鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」

 週末、すごいドキュメンタリーを2本観た。

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 NHKスペシャル「世界は私たちを忘れた~追いつめられるシリア難民~」(24日)とNHKBSで放送された「グレートヒマラヤトレイル4 カンチェンジュンガ “五大宝蔵”を求めて」だ。

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 前者は、テレビの報道ドキュメンタリーとしては、ここ数年では最高傑作だと思った。NスペはNHKの組織力と莫大な予算を生かした大型調査報道がウリだが、これは金本麻理子氏が一人で撮影もディレクションも編集もやった作品。
 売春、臓器売買、焼身自殺・・と極限まで追い詰められたコロナ禍のなかのシリア難民の実情を単独取材で驚くほど深く掘り下げている。絶望の中に射す一筋の希望の光を女性たちの生き方に見出すエンディングもすばらしい。これについてはあらためて評したいが、とにかく必見の番組だ。見逃した人は、再放送が29日0時50分から(水曜深夜)あるのでぜひ。

 ヒマラヤの番組は、監督も登場人物も知り合いなので、演出法などを想像しながらおもしろく観た。秘境の絶景を、映像がどこまで迫れるのかに挑戦した作品といえよう。ドローンを持ち込んでの撮影は迫力満点。さらに特殊撮影を駆使して時間の経過による山肌の色彩の神秘的な変化まで高感度映像で見せてくれる。まさに世界初の「息をのむ」映像の連続だ。

 それで鬼海弘雄さんを再び思い出したのだった。

 鬼海さんは、これからの時代、写真が生き残れるかと考え続けていて、そのとき意識していたのが動画だった。
 「動画の方が伝えられるでしょ。写真が対抗できるのかどうか」と。

 私がテレビ関係の仕事をしていたからかもしれないが、そういう話題を何度か振られた。
 写真が世に現れて絵画の世界が変わったが、動画が出てきて写真の世界はどう変わるのかという問題意識を鬼海さんは持っていたようだ。

 動く映像が、音声とは別で、映画館という特別な場所に足を運ばないと見られない時代から、いまや動画は、手の中の端末で、高画質・高音質でいつでも提供される。

 「とくに報道写真はきびしいだろうな」と鬼海さん。
 たしかに、今や新聞記者がビデオカメラを持って現場に行く時代だ。証拠能力としての情報量が、動画の方が圧倒的に大きいからだ。(報道における動画の「証拠能力」については以下を参照)

takase.hatenablog.jp

 また、当事者のインタビューを動画で見れば、顔の表情、体の動きから声の調子まで多様な情報でその人の思いを生々しく訴えかけてくる。
 動画の優位性はますます大きくなっているように思われる。


 私は鬼海さんの「追っかけ」として、トークショーに出かけては前列で録音していた。その中から2018年4月21日の「清里フォトアートミュージアム」の ヤング・ポートフォリオ(YP)展でのトークショー東京都写真美術館のて)の内容を紹介したい。

 「清里フォトアートミュージアム」は世界の35歳以下の若い写真家を支援して、毎年、ヤング・ポートフォリオ展を開いている。地方の小さなミュージアムでこういうことをやっているのは大したものだ。鬼海さんもこの審査員をつとめたご縁がある。

f:id:takase22:20180519160632j:plain【2017年YPレセプション(前列左端が鬼海さん)清里フォトアートミュージアムHP】

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トークショーでの鬼海さん(HPより)

 鬼海さんが亡くなった今月19日、「清里フォトアートミュージアム」はHPに訃報を載せた。以下はその一部。

www.kmopa.com

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 当館では2011年度、2012年度ヤング・ポートフォリオの選考委員をおつとめいただいた鬼海弘雄氏。近年闘病されておりましたが、残念ながら本日10月19日、逝去されました。享年75歳。(略)
 鬼海氏はまた、独特の世界観を表す“言葉力”でも知られ、YP選考時にも
 「写真というものは一瞬に撮るものだけど、どれだけのパトスと時間と愛情とをかけて撮ったかが見えるもの。」
 「誰も評価してくれなくても、自分の歩幅を見つけて歩いていくことが大切。自分をもう少し煮ろ。鍋でぐつぐつ、ぐつぐつとね。」
 「個人で写真をやっていると小舟に乗って漕いでいるようなもの。舳先ばかりを見ていると方向感覚を間違う。遠く北斗七星を見て、時代に流されない羅針盤を持っていないと。」   
 また、フォトジャーナリストの作品についても
 「人間を考える足がかりとして重要。写真芸術は温室の中に入っている観葉植物のようなものだけではない。人の世界がどうなっているかという問題が同レベルで論じられるべき。」
 と、鬼海氏の残された言葉には、色褪せることのない本質が深く横たわり、その存在感に惹き付けられます。
 当館の活動に深く共感いただき、評価をいただいたことに心より感謝申し上げます。心よりご冥福をお祈りいたします。

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 では、トークショーでの鬼海さんの話。
 ここで鬼海さんは、写真の未来について、かなり厳しい見方を吐露していた。表現とは何かについて、多くのことを考えさせられた。

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 おいでいただき、ありがとうございます。
 1時間、ムダ話にお付き合いください。

 ここに私の28歳のとき、「写真やろう」と思って一番最初に撮った写真があるんですけど、今から考えて見ると私に20代があったのかなぁと思う歳で、あれ、飛んじゃったんじゃないかな(笑)という感じです。
 それからずっと、人物と、人が住む街の写真、あと、ちょっと横から日本を見てみたいと思って、インドとトルコのスナップ写真を撮ってます。

 すべてモノクロで撮ってきました。私が始めた頃は、カラーがすごい高くって、モノクロの方が自分でできるってことがあったんですよね。
 でも、よくよく考えて見ると、モノクロとカラーはどこが違うか。カラーでいい写真というのは、なかなか・・。現実のコピーとしてのカラー写真となって・・。
 写真というのは、特別に写真家が真理を伝えるわけでも何でもなくって、あるインパクトでもって、みなさんの中の頭の想像力に入り込んで、みなさんが想像してくれて、それで「写真が動く」という感じなんです
 モノクロの場合は・・私がなんでモノクロにこだわるかっていうと、想像力の質が違うんですね。カラーだと、単なる現実の一場面を切り取ったんですけど、モノクロは、色がない分だけ、それぞれ見れくれる人の「記憶の沼」っていうか、記憶の底に沈んでいたものを揺り動かす、という意味がモノクロにはあるのかなぁ、と思っております。

 それで、私は百姓の子どもだったですから、「ものを作る」というよりも「ものが育つ」という感じなんですね。
 山の木も、田んぼも、野菜も、まず「土を作っておけば大丈夫」っていう感じがあって、本来、手仕事ということがないと、人間がなかなかクリエイト、ものを創るということがならないのかもしんない(知れない)と思ってます。

 写真が発明されて、絵画が滅びるわけですけど、写真がなかったら、絵画は今どうなってたんだろうな、とすごい興味がありますね。
 現代美術みたいな、あんな逆子(さかご)がこんなに大きな顔していいのかな(笑)という感じがします。
 でも、一方で、写真があるおかげで、とんでもない才能が出てくるわけですね。マチスとかパウル・クレーとか。その人たちは非常に具象を描いてあそこまでいくんですね。

 じゃあ、はたして写真はいま、アナログからフィルムからデジタルに変わってますけど、デジタルで、マチスパウル・クレーみたいな形で、成層圏を抜けるようなクリエイターが出てくるかっていったら、出てこないですよね。
 なんでかというと、体を使うってことと、手で覚える、手で考えるってことがいかに大切かっていうことなんだと思います。
 でも、そんなこと言ったって、もう写真は非常にまあ、フィルムは高いし、印画紙は高いし、若い人にアナログで写真を撮りなさいといっても無理な話なんですよ。

 でも、決定的にモノクロとデジタルは・・・デジタルは写りすぎるんですよねぇ。だから、ものごとが、自分が撮りたいとか、大切にしたいっていう形のことがらを、発酵さしたり、濾(こ)したり、不純物をのいて純粋なものにすることについてはものすごく不向きなわけです

 でも、その違いだけじゃないんですよね。
 写真がなんで人にとって有効だろうと考えれば、それは、今はもう動画の時代なんですけど、静止画像で、世界をもっかい(もう一回)、世界のはらわたを掴みなおすとして写真があるんですよね
 写真っていうのはものすごく偶然性に頼りますから、頭で考えてるものって大したことないんですよね。驚きっていうのが、計算された驚きじゃなくって、写真が一瞬で瞬間を止めるわけですけど、写真家を続けて写真を撮るっていうのは、その驚きの偶然性を、「わたし」ってもので必然性に変える。ということを思ってます。

 だから根本的に静止画像とは何かというかたちで、もう写真の概念が変わってこないと、新しい写真が生れてこないのかもしんない。で、これが来なければ、写真はなくなるんだろうと思います、表現としての写真は。

(つづく)