きょうは、フォトグラファー小松由佳さんのトークショーで、恵比寿の「めぐたま」食堂へ。
先日出版された『人間の土地へ』(集英社)についての話を聞いた。
小松由佳さんとは3年前、彼女が子連れでヨルダンのシリア難民を訪れた取材行をドキュメンタリー「サーメル~子連れ写真家とシリア難民」に制作し、NNNドキュメント(日テレ)で放送したご縁がある。このとき私も、難民生活をおくる彼女の義兄の家に泊まり、得難い体験をさせてもらった。
小松由佳さんの経歴はとてもユニークだ。
2006年8月、若干24歳で、日本人女性として初めてK2登頂に成功し、同年度の植村直己冒険賞を受賞。
将来を期待された登山家だったが、K2登頂後、山登りよりも、厳しい自然に生きる人間に惹かれて写真家に転進。
2008年訪れたシリアの遊牧民の撮影に通ううち、土地の5歳年下の青年ラドワンさんと恋に落ち結婚。内戦でラドワンさん一家は故郷を失いバラバラに。いま由佳さんはラドワンさんと二人の子どもと東京に暮らしている。
『人間の土地へ』には、K2登頂から現在までの彼女の人生の軌跡と学びが描かれている。とりわけ、由佳さんとラドワンさんの関係にひきつけられた。
ラクダの放牧で暮らしていた60人のラドワンさんの家族(彼は16人兄弟の末っ子で、結婚した兄や姉も実家のそばで暮らす)が内戦で難民となるなか、由佳さんはその家族の一員として(第三者から見ると)壮絶な人生を歩んでいる。
《ラドワンと生きるなら、一生苦労が絶えないだろう。だが、それで良かった。むしろ、予測不可能な苦労がつきまとうことに痺れるような喜びを感じた。それは未知の山へ、新しい一本の道を拓くような純然たる思いだった。ラドワンはまさに、私にとってヒマラヤの峰のような存在だったのだ》(P157)
「痺れるような喜び」か・・うーむ、小松由佳、ただ者ではないな、やはり。
K2は世界第二の高峰で、難度が非常に高い山だ。由佳さんが登った2006年時点で、登頂者数の25%、4人に1人が命を落としている。由佳さんも酸素が切れ、幻覚に襲われ、死の淵をさまよったが奇跡的に生還。生きて下り切ったとき、《ただここに存在していることの尊さ》を強く感じたという。
《人は何かを成し遂げたり、何かを残さなくとも、ただそこに生きていることがすでに特別で、尊いのだ、という実感だった》(P26)
由佳さんの人生観のベースには、K2でのこの体験があるのだろう。これは強い。
私はラドワンさんも家族の内情も多少知っているが、夫婦がそれぞれ暮らしてきた二つの文化のギャップはすさまじく、生活は一言で言って「大変」だ。
だって、砂漠でラクダを放牧していた(そして敬虔なイスラム教徒の)若者が、この大東京で暮らすというのだから。
内戦前のシリアでは、
《相互扶助の非常に強いコミュニティに生きていたため、貯蓄や安定した仕事がなくても、助け合って暮らすことができた。食料も豊富で安価だったため、貧しい家庭でも飢えに直面することはほとんどなく、人々は労働や経済性や利便性ではなく、もっと人間の暮らしの根本的なもの―家族や友人を愛し、愛されること―そうしたことに人生の大部分を費やしていた》(P234)
そんなところからこの日本に来て、ラドワンさんはすぐにノイローゼ気味になり、不安定な精神状態が2年も続いたという。
まず、田舎の大家族での暮らしから、突然、都会で二人きりの生活になって、激しい孤独感にさいなまれた。
また、《“現金がなくては生活が維持できず、生活を維持するために毎日働かねばならない”という現実》に戸惑った。
シリアでは、放牧業を営み、果樹園や畑を持ちながら大家族でほぼ自給自足の暮らしをしており、常にあくせく働かなくても生活がなりたった。
効率や完璧さが求められる日本の職場環境にラドワンさんはなじめず、雇い主から注意されても、何を怒られているかさえ理解できなかったという。仕事を見つけても、すぐにクビになるか、自分からやめることを繰り返した。
一方、由佳さんも大変だった。結婚をめぐって親から勘当され、生活費を稼ぐためにカメラレンズを売り、写真をやめて就職した。
ところが、《共働きの我が家にあって、ラドワンは家事も育児もノータッチで、それについて夫婦で協力するという発想すらない》。
《ラドワンが期待するのは、私(由佳さん)がシリア人の妻のようであることだ。毎日外出することなく家にいて、丁寧に掃除、洗濯、育児をし、いつなんどき帰宅しようとも、すぐに美味しい食事を用意してくれること・・》(P241-242)
うわ、こりゃ大変だなあ・・・
普通なら「もういや!離婚!」となるだろうに。
しかし、ここからが由佳さんのすごいところで、《それぞれの視点、価値観がある》と実に冷静に賢く事態を見つめるのだ。
それができるのは、由佳さんが何年にもわたって、ラドワンさん一家と暮らしを共にし、彼等の文化、価値観のすばらしさを体感してきたからだろう。
たとえば、コーヒーを飲むという場合、日本では「飲む」のが目的だが、ラドワンさんたちの地方では全く違うという。
知り合いから「コーヒーを飲みに来なさい」と言われて家に行くと、コーヒーはできておらず、長いおしゃべりでくつろぎ、場合によってはコーヒー豆を買いに行って、豆を炒って・・とコーヒーができるまで3時間もかかる。コーヒーを淹れる過程の体験を一緒に楽しむのだ。そして飲み終わってすぐに帰るのは失礼とされ、飲んだ後もゆったりと談笑する。人生の「今」を楽しむことが大事だとされるのだ。
私もその話を聞いて「いいな」と思うが、由佳さんは自分でその良さを深く体感している。そこにはシリアの砂漠の人々への尊敬も生まれただろう。
由佳さんは、ラドワンさんとぶつかっても、日本の価値観だけから判断しない。
《自分の文化にのっとって相手を判断しようとするから、相手の本質を見誤ってしまうのだ》
《ラドワンと結婚し、子供を育てながら悟ったのは、人間に深く根づいた文化を変えることは容易ではないということだ》
《私はことあるごとに、ラドワンが“砂漠の人”だと捉えることで、悶々とした思いを払拭するに至った。民族的背景の違いを、相手の尊厳として認めることで、私たち夫婦は共生しようとしている》と由佳さんは書いている。
異文化との共生・・言うはやさしいが、なかなか難しい。
私はこの本を、その興味深い実践記録として読んだ。
小松由佳さんにとって、共生の挑戦は、K2登頂と同じく、一つの大きな「冒険」なのだろう。