和歌山毒入りカレー事件を問い直す映画Mommy

 和歌山毒物カレー事件の冤罪疑惑を追った映画Mommy(マミー)を観た。私にとっては今年一番の衝撃作だった。

メディアスクラムで押し寄せる取材者に水をかける林眞須美氏の映像が繰り返し流され、「毒婦」の印象が固定されていった


 事件が起きたのは1998年7月、夏祭りで提供されたカレーに猛毒のヒ素が混入、67人がヒ素中毒を発症し、小学生を含む4人が死亡した。近くに住む林眞須美が犯人とされ、09年に最高裁で死刑が確定した。林眞須美は一貫して無罪を主張し再審を請求するも却下されてきた。

 映画は26年前の事件を再検証し、これが冤罪であることを説得力ある調査報道で明らかにしている。林家のヒ素とカレーに入れられたヒ素が同じものだという科学鑑定、眞須美がカレー鍋に何かを入れたとの目撃証言が次々にくつがえされる

 でも、カレー事件の前にも、夫に保険金をかけてヒ素を何度も飲ませて殺そうとしたのでは・・・。ここが一番の「怪しい」点だったのだが、夫の林健がカメラの前で「保険金詐欺」をあっけらかんと告白する。このシーンが圧巻だった。

 林健治は詐欺罪で懲役6年の実刑判決を受けた。同時に、眞須美による殺人未遂の被害者とされた。この事情を健治が語る。

 シロアリ駆除の仕事のために車に積んでいたヒ素(当時はシロアリ対策でヒ素はよく使用された)を「どんな味すんのかな」と興味本位で舐めた。15分後体に変調をきたし入院することに。このまま死んだら家族が困ることになる。1億5千万円の保険に入っていた健治は、高度障害も死亡保証も保険金は同額だと教えられ、それを狙うことに。

 一年間、病院で「辛抱」して高度障害と認定され2億円の保険金を手にいれた。「それで病みつきになって」、次に競輪などのギャンブルで4千万円を使い込んで眞須美に怒られたさい、「もういっぺん高度障害狙ってやるわ」と再びヒ素を飲むが、量が多すぎて危篤状態に。なんとか助かり、二度目の高度障害で1億5千万円を受け取る

 この健治に検察は、眞須美の自白がとれないから、「眞須美にヒ素飲まされて殺されかかった」と裁判で言ってくれと頼んできたという。健治は断ったが、検察は眞須美の動機が指摘できないので、普段から人にヒ素を飲ませていた眞須美がカレー事件も軽い気持ちでやったというストーリーを作ったのだった。はじめから林眞須美犯人説で突っ走っていた警察、検察は、林家以外にも同じ町内にヒ素を持っていた人がいたのに、まったく調べていない。そしてマスコミが眞須美毒婦説に乗っかり、眞須美=毒婦のすさまじいバッシング報道を繰り広げた。

 健治の保険金詐欺はもちろん決して軽くない犯罪だし、賭け事にのめり込むちょっと困った人物であることは間違いない。(カメラに映る彼は、人情味のある「いいやつ」である)しかし、眞須美によって保険金目当てに健治がヒ素を飲まされたとの検察の筋書きは根本から崩れる。

 映画の最後は、二村真弘監督が警察に取り調べを受けることに。二村さんは、事件関係者を追いかけるため車にGPS装置を取り付けしようとして被害届を出されたのだ。すさまじい執念の取材をほとんど一人で4年がかりで行ったことに敬意を表したい。取材には十分な裏付けがあり、私は冤罪だと思う。

 はじめから林眞須美を犯人とする明確な証拠はない。状況証拠とされるものをつなぎあわせて死刑判決にもっていったのだが、その状況証拠が二村さんの取材でことごとく否定されていく。二村さんは言う。

「これで死刑になるのか、という空恐ろしさを感じた。

 さらに恐ろしいと感じたのは、主要メディアの記者やディレクターたちが、私が知り得た内容のほとんどを既に把握しているということだ。しかし、冤罪の可能性を報じることはほとんどない。現場で知り合った若い記者が耳打ちしてくれた。『冤罪の可能性を記事にしても上司にボツにされてしまいます。そうした上司は事件当時、現場で取材し、林眞須美が犯人に間違いないと書いてきた人たちです』(略)

 警察、検察、裁判官、証言者、マスコミなど、登場人物全員がそれぞれの立場で『正義』を行っていると信じている。それゆえに後戻りできない状況を生み出してしまっているように思える。かくいう私も、もし事件当時の現場に取材者として入っていたとしたら、間違いなく林眞須美を『毒婦』と呼び、糾弾することに何の疑いも抱かなかっただろう。冤罪の可能性を追及することは、自らの考えや認識を検証し続けることを余儀なくされる。私は取材中、何度もつぶやいた。誰が林眞須美を殺すのか?」(二村さんのディレクターズノートより)

 最高裁判所の判決文には以下の記述がある。

《主文 本件上告を棄却する。

 理由
(前略)
 被告人がその犯人であることは、
①    上記カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜砒酸が、被告の自宅から発見されていること、
②    被告人の頭髪からも高濃度の砒素が検出されており、その付着状況から被告人が亜砒酸等を取り扱っていたと推認できること、
③    上記夏祭り当日、被告人のみが上記カレーの入った鍋に亜砒酸をひそかに混入する機会を有しており、その際、被告人が調理済みのカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な挙動をしていたことも目撃されていることなどを総合することによって、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に照明されていると認められる。(なお、カレー毒物混入事件の犯行動機が解明されていないことは、被告人が同事件の犯人であるとの認定を左右するものではない。)
(略)

 そして、被告人は、カレー毒物混入事件に先立ち、長年にわたり保険金詐欺に係る殺人未遂等の各犯行にも及んでいたのであって、その犯罪性向は根深いものと断ぜざるを得ない。しかるに、被告人は、詐欺事件の一部を認めるものの、カレー毒物混入事件を含むその余の大半の事件については関与を全面的に否認して反省の態度を全く示しておらず、カレー毒物混入事件の遺族や被害者らに対して、慰謝の措置を一切講じていない。
(略)

 裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(後略)》

 5人の裁判官全員一致である。映画を見て冤罪を確信した上で、この判決文を読むと恐ろしさがこみ上げてくる。

 「誰が眞須美を殺すのか?」という二村さんの問いは、眞須美犯行を疑わない私たち自身にも向けられていると思った。また、メディアにかかわる一人として反省させられる。短期間だが私は二村さんとテレビ番組の取材をともにしたことがあり、感慨も一入だった。

 今なお林眞須美氏が犯人だと思っている人はぜひこの映画を観てほしい。きっと愕然とさせられ、日本の裁判制度、メディアの体質、さらにはそれを信じこまされてきた自分自身への問いかけが始まるだろう。

 林眞須美犯人視にマスコミが大きな役割を果たした上、まったく反省がないことについては、フリージャーナリストの片岡健氏がきびしく指摘している。

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