「倫理観の神髄」を見ながら民衆に分け入った中村医師

きょうは12月5日(月)。よる9時のBS11「報道ライブ インサイドOUT」の「中村さん殺害3年 今も活きる業績とアフガン戦争」をご覧ください。ジャーナリストの遠藤正雄さんがリポートします。

 なお、放送後2週間は見逃し配信が無料で見られます。

 では、アフガニスタン・リポートを。

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11月23日(水)。アフガニスタン10日目。
 ホテルの庭に赤い花が咲いているので、近寄って見るとブーゲンビリアだった。ここは南国か?
 今日も陽が照り付けるぽかぽか陽気だった。昨日と同じく最高気温は25度くらいにはなっているだろう。朝晩も上着はいらない。撮影していると汗ばむ。

花咲く田舎道

アフガンでブーゲンビリアを見るとは

 先日、現地の人に、「日本の人は、ドクター・ナカムラを知っていますか?」と尋ねられた。
 日本ではたぶん、中村哲さんの存在は3年前の殺害のニュースで知られるようになったと思う。(吉永小百合ペシャワール会の会員だったが)
    今でも日本で中村哲医師の名前を知っている人は半分にいかないのではないか。アフガニスタンでの方が知名度が高いと感じる。

 政府の冷遇も影響していると思うのは、アフガニスタンでは3年前、ガニ大統領がみずから中村さんの棺を担ぎ、国を挙げて弔意を示したのに対し、成田空港に遺体を迎えた日本政府の代表は鈴木馨祐外務副大臣だった。

左の荒漠たる土地が、灌漑により緑の大地(右)に生まれ変わった。いまこのプロジェクトは、大阪市とほぼ同じ面積を潤している。

10月、ジャララバード市内中心部、殺害現場近くにナカムラ記念公園がオープンした。夜はライトアップされる。タリバン政権も中村さんを高く評価していることがわかる。

啞者ベラさん、中村さんの素晴らしさを我々にジェスチャーで懸命に伝えようとした。殺害されたことを知って4日間泣き続けたという。最後はものすごい形相になって、犯人が分かったら必ず殺す、と伝えてきた。

 中村哲さんがなぜここまでアフガニスタンの人々の心をつかみ、成功を収めることができたのか。

 理由の一つに、異文化に対する非常に深い理解があったと思う。そこには「近代」へのラディカルな批判も伴っていた。
 私はこれを考えることが、なぜタリバンが「勝った」のかを知ることにもつながると思っている。

 銃撃の前々日、2019年12月2日の『西日本新聞』に、中村さんの寄稿した「信じて生きる山の民」が載った。私はこれを転載された『ペシャワール会報』の中村さんの追悼号で読んで、非常に感銘を受けた。

 「緑の大地計画」を辺鄙で孤立した地域に広げるため、中村さんはある「旧来の文化風習を堅持する」山岳民族の村を訪れた。そのときの経験を書いている。

 よそ者をなかなか受け入れないところなので、中村さんも慎重に工事の話を切り出した。以下、引用。

 

「水や収穫のことで、困ったことはありませんか」
「専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで、村は嬉しいのです」
 こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界を生きられないのだ。かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた。 
 約十八年前(01年)の軍事介入とその後の近代化は、結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。
 近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、霞のように街路を覆う排ガス。人権は叫ばれても、街路にうずくまる行き倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。泡立つカブール河の汚濁はもはや河とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。
 国土をかえりみぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつー終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。
 見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる。
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 すばらしい文章だなあ。

 文章技術のうまさではなく、思考の深みから滲み出る気品。真似できない。

 私はきょう、ペシャワール会の現地事業体PMSのプロジェクトを回ったが、あらかじめ女性には近づかないように、カメラを向けないようにと何度も念押しされた。家を訪ねるのも、中に妻や祖母など女性がいるので、むずかしい。ここでは女性は家の中にいるのが基本で、家人以外の男性に姿を見せることさえ禁忌なのだ。

 建設現場にもパイロットファームの畑にも女性の働く姿はない。PMSに聞くと、女性スタッフは診療所の女医だけだという。

 もちろん私はPMSからの注意事項を守るのだが、「ほんとはこんなの後進的でおかしいのだが、取材をうまくすすめるために仕方なく従う」という気持ちがぬぐえない。私自身が「近代」の価値観に染まっているからだ。

 その点、中村さんは違う。村の紐帯を強め、教育を広めようと、自身はキリスト教徒なのに、モスクとマドラサ(宗教学校)を建ててしまうのだ。
 先の寄稿にあるように、中村さんは「農村部の後進性」のなかに「倫理観の神髄」を見たのである。そして近代が「人権」を叫ぶかたわらで弱者を切り捨てると喝破している。

 今回の取材では、中村さんに感化を受け片腕となってPMSを運営してきたジア・ウル・ラフマン医師が同行してくれている。そのジア医師は中村さんを評して「医師でありエンジニアでありましたが、それ以上に哲学者でありました」(会報追悼号)と言っている。

 中村さんの哲学をもっと知りたい。
 明日はPMSのプロジェクトの取材をまとめて報告します。