「望むのは第一に平和、次に仕事」とカブール市民

12月4日が中村哲さんの命日だということもあって、メディアでも中村さん特集がいくつか見られた。

 「朝日新聞」では目についたのでこんな記事がー

東部ジャララバードの襲撃事件の現場近くに、タリバン政権が「ナカムラ」広場を作った。彼のことはアフガニスタン人全員が尊敬しているとの地元の声を紹介。(11月29日朝刊)

30歳のとき、中村さんの講演で、「誰か一緒にやってくれませんか」との呼び掛けにただ一人手を挙げ、それ以来現地へ。女性が肌を隠すので「らい病」の発見が遅れるため、女性スタッフが求められていた。フローレンス・ナイチンゲール記章を8月に皇后から手渡された。(12月1日朝刊)

3年前の事件後に中村さんの存在を知った若者たちが、ぞくぞくと会に加わっているという。ペシャワール会の会員・支援者は2万6千人。この3年で1万人増えた。(12月5日朝刊)

 それでも中村哲さんの精神、哲学のほんとうのすごさはまだ知られていないと思うので、今後もせっせと発信し続けたい。
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 アフガニスタン・リポート続き

11月18日(金)アフガニスタン5日目。

 ゲストハウスの朝食でパキスタン人に会った。もともと先祖はアフガニスタンにいたが祖父の代にパキスタンペシャワール(国境に近い町)に移住したという。

 彼は民族的にはパシュトゥン人。パシュトゥン人はアフガニスタンの主要民族でもあり、国境の両側に住んでいる。「自分の国にいるようだ」と彼は言う。実際、ペシャワールはもともとアフガニスタンの一部だった。

 アフガニスタンには、マイクロファイナンスの仕事で出張してきたとのこと。マイクロファイナンスと言えば、2006年にノーベル平和賞を受賞したバングラデシュグラミン銀行が有名だが、貧困層を対象にした少額融資のこと。

 彼はシステム構築のエンジニアで、「去年の政変で崩壊したマイクロファイナンスのシステムをもう一度立て直す仕事」に従事しているという。アフガニスタンマイクロファイナンス事業にはIMF世界銀行が出資しているそうだ。 

 政変で壊れた制度やシステムの復旧を進める人がここにもいた。ここは、かなり格下のゲストハウスだがいろんな人に会えておもしろい。

 イスラム圏でもマイクロファイナンスは広まっているようだが、シャリア(イスラム法)によれば「利息」は禁止されるはずなので、どうやって融資を回収するのか。
 このパキスタンの彼に聞くと、インド風の巻き舌の流暢な英語で縷々説明してくれたが、半分くらいしか理解できなかったのであとで調べよう。

 きのうは、冬を迎えて一層厳しさを増す庶民の暮らしに触れたが、貧困層向けに国連機関WFP(世界食糧計画)が救援に乗り出している。

 取材したのはカブール郊外での現金給付と食糧配給のプロジェクト。

 WFPの基準で選ばれた貧困層の人たちが、1カ月に1回、1家族当たり現金4300アフガニ(約50ドル)か、または同額の食糧(小麦粉、マメ、食用油、塩など)かのいずれかを受け取ることができる。

WFP食糧配布。氷の張る早朝から多くの人が並んでいた。

WPFの現金支給。


 朝8時半に現場に行くと、氷点下の寒さのなか、長い列ができていた。配給券を持っていれば必ずもらえるのだから急く必要はないだろうに、6時半に来たという人もいた。それだけ切実なのだろう。

 ほとんどの人が失業中だ。かつて公務員で、タリバンが奪権してクビになった人も列に並んでいる。みな口々に「仕事が欲しい」という。失業したからお金がないという分かりやすい話である。  

 ただその先の事情はさまざまで、WFPに支給された食糧でほぼ1カ月食いつなぐという家庭もあれば、家賃が月に4000アフガニの9人家族のところは、支給金4300アフガニのほとんどをそれに回すという。多くの家庭で病人を抱えているが、薬が買えない。貧困と病気はセットである。 

 家賃、医療、教育、冬の暖房・・・暮らしの困難は多重、多様で、食糧を支援すれば済むことではないのだが、それでも支援を受けている人々にとっての命綱になっていることは確かだ。

 ウクライナ戦争のなか、国連なんてクソの役にも立たないという罵詈もわからないではないし、国連の官僚主義や無駄遣いへの批判も認めるが、こうした現場を見ると、やはり国連の存在意義は否定できないと思う。

 アフガニスタンでのWFPのスタッフ募集にはこう書かれていた。
Selection of staff is made on a competitive basis, and we are committed to promoting diversity and gender balance.

「スタッフ採用にあたっては競争による選抜とし、我々は多様性とジェンダーのバランスを促進していく」

 民族間の共存と女性のエンパワーメントを主張するような文言に、タリバンへの牽制を感じる。「国際社会はこういう方針でやらせてもらいますよ」と。

 支給会場ではWFPのジャケットを着た多くのスタッフが働いていたが、彼らのほとんどは現地のNGOで、WFPにプロジェクトを委託されている。
 これはアフガニスタンNGOを資金的にも助けることになる。現地NGOを存続、活性化させることは、タリバンの偏狭な統治に楔(くさび)を打ち込むという意味もあるだろう。

 ところで、そもそもの問題。

 タリバン政権を国家承認した国はなく、国際社会は制裁を科し続けている。今は少し緩んだが、一時は海外からの送金さえできず、故中村哲医師のペシャワール会も日本からわざわざ人を隣国まで派遣して現金を運んだという。

 制裁で封じ込めておいて、同時に人道支援を急げという国際社会。この矛盾をどうするのか。 

 厳しい暮らしを強いられているアフガニスタンの人々は、私たちにこの国にどう向き合うかという大きな課題を投げかけている。

 食糧支給を受けたラマザンさんという65歳の男性の家に付いていった。
 交通が不便で下水道のない丘の上の自宅に妻、息子2人、娘1人、孫1人と6人で暮らす。
 ラマザンさんは以前、カブール空港の近くに住んでいたが、内戦で家が破壊され、移ってきたという。

ラマザンさんと妻。日本人に似た顔だちだ。

 ラマザンさんはパン屋で働いていたが失業、息子たちは日雇いで、仕事にあぶれることも多く、家族の月の収入は8000アフガニ(約90ドル)。家賃の2000を引くと6000アフガニ(約70ドル)で6人が暮らさなければならない。とにかくちゃんとした仕事が欲しいとラマザンさんはいう。

 この一家はハザラ人で、日本人に風貌が似たモンゴル系。少数派のシーア派で、IS(イスラム国)からはテロの標的になり、パシュトゥン人中心のタリバンからも迫害されてきた。

 ハザラ人は女性も比較的大らかで奥さんがインタビューを撮影させてくれた。

 タリバンが女性を学校や職場から排除していることに怒りながらも「いま一番望むことはなんですか」との質問にこう答えた。

「第一には、この国が平和になること、その次に仕事があって収入を得られること」

 この順番がとても印象的だった。
 取材はつづく

休日の公園。タリバン兵同士が手をつないで散歩。異性とは手を繋げないが同性はOK