中村哲医師はなぜ殺害されたのか?

 

ペシャワール会カレンダー5月。「私たちは世界を救えない。ただ一隅を照らすのみである」

 前回、世界の悲劇や理不尽を知って心配になり夜も眠られない人にどうアドバイスするかという話を書いたが、中村哲先生なら、このカレンダーにあるように「私たちは世界を救えない。ただ一隅を照らすのみである」などと答えたかもしれない。

 いきなり世界全体を変えることはできないが、自分のいる一遇で誠実に生きて人のためになるだけでいいという。そして一隅を照らしつづけるうち、その一遇が世界とつながっていることが見えてくるのではないか。

ジャララバード市内に一昨年オープンしたナカムラ広場。中村さんの大きな肖像があるが、偶像崇拝を極力忌避するタリバン政権では異例の措置だ。ここは銃撃された地点のすぐ近く。(2022年筆者撮影)

 5年前の2019年12月4日、中村哲医師はアフガニスタン東部のジャララバード市で何者かに襲われ、同行の運転手や護衛など5人のアフガニスタン人とともに亡くなった。

 葬儀については以下

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 9人前後の男たちが、中村医師一行を毎朝の出勤ルート上で待ち伏せて銃撃。襲撃から現場を去るまで1分弱という手慣れた犯行だった。国際的にも注目を集めた事件だが、その真相はいまだ公的には明らかにされていない。

 朝日新聞記者の乗京真知さんは、独自の取材で犯人像と国際謀略ともいうべき事件の構造に迫り、その成果を今年中村哲さん殺害事件~実行犯の「遺言」』朝日新聞出版)にまとめた。本書に記された事実関係はしっかり裏取りがなされ、それにもとづく推論は合理的だ。乗京さんの取材によって、事件の大きな構図がはじめて明るみに出た。

 犯行グループのリーダー格は、パキスタンの反政府武装勢力TTP(パキスタンタリバン運動)のメンバー、アミールとみられた。TTPはパキスタン北西部を拠点に2007年に発足したイスラム武装勢力で、パキスタン政府打倒を掲げて政府施設などを攻撃している。12年には女子学生マララ・ユスフザイさん(後にノーベル平和賞を受賞)を銃撃している。14年からのパキスタン政府による掃討作戦で、メンバーの多くが国境を越えてアフガニスタン側に逃れた。主な資金源は誘拐や恐喝などの犯罪収益だという。中村さん襲撃の実行犯、アミールもアフガニスタンに潜伏し、犯罪を請け負って金を稼いでいた。

 取材を進めると、アミールはある人物から依頼されて中村さん襲撃を実行したことがわかる。依頼者はパキスタンの治安機関の密命を帯びた人物だった背景には川の水をめぐる隣国同士の鋭い確執があった。

 中村哲医師は、アフガニスタンを襲った大干ばつによる飢餓を救おうと、大規模灌漑に乗り出し、65万人の暮しを支える沃野を蘇らせた。灌漑の水は、パキスタンを源としアフガニスタンを流れて再びパキスタンに下る、アフガニスタン有数の大河、クナール川から引いている。上流で水を分岐させる大掛かりな事業は、下流パキスタンには水量減をもたらす。パキスタンは一昨年、大洪水で国土の3分の1が水没する国難に襲われた。近年、地球温暖化による洪水と干ばつの被害がますます甚大になっており、水をコントロールし安定的に確保することはパキスタン最大の懸案となっていた。そこで、クナール川上流の“脅威”を除去し、アフガニスタンの発展を阻止することを意図して中村医師襲撃は決行された

 というのが乗京記者が描く事件の構図である。これが正しいとするとまさに国際的謀略だが、私には非常に説得力あるシナリオに思われる。

 この構図に登場するプレイヤー同士の関係はちょっと複雑で、説明がいる。 

 まずTTPのメンバーが数千人の規模でアフガニスタンに潜伏していたとされるが、何故そんなことが可能だったのか。当時のアフガニスタン政府(まだタリバンではなかった)はパキスタン政府と戦うTTPをいわば「友軍」として国内に「飼って」いたのだ。アフガニスタンパキスタンの関係には歴史的にも大きな軋轢があり、いまだ国境線も正式には確定していない。(1893年に当時の英領インドとアフガニスタンの境界を定めた、デュランド・ラインと呼ばれる境界線をパキスタンは「国境」とみなすが、アフガニスタンは一度もこれを認めていない) 国境線のどちら側にも同じパシュトゥン民族が暮らし、TTPは国境を越えてはパキスタン側に攻撃をしかけたりしていた。

 パキスタン治安機関は本来は「敵」であるTTPを利用した。TTPは犯罪者集団化しており、アフガニスタン東部に土地勘もある。お金を提示すれば襲撃を請け負わせることができる。この関係の下では、アフガニスタンの情報機関は「飼い犬」であるTTPを摘発できない。摘発したら「テロ集団」の国内滞在を黙認してきた恥部をさらすことになる。さらに、2021年の政変で権力についたタリバンにとってTTPはいわば姉妹組織であり本気で捜査するわけもない。パキスタン治安機関はもちろん知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。真相は政治的思惑のなかでどちらの側からも覆い隠されてきた

 乗京さんの調査報道は事件の深い闇を暴く世界的スクープだが、取材の困難さは想像に余りある

 「ちまたに銃があふれるアフガニスタンで犯人を捜すことは、自分だけでなく助手やその家族を危険にさらすことでもあった」と乗京さんは記している。中村さんの「除去」をアミールらに依頼したパキスタンの国家機関について、「リスク管理のため組織を名指しすることは避けました」とのエピローグの文章には私までぞっとさせられた。

 近年、マスコミ企業は危険地での取材を極力避ける傾向にあるが、本書に記された貴重な取材方法論を学んでほしいと思う

 乗京記者のすばらしい調査報道に感銘を受けた。読み物としてもおもしろく、犯人像にじりじり迫っていく取材の過程は、読みだしたら止まらない。

 本書を読んで、あらためて中村医師の事業の意味をどう位置付けるたらいいか考えた。中村さんを取り巻く危険は、ヘリコプターで銃撃してくる米軍や盗賊化した地元の武装集団、水路建設への土地提供を嫌がる農民だけではなかった。巨大な国際的構図のなかで非常にリスクの高い仕事をしていたのだ。これについてはまた別の機会に論じたい。