スクープの裏側 爆破された大韓航空機の機体発見

 朝刊の訃報を見て驚いた。テレビ朝日の記者、コメンテーターだった川村晃司さんが亡くなったという。公私ともに大変お世話になった方で、ご冥福をお祈りします。

川村晃司さん(BSテレ朝)

朝日新聞朝刊2日付

 川村さんといえば、まず『ニュースステーション』で、大韓航空機爆破事件で墜落しTた機体の一部を発見した大スクープが思い浮かぶ。

 1987年11月29日にアブダビバンコク行きのKAL858便が北朝鮮工作員が仕掛けた時限爆弾で爆破された事件だ。この事件の犯人として金賢姫が逮捕され、北朝鮮の秘密工作の奥深い闇と田口八重子さんの拉致が明らかになった歴史的事件でもある。

 事件の2週間後、非常用ゴムボートが発見されただけで、機体も遺体も見つからないままだったが、90年3月10日、機体の一部がタイの漁船の網にかかったことを、タイの漁村の現場からリポートしたのが川村さんだった。事故から2年以上たっていた。

 実は、このスクープは、川村さんとよく一緒に仕事をしていたジャーナリスト、橋田信介さんが苦労してものにしたのだった。橋田さんは日本電波ニュース社の私の先輩で、当時はちょうど会社を辞めてフリーになったばかりだった。

 橋田さんはまず、ミャンマーアンダマン海沿岸で飛行機が落ちるのを目撃した人がいないか調べ始めた。当時、ミャンマーは外国人の取材が非常に厳したかったが、いろんなからめ手を使ってトライし、目撃した漁師を見つけた。タイ側のカレン族ゲリラへもアプローチして、タイの漁民による目撃談もゲット。ミャンマー領の海域と推定した。

 89年10月、タイの英字紙「バンコクポスト」に、タイとミャンマーの国境の港町、ラノン発の記事が載った。ミャンマー領のアンダマン海でタイの底引き漁船が、飛行機のエンジンらしい屑鉄を引き揚げたという。

 なぜタイの漁船がミャンマーの領海で操業するのか。これは、88年に始まるミャンマー民主化闘争に関係していた。学生や民衆の強い要求によって90年5月に総選挙を実施することになった軍事政権は、選挙に勝つため国民へのサービスを必要とした。その資金を生み出すために、ミャンマー政府はタイに漁業権を売った。その結果、タイの漁船がミャンマー領海で、エンジンらしい屑鉄を引き揚げたのだった。

 バンコクからラノンまで600キロ。車で12時間の道のりを橋田さんは7~8回往復したという。ラノンの屑鉄屋には、漁船が引っかけた、KALと書かれた機内の食器のトレイもあった。屑鉄の値段は魚より高いので、捨てずに売りにくるという。

 橋田さんは操業中の漁船と無線で連絡をとる港湾局の無線担当者にお金を渡し、何かかかったら電話をくれと頼んだ。

 一カ月たってその無線担当官から電話が入り、ある漁船が大きな飛行機の残骸を引っかけて網が切れたため、5日後にタイに戻るという。橋田さんはテレ朝の川村さんに連絡して一緒にラノンに向かい、漁船を待ち受ける。その漁船には巨大な飛行機の胴体部分がくくりつけてあった。薄いブルーの機体には「1988 Seoul」とオリンピックの五輪マークがついていた。間違いなかった。

 そのときのことを橋田さんはこう述懐している。

「長期間一人で粘った取材だから、喜びで全身が震えた。同時に、天に舞い上がるような開放感を感じた。」(『戦場特派員』p148)

実業之日本社2001年


 数多くの伝説のスクープを放った橋田さんは、2004年5月にイラク武装集団に銃撃されて亡くなった。

takase.hatenablog.jp

 多くの先輩方にめぐまれてきたことにあらためて感謝したい。