「中村哲の挑戦」でロングインタビューを観る

 いま竹中工務店のギャラリーA4(エークワッド)で「中村哲の挑戦」展をやっている。これがすばらしい。

東京・江東区竹中工務店本社

1階のGallery A 4で6月22日まで

 中村さんが、らい(ハンセン病)患者の足を保護するために独自に研究・開発したサンダルや手書きの設計図などの「ブツ」も見ものだが、私がもっとも感銘を受けたのは、これまで未公開だった中村さんのロングインタビューの動画だ。2006年4月に、日本電波ニュース社の谷津賢二さんが聞き手になって撮影された。

 現代という時代とその文明をどうとらえるか、その中で我々はどう生きたらいいのかについて語っていて、中村哲の思想を知る上でも貴重だ。谷津さんの質問が実に的確で、いい答えを引き出している。中村さんの一つひとつの指摘に、自分の生き方を考えさせられる。

 聞いているうちに、書き留めておきたくなり、スマホで記録して「テープおこし」をしてしまった。

スマホでinterview動画を記録した(笑)

 せっかくなので、読者のみなさんと共有します。
 便宜的に質問に番号をふることと、展示の動画のテロップとは必ずしも一致しないことをおことわりしておきます。

 

Q1:先生と共に働く日本の若者はアフガニスタンで何を学んでいくのでしょうか?

 小さな作業一つにしても、監督と実際の作業員が一体にならないと上手くできない。そのためのコミュニケーション。そこで実際に物が動いて出来上がる。この体験が貴重なんだと思う。

 人間の体験がないとそれは出来ず、日本の企業でも同じだと思う。そこでその人が働いてみんなと協力して何かを作り上げる。この体験が日本ではだんだん薄くなってきている。なんとなく映像だとかコンピュータ―の世界の中で、自分という実体が実際は無いのに、まるでどっしりとした自分があるかのような錯覚に陥っている。

 しかし、自分というのは実際は人と人との関係の中で出てくる響き合いのようなものが自分なので、それを実感して帰ってくる。このことが尊いのではないか。

ロングインタビュー動画より

Q2:アフガニスタンのどんなことが日本の若者たちを鍛えているのでしょうか?

 人が生きて死ぬまでに、みんなどうやって生き延びていくのか。それを非常に直接的な形で見る。川に落ちれば死ぬし、作業の時に気を付けないと落石で重傷を負う。そういったことを目の当りにすると、それまで映像だとか小説の中でしか分からなかったようなことが、実感として分かってくるのだと思う。

 

Q3:最近の日本を中村先生はどう見ていますか?

 最近ますます日本人が気短になって、ちょっとしたことでカッとなったりですね・・。その人が生きて死ぬそのこと自身がですね、なんといいますか、そうですね、まあ野草と造花の違いというか、異物のようなものを感じる。そんな人ばかりではないが、何かそういった流れを感じる。

 自然との関係が本当に自然な関係ではなく・・。自然というのは、自分で手で取って目で見て、そして時には虫にかまれたり、ヘビにかみつかれたり、崖から転がり落ちたりしながら親しくなっていく。密着したものがかつてはあったが、今はそれがますます遠ざかっている。それが人間関係においても言えるのではないかと思う。

(以下つづく)

 ところで、この展示、入場するともれなく「中村哲しおり」がもらえるのだが、そこに書かれれていることばが、展示会場に大書きされている。

中村哲しおり

《私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです》 「天、共に在り」

《私の意図は、目前にした事実を伝え、平和を願う意志を理窟から力に転化することであった。観念の戦いは不毛である。平和は戦争以上に積極的な力でなければならぬ》
「医者、用水路を拓く」

《人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている》 「天、共に在り」

《ここでは時間が静止している。ヒンズークッシュ山脈の山並みは清々しく、人の心を懐かしい何ものかに回帰させる。この光景は二十年前、私が初めて山岳隊員として訪れた時と、ちっとも変わってなかった》「医は国境を越えて」

《私たちに確乎とした援助哲学があるわけではないが、唯一の譲れぬ一線は、「現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のために働くこと」である》「医者、用水路を拓く」

《人は必ず死ぬ。当然だが、生命体として逃れられぬ掟である。いかに多くの所有を誇ろうと、いかに名声を得ようと、それをあの世に持ち去ることはできない。その時、我々の生きた軌跡が何かの暖かさを残して、人としての温もりと真実を伝えることの方が大切なのだ》「ダラエ・ヌールへの道」

 

 中村さんは、一流の医師であり、土木建築家だが、なにより哲学者でした、と中村さんと長く一緒に仕事をしたアフガン人の側近のジア医師が言っていたが、中村哲学はすばらしい。

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 入管法改正案が問題になるなか、4月から戦闘が続くスーダンから日本に来た人はどうなっているのか。

 スーダン人11人を支援する大阪の弁護士が斎藤健法相らに、送還せずに在留許可を出すよう求めたとのニュース。11人は、いずれも戦闘前に来日して難民申請していたが、最近来日した1家族を除き、不認定で退去強制処分を受けている。実はスーダン出身者の難民認定は近年、19年と20年に各1人だけだという。

 記者会見したスーダン人男性は難民申請が認められず、2回目の申請中。ウクライナからの避難者は支援しているのに、なぜスーダンには支援がないのか」と話した。就労もできないため「働いて(スーダンにいる)家族を助けることもできないので、日本にいてもつらい」と訴えた。

 2011年に来日した別の女性は「これまでスーダンの状況が一度でも良くなることがあったなら、すぐにでも帰っていた」と話した。

 日本政府は21年、ミャンマーのクーデターやアフガニスタンの政権崩壊を受けて、日本国内にいるミャンマー人とアフガニスタン人に緊急避難措置として在留資格を与えた。弁護士らは仮に難民認定しないなら、同様の対応を求めているという。(朝日新聞デジタルより)

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 日本の難民に対する扱いの酷さがよくわかる。すぐに在留資格を与えて安心して滞在できるようにすべきだろう。

 詳しい情報は大阪の難民支援団体RAFIQ(ラフィック)のHPを参照されたい。http://rafiq.jp/