一人ひとりと深く向き合う―小松由佳写真展『シリア難民 母と子の肖像』

 先日の「『彼は早稲田で死んだ』を読んで」には大きな反響があった。当時、早稲田以外の大学でも暴力支配があり、その記憶を書き送ってくれた人もいる。

 また、私の大学時代の友人から連絡があり、「革マルから暴力を受けていないなどとブログに書いているが、お前は塩酸をかけられたのを忘れたのか」と言ってきた。
 彼によると、一緒に革マルに対峙していたとき、革マルが液体の入ったビンを投げてきたという。「お前に液体がかかって、おれはお前の陰になっていて少ししかかからなかったが、コートに穴があいた」とのこと。その記憶は鮮烈ではっきり覚えているという。
 そういわれると、「塩酸」という言葉にひっかかるものがあり、何かそれにまつわる出来事があったような気もしてきた。樋田さんは、当時の記憶の一部が完全に飛んでいることを本に書いているが、緊張の連続だったので、私も記憶がブツ切れになっている。

 私と同じ法学部1年だった水島朝穂君も、『彼は早稲田で死んだ』に触発されて当時について書いている。彼がいまも持っている当時の資料は貴重だ。

直言(2021年12月13日)『彼は早稲田で死んだ』――早大川口君事件50年を前に

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真ん中で演説するのが樋田さん。1年生ながらカリスマ的な人気があり、暴力を追放する運動をリードした。(水島君の資料より)

 樋田さんの本は、多くの人たちが封印してきた記憶を呼び覚まし、語りつがれていくきっかけを作ってくれた。
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 小松由佳写真展「シリア難民 母と子の肖像」を観に富士フォトギャラリー銀座へ行く。(10日から16日まで)」

 由佳さんとは、4年前、1歳の子を連れてヨルダンでシリア難民取材をした彼女を撮影し、NNNドキュメント「サーメル 子連れ写真家とシリア難民」を制作したときからのご縁だ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20170919

 

 驚かされたのは今回の新しい展示の手法だ。難民の肖像を観ながら、その被写体の語りを耳で聴くのだ。イヤフォンからその難民のアラビア語の音声が流れ、スマホ画面に出る日本語訳で内容を知るシステムが用意されていた。

 語っているのは政治的なことがらではなく、それぞれの個人的な境遇や日常の苦労話、家族と故郷シリアへの愛だ。  

 明かりを落とした部屋で、黒い背景に浮かぶ人々の表情を観ながら音声を聴いていると、私と二人だけで向かい合って語りかけられているような錯覚におちいる。とても深い共感、感情移入が起きた。

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明かりを落とした空間に、スポット照明の当たったモノトーンの肖像が浮かぶ


 彼らの語りから、自ら体験した悲劇が見えてくる。ほとんどの難民が、アサド政権による爆撃や拷問などで死傷した家族がおり、避難地の劣悪な環境で心身に異常をきたし、経済的に追い詰められている。

 

レイス
「僕はレイス、10歳です。家族が大好きです。
 僕には、弟とお母さん、そして病気のお父さんがいます。お父さんは(シリアで拷問を受けた後遺症から)6年間も歩くことができません。お父さんは僕や弟と(外で)遊べず、僕たちと出かけられません。お父さんが僕や弟と遊んだり、出かけたりできるようになる治療があればいいのに。

 シリアに残してきた家の、自分の部屋やおもちゃが恋しいです。
 僕が大きくなったら、お父さんのような病気の人を治療するお医者さんになりたいです。病気のお父さんたち全員が、治療を受けて、治って、それぞれの子供と一緒にいられるように・・・。」

 

アリア
「ユカ(小松由佳さんのこと―注)・・本当にここの生活は快適じゃないわ。
 夫は脊椎版ヘルニアを患っていて、あまり働けずにいるし、私もあまり体の調子が良くないのに、きつい仕事をこなさなければならないし。

 シリアでの生活は、もう素晴らしく美しかったわ!(砂漠でベドウィンとして暮らしている)家族がとても恋しいわ。
 ここでの生活は苦しいことばかり。
 夫は牛から乳を絞り、私はそこからヨーグルトを作って売っているの。

 シリアで戦争が始まる前、私たちは幸せな生活を送っていたの。家を2軒、車も2台持っていたのよ。私たち夫婦の夢は、子供たちにきれいな服を買ってあげて、最良の学校で教育を受けさせて、豊かな生活を送ることだった。でも戦争が起きて、その夢は失われてしまった。

 子供たちは朝5時に起きて準備をして、6時に家を出るの。そうして7時に学校に着くのよ。家の近くから発車するスクールバスもあるんだけど、代金が払えないの。すごく高価なのよ。子供一人当たり、月に500リラ(日本円で約4000円)よ。とても払えないわ。雨にびしょびしょに濡れながら、子供たちが学校から帰ってくることもたくさんあるの。

 娘は、インターネットがないとできない宿題があるのに、家にはインターネットが無いの。何故うちにはインターネットがないの、と娘は私を責めるのよ。
 私たちの家計はとても苦しい。」

 

ダリア・ハーリッド(35歳の女性)
「私にはファーティマという娘がいます。彼女には、生まれつき手足がありません。
(おそらく)その原因は、2017年に起こった(イドリブ県ハーン・シェイフーンでの)化学兵器の攻撃によるものです。
 化学兵器が使われたとき、私はそこで刺激臭を嗅ぎました。その後、(私のように)そこで化学兵器による攻撃を経験した多くの妊婦が、流産したり、奇形の赤ちゃんを出産しました。

 私の夫が(シリアで戦闘に巻き込まれて)負傷してから、私たちはトルコに行くことに決めました。夫とファティーマが治療を受けるためです。
 夫は脊髄を損傷し、体が麻痺していました。治療を受け、娘のファティーマの障がいが改善されるようトルコに来ましたが、残念ながらそれはかないませんでした。

 私たちは(家賃が安い)古い倉庫に住んでいます。私や子供たち、障害がある夫を支援してくれる人は誰もいません。ここでの私たちの状況は本当に悲惨です。

 夫は身体が不自由で、娘には障がいがあります。そして長男はまだ7歳です。
 私はいつも家族の世話をしなければならず、外に働きに出ることができません。」

 

アブドゥルバセット
「お母さんと兄弟と僕は、バルコニーに座って昼食を食べていて、お父さんとお兄さんは地下の倉庫にいました。
 突然、ヘリコプターが飛んできて、樽爆弾を落とし始めました。お父さんはみんなに、「早く家の中に避難して」と言いました。ところが投下された樽爆弾がドアの前で爆発して、お母さんと妹が亡くなってしまいました。
 僕の両足も切断され、姉の夫は体に麻痺が残るようになり、妹は手と足を骨折しました。姉は体のいたるところに傷がつきました。

 お母さんは僕たちのためにおいしい料理を作ってくれて、家族でよく旅行に出かけました。お母さんは僕が寒くないように、(寝ているときに)いつも僕に布団をかけてくれました。僕や兄弟たちみんなをとても愛してくれました。
 お母さんが亡くなってかtら、僕はすべてを失ったように思います。人生で最も大切なものを失いました。魂を失いました。
 お母さんが亡くなって、僕は自分のことを自分でやらなければいけません。
 いつも神に感謝しています。」


(発言は抜粋。小松由佳さんの許可を得て、ここに紹介した)

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会場で配られた「音声ガイド資料」。難民たちの語りが日本語と英語に翻訳されている

 私がため息まじりに「つらく重い話ばかりですね・・」と言うと、「悲惨な境遇の難民をことさら選んだわけではないのですよ」と小松さん。マスとしての難民のイメージからは分からない、リアルな等身大の難民の姿に近づけた。

 静止画である写真は、観る人の想像力でイメージを広げていくメディアだ。想像のとっかかりになるのがキャプションだが、音声情報を写真にのせるのは、想像を深くし、独特の効果をもたらすように思われた。
 由佳さんは動画にも挑戦している。動画の情報量は写真に比べて圧倒的に多いが、想像力に任せる部分は少なくなる。

 今回のような写真と音声のコラボは、写真の新たな可能性を開くかもしれない。

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この日は特別に、難民とはどういう存在かについてのトークがあった

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語っているのは由佳さんの夫、ラドワンさん、その右がラドワンさんの甥のムハンマドさん

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左から由佳さん、ラドワンさん、ムハンマドさん

 写真というメディアの可能性というと、尊敬する写真家、鬼海弘雄さんの言葉がよみがえってくる。

鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記 (hatenablog.jp)