Z世代の若者が世界的に脚光を浴びている。
Z世代とは90年代半ばから2010年代生まれの世代だそうで、川崎レナさん(17)が、「国際子ども平和賞」を日本人ではじめて受賞したことが話題になった。マララ・ユスフザイさんやグレタ・トゥンベリさんも受賞している権威ある賞らしい。
川崎レナさんは、14歳で国際NGO「アース・ガーディアンズ」日本支部を立ち上げ、中高生と政治家が意見を交わす「政治家と話してみようの会」を始めるなどの活動を行ってきたという。
こういうニュースに接すると、頼もしいな、がんばれ、と応援したくなるが、それでいいんですか、と突っ込んでくるのはジャーナリストの安田菜津紀さんだ。 先日の「サンモニ」でのコメント。
「Z世代の行動力がいろんな形で評価されている一方で、彼らの切実な言動が表面的に、一方的に消費されていないだろうかということも気になる。つまり、なぜ彼らが行動せざるをえない状況が生み出されているのか。
この社会をつくりあげて世代の責任というものが抜け落ちたまま、ただ分断ということが語られがちではないか、気がかりだ。先ほど川崎レナさんが世代を超えた対話とおっしゃっていたが、むしろ意思決定の立場にいる大人こそが、みずから丁寧に耳を傾けてそれを具体的な仕組みに落とし込めて行けるかどうかが問われているのではないか」
若者よがんばって、などと言ってるあなたがた、大人の責任を果たしなさい、ということだ。いいコメントだな。反省させられる。
・・・・・・・・
アフガニスタン情勢をどうとらえるかは対タリバン認識によって左右される。
今回のアフガニスタン取材は、タリバンとは何かを考え直すとてもよい機会になった。そして、中村哲医師のタリバン観が実態をよく捉えていたことに気づかされた。
中村哲医師は、911のあとアメリカがアフガニスタンを攻撃した直後から、アメリカに勝ち目はなく、タリバンが勝つことを見通していた。彼の当時のアフガニスタン情勢の認識が、日本の大方のそれとはっきり異なっていたことは、2001年10月13日の衆議院での参考人発言でも分かる。
当時から中村さんは、「タリバン政権(第一期の)の時代が一番仕事がやりやすかった」と語っていた。
正直言うと、そのころは私もタリバン=「邪悪な恐怖政治の集団」のイメージを持っていたので、中村さんは尊敬するけど、そこまでタリバンを美化されるとついていけないな、と思っていたのだ。
中村さんがタリバンをどう見ていたか。
911をうけた米軍の空爆直後の『日経ビジネス』(2001年10月22日号)のインタビュー記事「アフガンで活動18年、中村医師が語るタリバンの真実~恐怖政治は虚、真の支援を」で、タリバンの「恐怖政治」はウソだと明言している。
空爆が始まってタリバン叩きがもっとも激しい時期であり、中村さんは対抗上、タリバン擁護の姿勢をはっきりと打ち出している。以下で再録が読める。
中村さん、まず報道を批判している。
「日本の報道で一番伝わってこないのが、アフガンの実情です。北部同盟の動きばかりが報道されて、西側が嫌うタリバン政権下の市民の状況が正確に伝わらない」
「今もてはやされている北部同盟の故マスード将軍はハザラという一民族の居住区に、大砲や機関銃を雨あられと撃ち込んで犠牲者を出した」とも。
かつて乱暴狼藉を働いた北部同盟を、日本のメディアは、「英雄」ともちあげた。私も当時の報道に関与したので、この批判はきついが、そのとおりである。
「各地域の長老会が話し合ったうえでタリバンを受け入れた。人々を力で抑えられるほどタリバンは強くありません。旧ソ連が10万人も投入して支配できなかった地域です。一方で市民は北部同盟は受け入れないでしょう。市民は武器輸送などでタリバンに協力しています。北部同盟に対しては、昔の悪い印象が非常に強いですから。」
以下、中村さんから見たタリバンの真実。
「タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです。」
「例えば、女性が学校に行けないという点。女性に学問はいらない、という考えが基調ではあるものの、日本も少し前まではそうだったのと同じです。ただ、女性の患者を診るために、女医や助産婦は必要。カブールにいる我々の47人のスタッフのうち女性は12~13人います。当然、彼女たちは学校教育を受けています。」
「タリバンは当初過激なお触れを出しましたが、今は少しずつ緩くなっている状態です。例えば、女性が通っている『隠れ学校』。表向きは取り締まるふりをしつつ、実際は黙認している。これも日本では全く知られていない。」
「我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。例えば井戸を掘る際、現地で意図が通じない人がいると、タリバンが間に入って安全を確保してくれているんです。」
「あちらの慣習法で大切なのが、客人歓待。ビンラディンもいったん客人と認めたからには、米国だろうと敵に客人を渡すのは恥、と考えるんです」
そして結論は―
「こんなふうに死にかけた小さな国を相手に、世界中の強国がよってたかって何を守ろうとしているのでしょうか。テロ対策という議論は、一見、説得力を持ちます。でも我々が守ろうとしているのは本当は何なのか。生命だけなら、仲良くしていれば守れます。
だから、日本がテロ対策特別措置法を作ったのは非常に心配です。アフガンの人々はとても親日的なのに、新たな敵を作り、何十年か後に禍根を残します。以前は対立を超えてものを見ようとする人もいましたが、グローバリズムの中で粉砕されていく。危険なものを感じます。」
とくにメディアに向けられた、「実情が伝わっていない」との警告。これは安全保障政策の大転換の今にも通じるだろう。
(つづく)