公安警察の暴走が生んだ冤罪事件―大川原化工機事件

 非常に危険な、恐ろしい冤罪事件だった。

 12月27日、大川原化工機事件につき、東京地裁は警察・検察の違法を指摘し、国と東京都にあわせて1億6200万円余りの賠償を命じる判決を下した

日本テレビニュースより

 2020年3月、生物兵器製造に転用可能な噴霧乾燥機を無許可で中国に輸出したとして、社長ら3人が外為法違反などの疑いで警視庁公安部に逮捕された。初公判直前に検察が起訴を取り消すという異例の展開をたどるが、拘留中に1人にがんが見つかり8回におよぶ保釈請求も無視されて起訴取り消しの前に死亡するという悲劇も起きた。

 事件に関わった現職捜査官が「捏造だ」と回答、研究者が、捜査報告書に書かれた自身の意見が実際に語ったはずの発言内容と異なっていると証言するなど、これは「ずさんな捜査」ではなく、意図的なでっち上げだった可能性がきわめて高い。

 この事件は警視庁外事一課が捜査を行い、事件を主導した警部及び警部補はこの事件をでっち上げた功績で昇進したという。

 早くから事件について発言していたジャーナリストの青木理さんが、公安警察と政治権力の危うい蜜月を次のように指摘している。(朝日新聞29日付)

 公安警察は戦後「反共」を存在意義として肥大化し、警察内部でも公安部門は中枢でエリートだった。しかし、冷戦崩壊で国内の新左翼も衰退。オウム真理教事件では失態も続き、逆風下で人員も減らされた。

 ところが01年の9.11同時多発テロが起きると、公安は「国際テロ対策」、さらには「安全保障」を新たな存在意義として見出す警察庁警備局と警視庁公安部の外事部門が拡充され、他方で政治権力中枢に急接近して密接な関係を築く

 第二次安倍政権の下で特定秘密保護法共謀罪法など、警察に強力な武器を与える治安法が次々と成立。第二次安倍政権と菅政権は、戦後例のない「警察政権」となった。

 各省庁を差配する事務担当の官房副長官には一貫して元警察官僚が座り、幹部官僚人事を牛耳る内閣人事局の局長も兼務。国家安全保障局長にも警察官僚が起用された。いずれも、警察組織のうち警備公安部門の要職を歴任した人物だった。

 今回の大川原化工機事件では、無理筋の立件は、外事部門の存在感を内外に誇示する思惑があったと青木さんは見ている。この背景には、国家安全保障局に経済班が新設され「経済安保」が声高に叫ばれていたことがあるという。

 戦後日本は、民間人を主とする公安委員会を設け、政治が警察に直接介入したり、逆に警察が政治に干渉したりするのを排除する仕組みを整えたが、この建前すらなくなったかのような、政治と警察の危うい関係が続いている。

 青木さんは、警察は軍事組織と同様、巨大な暴力装置であることを踏まえ、今年話題となったテレビドラマ「VIVANT」を問題視する。

 このドラマは「自衛隊の秘密情報部隊『別班』とともに、公安警察が重要なモチーフでした。どちらも、政治やメディアが監視下に置くべき存在。にもかかわらず、あまりにも能天気でヒロイックな描き方でした。フィクションに目くじらを立てる気はないですが、日本のエンタメ界の限界を痛感したのも事実です」。

 同感!

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 新潟県の旧真野町(現佐渡市)で1978年8月、当時19歳だった曽我ひとみさん(64)と一緒に北朝鮮工作員に拉致された母ミヨシさん(行方不明時46歳)が28日で92歳の誕生日を迎えた。

NHKニュースより

ミヨシさんが縫った着物をNHKに公開した。

ひとみさんの結婚のために塗っていた着物。仕付け糸がまだついたままだったという。ひとみさんは、お母さんがどんな気持ちでこの着物を用意したかと思うと涙が止まらないという。

北朝鮮と交渉してほしいと訴えるひとみさん(NHKより)

 ひとみさんの高校時代の母について書いた作文が見つかったとのことで、今回公開された。

 定時制高校の夜間部に在籍中の3年生のときの作文だという。その前年に准看護学院を卒業し、佐渡病院で准看護師として働き始めた社会人1年目だった。担任だった恩師が亡くなり、遺族から「遺品整理をしていたら、曽我さんが書いた作文が出てきたよ。要るなら送るけど、どうしますか?」と連絡があったという。

 送ってほしいと頼むと「次の日、速達で届きました。封を開け、中身を見た瞬間「ああ、当時の私もやっぱり母が大好きで大切だったのだ」と、46年の時間を経てなお、母への思いはずっと続いていたのだと、私たち母娘の絆は決して切れてはいないのだと胸が熱くなりました。

 そして、何度も何度も繰り返し読み返し、そのたびに涙が溢(あふ)れ止まりませんでした。「どうして、あの時、素直になれなかったのだろうか。作文だと母への思いを綴(つづ)っているのに」と、自分の気持ちを直接伝えられないもどかしさに後悔ばかりしています。」(ひとみさんの毎日新聞への文書)

 

愛する母への思いを書いた作文(要旨)

 《「親孝行したい時は親はなし」という言葉があると思います。私は今年、社会人1年生として病院に勤めています。今の私があるのは、周りの人の助言と温かい励ましの言葉、優しい心を忘れることはできません。

 その中でも母の優しい思いやりの心は誰よりも私が一番よく知っています。人が困っていればすぐに行って世話をします。働き者の母、涙もろい母、どじな母。私はこんな母が誰よりも大好きです。いつも母が帰ってくるころになると、外でずっと待っていたものです。

 ある日、普通なら6時ごろに帰ってくる母が7時になっても8時になっても帰って来なかったのです。何かあったんだろうか。病気、事故、それとも仕事……。心の中は不安でいっぱいだった。9時を過ぎ帰ってきた母に「どうして遅かったの」と泣きながら怒ったこともありました。

 思い出すと涙が出るのはなぜだろう。小さいころは一緒に行けないと大声を出して泣いたことも数えきれないくらいありました。大きくなり、看護学院に入学した時も家から離れたいような、離れたくないような複雑な気持ちでした。准看護師の試験の3カ月ぐらい前から、雨の日も雪の日も毎日、お宮参りをして合格を願ってくれていた母の優しい心を今、とてもうれしくありがたく思っています。

 週1回、家に帰ると毎回けんかをして寮に戻ることがほとんどでした。なぜけんかをするんだろう。自分でも分からない。心の中では「あれもしてあげたい」「これもやってあげたい」と思っていても、「何かやってくれ」と言われると、「なんでそんなこと、私がしなきゃいけないの」「自分でやればいいねん」と、なぜか素直に「いいよ」と言えず、「わけもなく母を悲しませるようなことをしてしまうんだろう」と自分を責めている今の私です。

 こんな私をここまで育ててくれたことを心から感謝しています。母ちゃん、ごめんなさい。親不孝な娘を許してください。これからも今まで以上に心配をかけるかもしれません。それでも許してください。これからも体に十分気をつけて長生きしてください。素直な心をいつまでも持ち続けたいと思っています。今、「母ちゃん、ありがとう」と心から思っています。》

 

 母を思う娘のまっすぐな気持ちにうたれる。拉致問題を少しでも解決に向けて進めたい。しかし、今の政府の姿勢では残念ながら1ミリも動かないだろう。

 先ほど警察の公安部門の話が出たが、政権の拉致問題担当にも公安部門の「エリート」がいたっけ・・・2013年から内閣官房副長官補付内閣審議官(内閣官房拉致問題対策本部事務局長)の任にあって今年春から内閣官房参与になっている人物である拉致問題を公安マターにしても「外交」は進まないだろう。。

takase.hatenablog.jp