辺野古は「やるしかない」でドロ沼に

 きのう、昔の知り合いから、竹本さんが7月14日に亡くなったのをご存じですかとメッセージが入った。竹本信弘さん、かつての過激派の「教祖」、滝田修である。ネットで検索したら8月14日付で各紙に訃報が出ていたが、見逃していた。

かつての滝田修

《元新左翼理論家・活動家の竹本信弘(たけもと・のぶひろ)さんが7月14日、肺炎のため死去した。84歳。葬儀は近親者で営んだ。

 京都大大学院博士課程中退。同大経済学部助手として独の社会思想史、特にローザ・ルクセンブルクを研究。1969年の京大闘争に参加し、滝田修のペンネームによる革命論で全国の学生活動家に影響を与えた。映画「パルチザン前史」(土本典昭監督)に出演、「過激派の教祖」とも呼ばれた。71年に陸上自衛隊朝霞駐屯地(埼玉県朝霞市など)で起きた自衛官殺害事件の首謀者として指名手配されると容疑を否認し潜伏。京大で竹本さんの免職処分反対運動が77年まで続いた。82年逮捕、89年に懲役5年の有罪判決確定。釈放後は過去の革命論の非を認めた。著書に「ならずもの暴力宣言」「只今潜行中・中間報告」「滝田修解体」「今上天皇の祈りに学ぶ」など》(毎日新聞8月14日)

 亡くなって1ヵ月経ってやっと訃報が出るくらいひっそり暮らしていたのだろう。

 竹本さんは昔、私の家に1ヵ月ほど住んでいたことがあり、「兄弟」と呼ばれた仲だった。昨年はじめ、関西に行く予定があったので、久しぶりに一緒に呑もうと約束していたら、当日になって体調を崩し「ヨメさんに外出を止められて」会えなかった。

 年末の12月9日、出版予定だった『中村哲という希望』を送ろうかと電話した。すると、ちょっと呂律のまわらない口調で「わしは歳で、もうあかん」と言う。「本は読めますか」と尋ねると読めるとのこと。そこで本を送ったのだが、普通なら来るはずの礼状がなく、年賀状も来なかったので、かなり弱っているのかと心配していた。人は会える時に会っておくものだなとつくづく思う。合掌。

takase.hatenablog.jp

 

一水会の講演で会ったとき(2019年6月)

https://takase.hatenablog.jp/entry/2019/06/13/


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 沖縄の辺野古沖の大浦湾側で本格工事が始まった。某地方紙を引用する。

「米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設先となる名護市辺野古沖の大浦湾側で国が先週、本格工事に着手した。海底に広がる軟弱地盤の改良のため7万本のくいを打ち込む前例のない作業だけに、難航は必至だろう

 埋め立て区域は大きく二つに分かれ、浅瀬の南側は埋め立てをほぼ終えている面積が広い大浦湾側ではマヨネーズ並みと言われる軟弱地盤が原因で作業が遅れていた。工期も2030年代半ばまで延び、総工費は当初の3倍近い9300億円に上る。昨今の工費高騰を受けなお膨らむことも想定される。たとえ完成しても安定した運用ができるのか、心もとない。

 沖縄県辺野古移設は基地負担の軽減につながらないとして反対している。サンゴなど環境への影響も大きい。県は法廷闘争に訴えたものの敗れ、国が地盤改良工事の承認手続きを代執行する異例の展開をたどった。このまま一方的に工事を急げば、国と沖縄県の溝は深まるばかりだ。

 先の国会で、国の自治体への指示権を盛り込んだ改正地方自治法が成立し、国と地方の「対等・協力」の関係が「上下・主従」に戻りかねないと指摘された懸念が現実のものとなったと言わざるを得ない。

 県が環境保全などの要望を伝える場だった防衛省との協議は6月に事実上打ち切られた同月の県議選で玉城デニー知事を支持する勢力が過半数を割るのを待っていたかのようなタイミングだった。同じ6月には米兵による女性暴行事件を政府や警察が県側に通報しなかった不手際が発覚している。政府が反省し、県と向き合うつもりがあるならば、協議を再開するのが筋ではないか」(後略)(福井新聞27日付より)

 もっともである。

南の黄土色の部分は埋め立て完了。右上が軟弱地盤のある大浦湾側(北側)

航空写真「土砂投入が始まった場所」はいま埋め立てが完了した(この写真は2018年暮のもの)V字型の滑走路が2本できることになっている

 大浦湾側の「マヨネーズ並み」の軟弱地盤に、70メートルの砂の杭を7万本打ち込むという過去例を見ない工法で地盤を改良するという。しかし、軟弱地盤は90メートルに及ぶとの調査がある。防衛省は「下の層まで十分に達しなくても安定性を確保できる」!?と強弁するが、沖縄県は「防衛省は最も重要な地点の調査をしていない」と反発している。

 軟弱地盤の発見で19年、総工費は当初の3倍近い9300億円に上ると修正されたが、22年までですでに4312億円と半分近い費用を使ってしまった。南側は埋め立て済みになったが、ここに投入された土砂は全体の16%に過ぎない。これから150haの手つかずの軟弱地盤のある北側にとりかかろうというのである。沖縄県の試算では2.6兆円かかるというが、これでも控えめな数字に思われる。

 時間にすれば、埋め立て工事にこれから9年3カ月、米軍への提供に約12年かかるという。つまり2036年まで普天間基地は動かないということになる。普天間を移転しようとしてから40年後!昔の言葉でいうと、ひと言、ナンセンス!!

 この問題はそもそも「世界一危険な飛行場」と言われた在日米軍普天間基地について、1996年に日本側への返還が決まったことから話が始まる。民主党政権時代、当時の鳩山首相が代替地を「最低でも県外」(これはすぐに潰されたが、再評価されるべきだと思う)と発言するなどして方針が揺れ続けた。この間の経緯―

1995年の米兵による少女暴行事件を契機に日米両政府が返還協議をはじめ、96年に合意。2005年に辺野古地区への移設する案がまとまった。09年に移設先を「最低でも県外」と主張した民主党鳩山由紀夫が首相に就任して事態が迷走。第2次安倍政権発足後の13年12月、沖縄県仲井真弘多知事が辺野古沿岸部の埋め立てを承認したものの、その後2度の知事選では移設反対派が当選した。政府は18年12月、埋め立て海域に土砂投入を開始したが、日米両政府が合意した最短で22年度の返還目標の達成は一段と厳しくなっている」。
 これは19年の日経の記事だが、「22年度の返還目標」とは初めから大甘の見込みだったことがわかる。

世界一危険な空港、普天間基地。22年1月筆者撮影

 海兵隊は沖縄のなかに普天間の移転先を求めていなかったと考えられていたことについては―

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 日本国内なら沖縄の負担を他の自治体が分かち合うこともできる点については―

takase.hatenablog.jp

 先日の「サンデーモーニング」で、TBS記者の松原耕二さんがこのばからしい工事を一刀両断に批判していた。

 日本がこの基地建設にお金を出しているんですね。もしアメリカが自分のお金を出しているとしたら、こんな、いつできるかもわからない、いくらかかるかもわからないものを絶対に議会は許さないと思います。

 しかも、戦略的にも海兵隊は、小さな部隊に分散する戦略に転換していて、辺野古のような大きな基地はミサイルに狙われると思われているわけですね。しかも、辺野古の滑走路は普天間より1000メートル短くて、大型の軍用機は使いにくいわけですね。となると軍事的なメリットはあまりないんですよ。

 司令官などにも普天間でインタビューして思うんですけど、彼らは「危険だ」などと思ってもいないですから、おそらく辺野古ができても普天間を返還しない、海兵隊は手放さないと思ってます。

 じゃあなぜ、日本は辺野古の工事をやり続けるのかということなんですが、鳩山内閣のゴタゴタを見ると、触らぬ神にたたりなしということだと私は思っています。防衛閣僚が私に言った言葉が忘れられないんですが、「松原さん、辺野古はもうやるしかないんですよ」。それが実態なんだと思います。私は立ち止まるべきだと思います。

 「先の大戦」も、日本軍の上層部は戦争は負けるとシミュレーションしながら、結局ずるずるとやめられずに続けていった。「やるしかない」と破滅に向かって進む「慣性」=惰性。

 惰性で動く国が沈下を止めることはできないのではと暗澹たる気持ちになる。