく、密売をするところまで暴走してしまった。覚醒剤密売の利益は拳銃を買うことにも当てられた。
奇怪なことに、稲葉警部が逮捕された直後、「自殺」者が二人出た。
一人は、稲葉警部の銃器対策課時代の上司のK警視だ。前日、道警本部で監査官室の長時間の取調べを受け、当日も取調べが予定されていたが、自宅近くの公衆トイレで縊死しているのが発見された。
もう一人の「自殺」者は、自首したエスのWで、勾留中の札幌拘置支所で靴下の一足を口の中に詰め、もう一足を首に巻き、意識不明の状態で刑務官に発見され、一時間後に死亡確認された。しかし、彼は直前、妻に「便箋が少なくなったから一日4枚しか使えない」と手紙に書き、自殺などする様子は見られなかったという。
拳銃捜査の秘密を知る者が次々と消えていった。闇の深さに身震いがする。
やらせ捜査や違法なおとり捜査は犠牲者を生む。今回私たちが極東ロシアで接触したナバショーロフ氏もその一人だ。
稲葉警部のエスの一人に、小樽で中古車の店を営むパキスタン人がいた。そのエスが、ロシアと小樽を行き来していたナバショーロフ氏に目をつけた。ナバショーロフ氏は言う。
《小樽で、中古車の店に行った時、パキスタン人が「銃を持ってくれば車と交換してやる」と言ってきた。だから、ロシアで銃を手に入れて急いで小樽に戻った》
自宅に父親が持っていた銃があり、それを持って小樽港に着いたナバショーロフ氏は、稲葉警部らに逮捕され、日本で2年の懲役に服した。
泳がせ捜査も行われた。稲葉警部は裁判での証言や上申書でこう告白している:
00年の4月か5月に、捜査協力者を使って税関とも連携した泳がせ捜査を行った。香港から石狩新港に入る覚醒剤の2回の取引を見逃して、次に拳銃を密輸させて摘発する予定だったが失敗し、拳銃を摘発できなかったばかりか、覚醒剤が大量に流入してしまった。捜査失敗の事実は関係者全員の秘密としこの件は闇に葬られた・・・。
稲葉警部は法廷で弁護人とこういうやり取りをしている。
弁護人:どのくらいの量が入ったのですか。
稲葉:「莫大な量です。量は言えません」
弁護人:莫大な量だから言えないということ?
稲葉:「はい」
その量は130キロにもなるとの情報がある。これが事実なら恐ろしい量である。05年の年間押収量(押収量が非常に少なかった年)とほぼ同じ量である。
稲葉事件以後、拳銃の摘発件数は激減することになる。
(続く)