統一協会と「赤報隊事件」―『記者襲撃』より

 統一協会と「赤報隊事件」(1987年5月3日の朝日新聞阪神支局襲撃事件)の関係については、元朝日新聞記者の樋田毅さんが『記者襲撃ー赤報隊事件30年目の真実』岩波書店)で詳しく書いている。

2018年岩波書店

 樋田さんは早稲田大学で1972年に起きた「川口君殺害事件」後の民主化闘争のリーダーで私は大学1年の時に彼に会っている。のちに朝日新聞の記者になった樋田さんは、事件後、新聞社から真相究明の特命を受け、時効になった現在も取材を続けている。
(樋田さんの早大時代のことについては以下を参照)

takase.hatenablog.jp

 

 樋田さんは「赤報隊事件」の犯行に関して、統一協会関係者を精力的に取材しており、『記者襲撃』の中心をなすのが統一協会が関係した疑惑である。

 まず、事件の直後すでに朝日新聞社では統一協会国際勝共連合(本では「α教会」、「α連合」)を重要な取材対象とすることにした。

 霊感商法について、朝日新聞、「週刊朝日」「朝日ジャーナル」が被害者救済に取り組む弁護士グループなどと連携して糾弾キャンペーンを続けており、それが「恨み」を買う可能性があったからだ。

阪神支局襲撃事件から3日後の1987年5月6日午前、朝日新聞社東京本社に「αきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれた脅迫状が届いた。ワープロ打ちされた「赤報隊」からの犯行声明文とは異なり、ルーズリーフの紙に赤いハンコのような文字を押して作成されていた。脅迫状が入っていた封筒には、散弾銃の使用済みの散弾容器二個も同封されていた。散弾容器は日本国内でライセンス生産されたレミントン・ピータース7.5号弾のものだった。阪神支局襲撃で記者二人を殺傷するのに使用された散弾は米国から輸入されたレミントン・ピータース7.5号弾。輸入品と国産品の違いはあるものの、両者は同じメーカー、同じ種類。しかも、この脅迫状が朝日新聞社に届いた時点では、阪神支局襲撃に使用された散弾がレミントン・ピータース7.5号弾であることは、新聞でもテレビでも、まだ報道されていなかった。封書の消印は「渋谷 62・5・5」。つまり渋谷郵便局で5月5日に取り扱われていた。当時、α教会の本部は渋谷区内の住宅街にあった。》(P135)


 朝日新聞統一協会の軋轢は、霊感商法だけではなかった。

政治団体のα連合は当時、全国各地で「スパイ防止法制定促進会議」を組織し、中曽根政権が進める国家秘密法制定を後押ししていた。これに対し朝日新聞は、国家秘密法が有事立法の性格を持ち、言論の自由への脅威であるとして反対の論陣を張り、スパイ防止法制定促進会議を支えているのがα連合であることを紙面で指摘した。(略)
これに対してα連合は86年12月下旬から87年1月末にかけて、連日のように朝日新聞東京本社の前に街宣車を繰り出し、朝日新聞社批判の街頭演説を重ねていた。》(P136-137)

 この間の1月24日には、「赤報隊」が朝日新聞社への銃撃事件を起こしている。

 その1か月後の87年2月26日付の消印で、朝日新聞東京本社と『朝日ジャーナル』編集部あてに脅迫文が書かれたハガキが届く。差出人はα連合となっていた。

 その文面は―
ソ連のスパイ朝日社員どもに告ぐ。俺たちはきさまらのガキを車でひき殺すことにした。(略)俺たちには岸元首相や福田元首相が付いている。警察は俺たちの操り人形だ。俺たちが何をしても罪にはならない。おまけに俺たちが殺すのは共産サタンで人間ではない。てめえらはバイキンだ。サタンだ。これはこの世にα教祖さま(原文では実名)のため共産サタンを殺すために生まれてきた。共産サタンを殺すことが俺の生きがいだ。俺はM16ライフルを持っている。韓国で軍事訓練を受けてきた。今にてめえら共産サタンを皆殺しにしてやる。だがその前にてめえらサタンのガキをひき殺してやる。(略)なんだったら社会部の記者のガキからやってやるぞ。てめえらのようなアカサタンを殺すのがおれたちの教祖さまから与えられた神聖な使命だ。必ず殺してやる。サタン皆殺しだ。」

 「共産サタン」など統一協会勝共連合がよく使う言葉が使われていて、これらの団体の関係者が書いた可能性があると樋田さんたちは考えていた。それにしても怖い文章である。憎しみが文面ににじみ出ていて、ほんとうに殺すつもりなのだろうと感じる。

 樋田さんの同僚のC記者は、統一協会を脱会した元信者の女性、福井美知さん(仮名)から、こんな話を聞いた。

 87年の3月半ばのこと―
大阪市淀川区西中島にあったビルに、霊感商法の各店舗で働く献身者(信者にかるために家を出た人)約100人が集められた。そこに、「対策部長」と名乗る男が現れ、「私が今月から関西の対策部長になった。大阪は特にマスコミが騒ぎ、ややこしい。だから、いずれ私が行くことになるだろうと思っていた」と切り出したあと、こう話した。
「サタン側にとっても、今は最後のチャンス。サタンはいずれ自分らが滅びることを知っており、最後のあがきをしている。この時点でサタン側に立っているのは朝日新聞共産党、(α教会への)反対派牧師、反対父母の会、弁護士などである。(略)」》
《さらに、「この大切な時に、神側を撃ってくる人たちに対し、たとえ誰かが霊的になって(使命感に燃えて=C記者による注)サタン側に立つ誰かを撃ったとしても、それは天的に見たならば当然許される」とも話したという。》

 事件を予告するかのように、文書の処分も行われた。

《この時期、α教会に関連した大阪の各店舗では、重要書類が「B倉庫」と呼ばれていた秘密の倉庫に移されていたという。福井さんは「連休明けに警察が入ってくるのではないかと言われていた。文書類を処分する「文の日」が頻繁にあった。4月後半から5月初めにかけての緊張感はものすごかった」と話した。5月3日の阪神支局襲撃事件の翌日、ホームにいた仲間の信者らは3月の対策部長の話を思い、「やっぱり撃たれたのか」と話し合ったという。》

 さらに、マイクロ部隊(マイクロバスに乗って各地を移動しながら物品販売や寄付集めをするグループ)にいた元信者、桜明美さん(仮名)からこんな証言を得た。

《5月3~5日の三日間、東京・八王子市にあった教団の施設で講習会が行われた。この講習会の二日目、つまり5月4日の朝会で、マイクロ部隊の中山隊長(仮名)が90人のメンバーを前に、「皆さん、関西で起きた朝日新聞の襲撃事件を知っているでしょう。実は、やったのは私の霊の親(α教会へ誘った人)なんです」と話したという。聞いていた人たちの中から拍手が起きたのを、桜さんは覚えていた。》(P141-143)

 統一協会は銃器との関係も深い。
 「赤報隊事件」当時、統一協会は全国で26店の系列銃砲店を持ち、その多くで射撃場も併設していた。統一協会は韓国で銃砲メーカーを経営しており、そこで生産したエアライフル(空気銃)を日本にも輸出していた。兵器製造はその後、別の企業に受け継がれ、現在も機関銃や戦車の部品などを製造しているという。

 統一協会の信者で射撃競技の選手もいて数人が全国大会に出場、入賞する実力者もいた。
 さらに、自衛隊員の信者3人も判明した。その中に佐藤恒次氏(仮名)がおり、アフリカで「義勇兵」として活動していた。樋田さんは彼の取材を試みる。

《佐藤氏はアフリカから帰国後、東京の右翼団体「大日本誠流社」に加入し、86年の参議院選挙には比例区で立候補し、落選していた。

 1987年秋、私は大日本誠流社の楠本正弘会長を通じて取材を申し込んだが、「本人が朝日には協力したくないと言っている」として拒否された。楠本会長への取材を重ねるうち、「どの男が佐藤なのかぐらいは教えてやろう」と言われ、大日本誠流社の東京・新橋駅頭での街宣活動に立ち会った。「あいつが佐藤だよ」という楠本会長の指差しに従い、街宣車上でマイクを握る日焼けして屈強そうな男性を確認した。演説を終えて街宣車から降りてくる佐藤氏を呼び止め、取材への協力を求めたが、彼は一言も答えず、一目散に雑踏の中へ走り去った。

 その後、佐藤氏は大日本誠流社から離れて消息を絶ち、僧籍を得て奈良県の小さな寺に籠っていたが、1990年1月29日、暖を取っていた練炭火鉢による一酸化炭素中毒で死亡した。「彼が事件にかかわっていた可能性はある」と話す兵庫県警幹部もいたが、佐藤氏の「事故死」を報じる小さな記事が朝日新聞の奈良版に掲載されるまで、長い間、消息不明だったため、本格的な事情聴取はできないままに終わった。》(P150)

 統一協会そのものの恐ろしさに加え、日本の権力者の名前を出し「警察は俺たちの操り人形だ」と豪語する脅迫状の内容が単なる戯言ではない可能性を感じるとき、その恐怖感はつのる。

 この組織と日本の政界、とくに自民党との関係、さらに行政や警察、司法などとの関係は徹底して追及されなければならない。これは真の意味での「国益」の問題である。

(つづく)

統一協会と「赤報隊事件」の闇

 きょうはよく晴れたので、多摩湖自転車道をサイクリングして多摩湖まで行った。もうモクレンや桜はほぼ終わり、ツツジが咲いている。今年は何でも早いな。

多摩湖自転車道

 坂本龍一さんが亡くなった。つねに積極的に社会的メッセージを伝えようとしていた坂本さんは、ロシアのウクライナ侵攻の2カ月後には、20歳の音楽家イリア・ボンダレンコさん(20)とPeace for Iliaを共同制作している。

www.youtube.com

 イリアさんは「僕たちの国では戦争が起きているが、坂本さんはそれが作曲を止める理由になってはいけないと示してくれた偉大な人です」と彼の死を悼んだ。

 坂本龍一さんの死去に関する番組を観て、言論の自由があやうくなっているこの時代に得難い人を亡くしたのだなあとつくづく思う。坂本さんはかつてラジオ番組でこう言っていた。

TBS報道特集8日より


「何でこんなに日本は言いたいことが言えない国になっちゃったのか。何が怖くて皆、言いたいことが言えないのか。皆もっと言いたいことを言いましょうよ。個人もミュージシャンもメディアも皆そうですよ。」
TBSラジオ2009年12月29日放送)

 ジャーナリストの浜田敬子さんはきょうの「サンデーモーニング」で、

「この30年間、戦争だけじゃなくて、気候変動、アーティスとの権利とか、経済格差の問題だとかさまざまなほんとに広い社会課題に対して発信を続けられたんですけれども、その行動力こそが若い世代とか私たちに勇気を与えてくれた気がします。

 著名人がそういう発言をするというのは、日本ではいわれのないバッシングを受けることもあるにもかかわらず、坂本さんが前面でやってくれているから、私たちも声を上げようと思わせてくれた方だったんだなと思います。」とコメントしたが、なるほどと思った。

 風の強い時代、先頭で風よけになる人のあとに多くの人がつづくというイメージか。そのくらい今が厳しいということか。次の風よけは誰だろう。ほんとうは自分が風を受けるのに耐えて歩き出さなくてはならないのだが。
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 前回紹介した有田芳生さんの統一協会に関するコメントのつづき。

 迷宮入りとなった「赤報隊」事件に統一協会が関わってた可能性について、有田さんはこう語っている。

《1987年5月3日に「赤報隊」事件が起きる。

 阪神支局で男押し入って銃撃し、小尻智博記者(29)が殺された。警察は犯人が右翼・新右翼の可能性ありと見た。5月6日に共同と時事に「反日朝日を許さない」との犯行声明が届けられたからだ。

 ところが同じ5月6日に朝日新聞東京本社に一通の脅迫状が届いていた。そこには統一協会の悪口を言うやつは皆殺しにすると書いてあった。消印は渋谷区で統一協会の本部があるところ。

 そして同封してあったのは散弾銃の使用済みの散弾容器2個だった。それらはレミントン社ピータース7.2弾という日本ライセンスのものだった。朝日阪神支局で使われた散弾銃の弾が、同じアメリカ製のレミントン社ピータース7.2弾。こちらはアメリカ製で脅迫状に入っていたのは日本ライセンス生産のものだったが、全く同じ銃弾だった。このときはまだマスコミも誰も銃弾の型など知らなかったので、捜査当局はびっくりした。

 さっそく統一協会勝共連合の信者たちがリストアップされた。「統一教会重点対象一覧表」という。その中にIAというイニシャルの男がいる(リストには実名が出ている)。IAは自衛隊出身者で右翼団体に入った経歴があり、統一教会非合法軍事組織のメンバーとされている。彼は1991年、奈良の小さなお寺で一酸化炭素中毒で亡くなっている。

 亡くなる直前に朝日新聞樋田毅記者が、新橋で演説しているIAに取材をかけるが、慌てて雑踏の中に逃げて行ってしまった。結局、警察はその人物から事情聴取することなく亡くなってしまった。

 もっとある。「赤報隊」事件のあった87年5月3日の同じ5月の30日、教祖の文鮮明は、韓国のリトルエンジェルス芸術学園で講演をしている。「信者たちは私の言うことを何でも聞く」と繰り返したあと、「この数か月間、数百億円がふっとばされた」と言った。

 70年代の終わりから80年代にかけて、莫大な被害が霊感商法で出ており、86年12月から87年にかけて、私(有田さん)たちは「朝日ジャーナル」で霊感商法被害キャンペーンをやった。被害弁連が87年2月にでき、当時は霊感商法がやりにくくなっていたときだった。この講演で文鮮明は、「2月以降、大変な批判があった。私は朝日新聞と読売新聞を攻撃せよと言った」といい、そのあと「みんなには分からないだろう。私には分かっているんだ。分かるだろ」と話を締めくくった。

 そして、結果的に、統一協会は摘発されずに「赤報隊」事件は時効を迎えた。》

 怖い話である。安倍氏の一族は、こういう団体を自民党に引き入れたのだから、罪深い。

(つづく)

選挙で統一協会問題を問え

 おととし3月に名古屋市の入管施設で亡くなったスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)の遺族が国に賠償を求めている裁判で、きのう、遺族の弁護団は、証拠として提出された収容中の女性が体調を悪化させていく様子を写した映像5時間のうち約5分間を報道機関に公開した。

 「病院に連れて行って」、「私死ぬ」と懸命に訴えるウィシュマさんに対する扱いの冷たさは、見るのがつくらなるほど。猛烈な怒りを感じる。

NHKニュースより

 動画については東京新聞が詳しく紹介している。

www.tokyo-np.co.jp

 この事件の反省がまったく見られない入管法改正につよく反対する。

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あの教会すっかり忘れ選挙戦 (兵庫県 松井憲三)
世襲する人に課したい相続税 (東京都 吉永光宏)

 7日の朝日川柳だが、選挙に関する報道があまりにも少ない。

 テレビでは一日中、WBCと出場した選手、監督の話題をまだやっている。

 統一協会が政治の中枢を汚染していた大問題は選挙の争点にならずに、脇に置かれてしまう危惧を覚える。

 有田芳生さんは山口4区で衆院補選を闘っているが、統一協会と安倍元総理の一族との関係を正面から問う

 ソウル発で、1992年、金丸信自民党副総裁(当時)が便宜をはかって文鮮明を超法規的に日本に入国させたとの外交文書が報じられた。

【ソウル共同】「1992年3月に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の創設者文鮮明氏(故人)が来日した際、米国で実刑判決を受けて本来は日本に入国できないのに、金丸信自民党副総裁(当時)が便宜を図り特別に許可されていた経緯が、韓国外務省が6日公開した外交文書で分かった。政界と教団との深い関係が30年前の外交記録からも浮かび上がった。
 文書によると、法務省は当初、文氏の入国を拒否しようとした。だが金丸氏が身元を保証した上、外務省も異論を示さなかったため、入国が許可されたという。韓国大使館が日本外務省に非公式に問い合わせた情報としている。」

 これはすでに知られていたが、韓国の外交文書で裏付けられた。

 松野博一官房長官は6日の記者会見で、この入国経緯について、「法相の裁量的な処分である上陸特別許可を受けて上陸が認められたものと承知しており、当時の法相の判断として適切なものであったと聞いている」と述べているが、これがいかに間違っているかを、有田さんが語っている。
https://twitter.com/renkon33211147/status/1643996491009368069?s=20

 入管法第5条の4に「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」は入国できないとはっきり書いてある。超法規的に入国させたのは間違いない。

takase.hatenablog.jp

 文鮮明は80年代はじめ、米国で脱税で逮捕され、1年6カ月の実刑判決を受け服役した。そこに安部元総理の祖父である岸信介氏が、レーガン大統領に、文鮮明を早く釈放してくれるよう嘆願する手紙を出す。その効果か、文鮮明は84年に1年1カ月で刑務所から出ている。

 1年以上の刑罰を受けた文鮮明は、日本に入国できない。そこを金丸信氏が政治的な力をつかって特別に入国許可させた。

 つまり自民党の実力者が複数回にわたって超法規的な便宜を文鮮明に与えているのだ。

 有田さんは、この背景を実際の取材にもとづいて詳しく語っている。とくに、70年前後に、統一協会系企業が散弾銃と空気銃を製造し、大量に日本に持ち込んだ経緯、今もある教会系銃砲店、政治家の秘書として送り込まれた91人の女性信者・・・統一協会とはどんな組織なのかがよく理解できた。

 有田さんの解説、ぎょっとするような内容満載でおすすめです。ぜひお聞きください。

 私はそのなかの、1987年5月3日の朝日新聞記者が殺害された赤報隊」事件統一協会の関係に戦慄させられた。

 これは次回紹介しよう。

 

有田芳生さん、安倍元総理のお膝元で闘いを挑む

 安倍晋三元首相の死去に伴う衆院山口4区補選(4月11日告示、23日投開票)に、ジャーナリストの有田芳生さんが立憲民主党公認で立候補する。

 山口4区には安倍後援会が推す前下関市議の吉田真次氏(38)が自民党公認で立候補を表明しており、有田さんは安倍氏の“後継者”に正面から闘いを挑むことになる。

「黙せず闘う」有田さんのツイッターより

 保守王国でしかも安倍家のお膝元だが、有田さんはここでこそ安倍政治を問わないわけにはいかないと立候補を決意、数十人の奇兵隊が世の中を動かした、その誇りをもって闘うと「第三

daisankiheitai.net


 争点として、統一教会問題、「アベノミクス」の検証、拉致問題の三つを挙げ、「今回の選挙を、日本の政治をゆがめてきた、保守の立場の人からさえも認めてはいけない統一教会汚染を打開していくきっかけにしたい」と語っている。

 有田さんは京都出身だが、山口県とくに4区の下関に深いご縁があるという。

「日本で初めて女性獣医の資格を取った母ですが、下関の保健所で働いていました。レッドパージで公職を追われた父は、母を追って下関へ。大林組の日雇い労働者(鉄筋かつぎ)や米屋の配達夫として働きます。2人はいまの長門市で結婚。この地は私にとって人生の原点なのです。」(有田さんのツイートより)

山口県は全国有数の統一協会の密集地(有田さんのツイッターより)

 「長周新聞」に載った有田さんの出馬表明と質疑応答から以下抜粋。

www.chosyu-journal.jp

統一協会について》

有田 安倍元総理とは私的な場でもさまざまな対話をかわすことがあったが、安倍さんが幹事長の時代には統一教会の人たちと会わないようにしているといわれていた。桜田淳子さんたちの合同結婚式が問題になり、週刊誌も含めてたんなる芸能ネタではなく、霊感商法を含めた社会問題だと主張していた時期、当時の自民党統一教会国際勝共連合から距離を置いていた時期だ。92、93年、2000年代の初めもそうだった。

 だが、地下鉄サリン事件以降、統一教会問題の企画を『週刊文春』に出してもほとんど通らなかった。『週刊朝日』や『週刊ポスト』『週刊文春』が単発的に統一教会問題を扱ったことはあるが、この空白の30年間に統一教会は国会議員にも地方議員にも入り込んできた。調査した結果、残念ながら統一教会と距離を置いていた安倍晋三元総理も2010年以降、統一教会と接点をだんだん深め、最終的には統一教会の票を差配する立場になった。

 安倍さんが距離を置いていた時代からどんどん変わっていったことを私は検証している。安倍元総理と統一教会を結んだ接点に立つキーパーソンがこの山口にいた。だから私は日本の政治の統一教会汚染をもたらした大きなポイントになる土地である山口から選挙をたたかわなければならないとの決意になった。なぜ距離を置くといっていた安倍さんが近づいてしまったのか、残念だ。2006年に安倍さんが統一教会系の団体に祝電を送ったさいに、霊感商法被害弁連などがやめてほしいと伝えていた。UPF(天宙平和連合)にビデオメッセージを送ったさいにも安倍事務所に伝えたが、受けとり拒否だった。そのことをわかっていただいていたならば、安倍さんの非業の死はなかったと考えている。

 この土地から、自民党を支持してきた方々、保守的な方々にも、統一教会という組織がどのようなものであったのか、できるだけわかりやすく伝えていきたいと思った。

 

《Q 統一教会問題には安倍政治のメディアの問題も含まれるのか。》

有田 1995年に地下鉄サリン事件が起きて以降、私は警察庁、警視庁の最高幹部と交流する機会があった。そしてオウム事件が裁判に移行した段階に、警察庁、警視庁の幹部に呼ばれ、全国の公安警察のトップに統一教会問題についてレクチャーした。そのときに警察庁、警視庁幹部は「オウム真理教の問題はほぼ決着がついた。次は統一教会だ。準備が始まっている」といった。しかしそれから10年、ほとんど動きがなかった。

 10年後、警視庁の幹部に「なにもなかったですね」と聞いたところ、その理由は「政治の力」だといわれた。それを去年の7月18日、テレビ朝日の『羽鳥モーニングショー』で話すとそれからはテレビ朝日から呼ばれなくなった。

 去年夏以降の統一教会報道に深くかかわってきたが、テレビ局の上からの指示でプロデューサーから「“政治の力”はいわないでほしい」といわれた。その局以外にも、特定の政治家と統一教会の深い関係について報道すると、その政治家が政治部の記者を使って番組に圧力をかけにきた。現場はみんな知っている。放送法の解釈変更を変えさせなければいけないが、解釈の問題だけではなく、実際に圧力が加わっている。こうしたことも機会があれば語っていきたいと思っている。

 

拉致問題と安倍政治について》

 私は拉致問題の解決をなんとしても前に進めなければいけないと思ったので、予算委員会でも何度も安倍さんに問うてきた。2002年9月17日、小泉元総理が北朝鮮平壌を訪問して金正日国防委員長と会談し、拉致を認めさせ、政府認定拉致被害者17人のうち5人が日本に戻ってくることができた。しかし横田めぐみさんをはじめとして12人はいまだ日本に戻ってくることができていない。

 ほとんど報道されていないが、2014年5月のストックホルム合意のなかで、北朝鮮側は日本政府に対し、政府認定拉致被害者の一人、神戸の田中実さんは生きているという通告をおこなった。だが、菅官房長官、安倍元総理はその結果を受け入れることはできないとし、いまだ日本政府は田中実さんの生存情報があったことを認めていない。生身の人間であり、しかも政府認定拉致被害者だ。なぜ放置するのだろうか。

 すべての拉致被害者の「即時一括帰国」という政府の方針があるが、私は一人からでもとり戻さなければいけないと考えている。私の調査によると田中実さんの結婚相手は日本人女性、男性のお子さんには日本名がついている。結婚相手が日本人女性だったとすれば、拉致被害者ではなかったのか。そうしたことも今後の拉致問題の風穴を開ける道筋になってくる。今度の選挙を通じて、安倍元総理が実現できなかった拉致問題の道筋がどこにあるのかということも訴えていきたい。
・・・・・・・

 有田さんを応援したいと、「第三奇兵隊」にわずかだがカンパをした。

 ご健闘を祈る。

スクープの裏側 爆破された大韓航空機の機体発見

 朝刊の訃報を見て驚いた。テレビ朝日の記者、コメンテーターだった川村晃司さんが亡くなったという。公私ともに大変お世話になった方で、ご冥福をお祈りします。

川村晃司さん(BSテレ朝)

朝日新聞朝刊2日付

 川村さんといえば、まず『ニュースステーション』で、大韓航空機爆破事件で墜落しTた機体の一部を発見した大スクープが思い浮かぶ。

 1987年11月29日にアブダビバンコク行きのKAL858便が北朝鮮工作員が仕掛けた時限爆弾で爆破された事件だ。この事件の犯人として金賢姫が逮捕され、北朝鮮の秘密工作の奥深い闇と田口八重子さんの拉致が明らかになった歴史的事件でもある。

 事件の2週間後、非常用ゴムボートが発見されただけで、機体も遺体も見つからないままだったが、90年3月10日、機体の一部がタイの漁船の網にかかったことを、タイの漁村の現場からリポートしたのが川村さんだった。事故から2年以上たっていた。

 実は、このスクープは、川村さんとよく一緒に仕事をしていたジャーナリスト、橋田信介さんが苦労してものにしたのだった。橋田さんは日本電波ニュース社の私の先輩で、当時はちょうど会社を辞めてフリーになったばかりだった。

 橋田さんはまず、ミャンマーアンダマン海沿岸で飛行機が落ちるのを目撃した人がいないか調べ始めた。当時、ミャンマーは外国人の取材が非常に厳したかったが、いろんなからめ手を使ってトライし、目撃した漁師を見つけた。タイ側のカレン族ゲリラへもアプローチして、タイの漁民による目撃談もゲット。ミャンマー領の海域と推定した。

 89年10月、タイの英字紙「バンコクポスト」に、タイとミャンマーの国境の港町、ラノン発の記事が載った。ミャンマー領のアンダマン海でタイの底引き漁船が、飛行機のエンジンらしい屑鉄を引き揚げたという。

 なぜタイの漁船がミャンマーの領海で操業するのか。これは、88年に始まるミャンマー民主化闘争に関係していた。学生や民衆の強い要求によって90年5月に総選挙を実施することになった軍事政権は、選挙に勝つため国民へのサービスを必要とした。その資金を生み出すために、ミャンマー政府はタイに漁業権を売った。その結果、タイの漁船がミャンマー領海で、エンジンらしい屑鉄を引き揚げたのだった。

 バンコクからラノンまで600キロ。車で12時間の道のりを橋田さんは7~8回往復したという。ラノンの屑鉄屋には、漁船が引っかけた、KALと書かれた機内の食器のトレイもあった。屑鉄の値段は魚より高いので、捨てずに売りにくるという。

 橋田さんは操業中の漁船と無線で連絡をとる港湾局の無線担当者にお金を渡し、何かかかったら電話をくれと頼んだ。

 一カ月たってその無線担当官から電話が入り、ある漁船が大きな飛行機の残骸を引っかけて網が切れたため、5日後にタイに戻るという。橋田さんはテレ朝の川村さんに連絡して一緒にラノンに向かい、漁船を待ち受ける。その漁船には巨大な飛行機の胴体部分がくくりつけてあった。薄いブルーの機体には「1988 Seoul」とオリンピックの五輪マークがついていた。間違いなかった。

 そのときのことを橋田さんはこう述懐している。

「長期間一人で粘った取材だから、喜びで全身が震えた。同時に、天に舞い上がるような開放感を感じた。」(『戦場特派員』p148)

実業之日本社2001年


 数多くの伝説のスクープを放った橋田さんは、2004年5月にイラク武装集団に銃撃されて亡くなった。

takase.hatenablog.jp

 多くの先輩方にめぐまれてきたことにあらためて感謝したい。

 

放送の公平原則撤廃が生んだトランプ大統領

 松井孝典(たかふみ)さんの訃報を新聞で知った。前立腺がんで77歳で亡くなったという。

松井孝典さん(wikipediaより)

 日本の惑星科学の第一人者で学際的な地球学を唱えている。1986年、英国の科学雑誌『ネイチャー』に海の誕生を解明した「水惑星の理論」を発表し世界の地球科学者から注目を集めた。千葉工業大学学長、東京大学名誉教授。

 松井さんは、自然を客観的に研究する科学者であるとともに、現代という宇宙史における画期をどう生きるかという哲学をも探求していた。

 『宇宙人としての生き方―アストロバイオロジーへの招待』(岩波新書、2003年)では、「地球システムの中に新しく人間圏が出現し、地球システムの構成要素が変わったのが現代という時代だ」という時代認識のもと、「私は個人的には、我々は宇宙を認識するために人間圏を築いたと考えています」と人類を位置づけた。そして人間中心主義的なふるまいで地球がおかしくなってきている事態に警鐘を鳴らし、「宇宙人としてどう生きるかを考えない限り、これからの地球システムと調和的な人間圏=文明はありえないと思う」と読者に語りかけている。

 私もたくさんの学びをいただいた。ご冥福をお祈りします。
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 国会で総務大臣に「放送法」の解釈を変える答弁を行わせるよう画策した問題。これは徹底して追及してもらいたい。

 安倍晋三首相は、放送法の解釈変更からさらに進んで、放送法自体を撤廃しようと考えていたようだ。2017年10月、衆院選公示の2日前、放送法が適用されないネットテレビに出演したが、国会で「技術革新によって通信と放送の垣根がなくなるなか、(略)放送事業の大胆な見直しが必要だと考えています」と「政治的に公平であること」という努力など必要ないと言いたげな答弁もしている。

報道特集(25日放送)より

 現に「通信・放送の改革ロードマップ」という文書には、「放送特有の規制の撤廃」として放送法第4条の「番組準則」(注:ここに「政治的公平」も規定されている)が挙げられ、「放送(NHKを除く)は基本的に不要に」との文言がある。

報道特集(25日)

 つまり、安倍内閣は、テレビに「停波」の脅しまでかけて、放送法の公平原則を、政権批判を封じることに使っておきながら、その一方で、公平原則自体をなくし、NHK以外の「放送」もなくして、偏った主張を垂れ流すネットメディアのような媒体だけにしようと考えていたのだ。

 これはアメリカに追随しようというのだろう。

 アメリカでは1987年、レーガン政権のもとで、放送の公平性を担保するための「フェアネス・ドクトリン」(公平原則)が廃止された。その結果は、FOXニュースをはじめ、政治的に偏ったメディアがたくさん出現し、トランプのような大統領を生み、アメリカ社会は決定的に分断されてしまった。

 砂川浩慶・立教大学教授(メディア社会学)は「アメリアは一つの失敗例だと考えた方がいい」という。

むくれた子どものような答弁。自制心に問題がありそうだ(サンモニ26日OAより)

報道の自由度で凋落する日本(報道特集25日)

 民主主義の根幹に関わることであり、この問題はゆるがせにできない。

衝撃のドキュメンタリー映画『ナワリヌイ』

 映画『ナワリヌイ』を観てきた。去年6月公開なので、遅ればせながら、なのだが、衝撃のドキュメンタリーだった。すばらしい。


 以下は作品オフィシャルサイトの解説―

ロシア反体制派のカリスマ、アレクセイ・ナワリヌイを追ったドキュメンタリー。
プーチン政権への批判で国内外から注目を集め、若年層を中心とする反体制派から支持を集める政治活動家ナワリヌイ。政権にとって最大の敵と見なされた彼は不当な逮捕を繰り返され、巨大な力に追い詰められていく。そして2020年8月、ナワリヌイは移動中の飛行機内で何者かに毒物を盛られ、昏睡状態に陥る。ベルリンの病院に避難し奇跡的に一命を取り留めた彼は、自ら調査チームを結成して真相究明に乗り出す。「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」のダニエル・ロアーが監督を務め、暗殺未遂事件直後からナワリヌイや家族、調査チームに密着。事件の裏に潜む勢力を驚きの手法で暴いていくナワリヌイの姿を捉え、ロシア政府の暗部に切り込んでいく。

 サンダンス映画祭2022でシークレット作品として上映され、観客賞とフェスティバル・フェイバリット賞をダブル受賞。第95回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。》https://eiga.com/movie/97181/

 この映画では、プーチン政権の極悪非道が次つぎに明らかにされるのだが、そのプロセスがあまりに劇的で、まさに「事実は小説よりも奇なり」を地で行く展開をする。

ナワリヌイ(wikipediaより)

 ナワリヌイはもとは投資家だったが、ロシアでは汚職がはびこり、政権とオリガルヒ(財閥)が経済を好きなように支配しており、まともな投資ができないと政治の世界に飛び込んだ。汚職を暴露しプーチン体制に反対する運動で頭角を現わす。13年にはモスクワ市長選挙に立候補するが、完全な濡れ衣の詐欺罪で逮捕される。その後もプーチン政権からの弾圧、妨害が続くが、人気はどんどん高まり、プーチンを脅かす大物政治家とみなされていく。

 20年8月、ナワリヌイはシベリアのトムスクからモスクワに向かう飛行機の中で呼吸困難に襲われる。飛行機はオムスク空港に緊急着陸。その後、現地の病院に入院するが重篤な状態が続き、家族の要請でドイツに搬送され一命をとりとめる。

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ドイツ政府は、毒物「ノビチョク」が検出されたと発表、ロシア政府に説明を求める。というのは、ノビチョクはロシアが開発した神経毒で、呼吸困難などを起こし自然死のような死に方をする。

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 病床で、ノビチョクが検出されたと告げられたナワリヌイは喜ぶ。これを使用したことで、ロシア政権が犯人であることがはっきりしたからだ。プーチンはバカだなとナワリヌイ。英国で18年3月、元ロシアのスパイとその娘がノビチョクを浴びて重体となり、英国政府がロシアの関与と結論づけていた。

 ナワリヌイに何が起きたのか、事実究明する活動が始まる。大きな役割を果たすのが「ベリングキャット」という調査チーム。ベリングはベルをつけるという意味で、猫に鈴をつけようというネーミングだ。ウソの情報やフェイクニュースを暴くことを使命としており、そのためにインターネットで寄せられるエキスパートや様々な人たちの協力を得ながら調査を進めていく「オープンソース・ジャーナリズム」だ。

 このベリングキャットは、2014年ウクライナ上空でマレーシア航空機が撃墜され乗員乗客298人が死亡した事件で、ロシア側のミサイルが発射されて命中した情報を明らかにした。また、ロシアのウクライナ侵攻では、劇場が爆撃され、中に避難していた多くの人たちが亡くなった事件や、産院への爆撃など、ロシアが関与を否定する惨劇が実際にロシアによるものであることを暴露している。

 ベリングキャットは、ナワリヌイを殺害しようとした諜報機関FSBロシア連邦保安局)の殺人グループを特定。さらに彼らの携帯電話番号も入手した。ここからがすごい。

 ナワリヌイが自ら彼らの携帯に電話するのだ。ナワリヌイはロシア国家安全保障会議NSC)の高官と身分を偽り、殺人グループの一人、コンスタンティン・クドリャフツェフに、なぜナワリヌイの殺人に失敗したのかと尋ねる。するとクドリャフツェフは、飛行機が緊急着陸して解毒剤を注射したから死ななかったが、あのままもう少し飛んでいれば死んでいた筈だと釈明。そして、ホテルのナワリヌイの部屋に忍び込んで、ノビチョクをパンツの縫い目に仕込んだこと、さらに入院した病院から毒物の痕跡をなくすためにナワリヌイの衣類を回収したことまでしゃべってしまう。まさか、まさか・・と目を離せない、まるでミステリーのような展開が圧巻だ。

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 プーチンは出身母体のFSBを手足のように使って、これまでも政敵やリトビネンコ(元FSB工作員プーチンの謀略を暴いた)を暗殺してきた。

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 そもそもプーチンが権力を掌握する過程がすべて謀略だった。

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 映画ではナワリヌイの殺人未遂を追う中で、プーチンがいかに腹黒い指導者であるかが明らかになっていく。そしてプーチンが記者からナワリヌイについて質問されたときの不快感と不安を隠せない表情が見ものだった。

 また、ナワリヌイが命を狙われながらも闘いをやめず、ドイツからロシアに帰る選択をする豪胆さに感銘を受けた。彼の冗談を連発して皆を笑わせる姿、家族ぐるみで闘う妻と二人の子どものようすも印象に残る。案の定、21年1月17日、モスクワに飛行機が着くと、その場で逮捕された。現在懲役9年の判決を受けて刑務所に入れられている

 本人は獄中にありながらも、ナワリヌイの調査チームは、プーチン黒海のリゾートに1400億円の豪華な〝お城“をこっそりと造っていたことをドローン映像で暴露し、大きな反響があった。
https://www.youtube.com/watch?v=MAPkNRmXQvc

 なお、ナワリヌイは、ロシアのウクライナ侵攻がはじまった去年2月24日、仮設の刑務所内裁判所で「私はこの戦争に反対です」「この戦争は、ロシアの問題から注意をそらすように設計されていると思う。それは、より大きな貧困につながるだけだ」と意見を表明し、「この戦争を引き起こしたのは盗賊や泥棒だと思います。私は、この泥棒の犯罪政権と戦うために政界に入りました」と付け加えたという。(wikipediaより)

 ナワリヌイは、ロシアとロシア人の希望である。

 一日も早い解放を!